昨日は時間が取れたので久し振りに東京国立博物館へ行ってきました。
お目当ては開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」という展覧会+1。
前々から見たいと思っていた仏像が何体も見れましてとても意義深かったです。中山寺の馬頭観音像が見れて良かった‼
以前も書いたかもしれませんが私は昔から宗教美術が好きで、中でも仏像は大好物です。数え切れない人々の祈りや願いを受け止めてきた重みもあり、優れた技もあり、政治的な思惑が絡んでいてもなお苦しむ人々を長きにわたり癒し続けてきた尊い御姿です。
また、仏像が美しいのはもちろんのこと、それを眺める人達の表情が大好きです。たまに仏像の前に立ち合掌したりお経を唱えたりする人たちもいるんですよ。そういうのってとても美しくて素敵だと思います🐱
そういえば同じ東京国立博物館で以前も、いわゆる隠れキリシタンが持っていたマリア観音(信仰を隠す為に観音菩薩に似せた聖母マリアの像)も見ましたね。
あれは感動的でした。
宗教美術。芸術が人の心を癒やすために存在するのならば、これは1つの究極の芸術の形といって良いと思います。
やっぱり感動しますね。
ちなみにさっき+1と書いたのはこの展覧会とは別にどうしても見たかった仏画が展示中なんです。京都国立博物館所蔵の釈迦金棺出現図という作品。
この作品はものすごく貴重で京都から出ることはほとんどないんですが、特別に今月に限り東京にお出ましだったんです。
しかも確か来週の日曜日で展示が終わってしまうという所でギリギリ時間をとって間に合わせる事が出来ました。
お釈迦様が入滅された直後に既に天上界に行っていた母君が降りて来たところ、お釈迦様がおもむろに起きあがり母君に対し説法した場面をあらわした図です。この直前の場面、すなわちお釈迦様が入滅された場面をあらわした図(「涅槃図」)の作例は山ほどありますけどこの場面をあらわした例は世界的にもほとんど存在していないんです。
凄いんですよこれ。
なんというかキリストが死んで復活したというのと少しかぶります。人間の頭の中は古今東西変わりませんね。
話はそれますけどキリスト教と仏教、あるいは日本古来の神道も根本的には矛盾しないと私は思っています。矛盾するように見えるのはお互いの異なる点ばかりクローズアップして注目しようとするからではないか?共通点だってあるのにそっちには目をつぶる。宗教のありさまそのものではなくそれに関わる人間の心こそが問題だと私は思うのですが。
昨年の秋に運慶の展覧会を見に行った時には正直あまり響いてこなかったんですが(ブログに書くと言いつつなかなか文章に出来なかったのはそのためです)この数ヶ月の間に自分の感性が甦ってきたように感じます。そういえばもう美術なんか良いやみたいな事をぼやきながら美術館卒業宣言した事もありましたけど、もう1年くらい博物館や美術館に通ってから考えても遅くないだろうという気持ちに今はなっています。
長文すみませんでした。博物館からある種の霊感のような物を感じて、この気持ちを忘れないうちに、勢いのあるうちに言葉にしておこうと思い、想うにまかせて書きなぐってしまったので読みづらく、興味のない方々には意味不明な内容になってしまいました。
ただこれだけは断言しておきます。力が戻ってきました。意志の力が。
皆さんのお陰です。どうもありがとう。これからも頑張ります。
それじゃ( ゚∀゚)ノシ
たなか
お目当ては開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」という展覧会+1。
前々から見たいと思っていた仏像が何体も見れましてとても意義深かったです。中山寺の馬頭観音像が見れて良かった‼
以前も書いたかもしれませんが私は昔から宗教美術が好きで、中でも仏像は大好物です。数え切れない人々の祈りや願いを受け止めてきた重みもあり、優れた技もあり、政治的な思惑が絡んでいてもなお苦しむ人々を長きにわたり癒し続けてきた尊い御姿です。
また、仏像が美しいのはもちろんのこと、それを眺める人達の表情が大好きです。たまに仏像の前に立ち合掌したりお経を唱えたりする人たちもいるんですよ。そういうのってとても美しくて素敵だと思います🐱
そういえば同じ東京国立博物館で以前も、いわゆる隠れキリシタンが持っていたマリア観音(信仰を隠す為に観音菩薩に似せた聖母マリアの像)も見ましたね。
あれは感動的でした。
宗教美術。芸術が人の心を癒やすために存在するのならば、これは1つの究極の芸術の形といって良いと思います。
やっぱり感動しますね。
ちなみにさっき+1と書いたのはこの展覧会とは別にどうしても見たかった仏画が展示中なんです。京都国立博物館所蔵の釈迦金棺出現図という作品。
この作品はものすごく貴重で京都から出ることはほとんどないんですが、特別に今月に限り東京にお出ましだったんです。
しかも確か来週の日曜日で展示が終わってしまうという所でギリギリ時間をとって間に合わせる事が出来ました。
お釈迦様が入滅された直後に既に天上界に行っていた母君が降りて来たところ、お釈迦様がおもむろに起きあがり母君に対し説法した場面をあらわした図です。この直前の場面、すなわちお釈迦様が入滅された場面をあらわした図(「涅槃図」)の作例は山ほどありますけどこの場面をあらわした例は世界的にもほとんど存在していないんです。
凄いんですよこれ。
なんというかキリストが死んで復活したというのと少しかぶります。人間の頭の中は古今東西変わりませんね。
話はそれますけどキリスト教と仏教、あるいは日本古来の神道も根本的には矛盾しないと私は思っています。矛盾するように見えるのはお互いの異なる点ばかりクローズアップして注目しようとするからではないか?共通点だってあるのにそっちには目をつぶる。宗教のありさまそのものではなくそれに関わる人間の心こそが問題だと私は思うのですが。
昨年の秋に運慶の展覧会を見に行った時には正直あまり響いてこなかったんですが(ブログに書くと言いつつなかなか文章に出来なかったのはそのためです)この数ヶ月の間に自分の感性が甦ってきたように感じます。そういえばもう美術なんか良いやみたいな事をぼやきながら美術館卒業宣言した事もありましたけど、もう1年くらい博物館や美術館に通ってから考えても遅くないだろうという気持ちに今はなっています。
長文すみませんでした。博物館からある種の霊感のような物を感じて、この気持ちを忘れないうちに、勢いのあるうちに言葉にしておこうと思い、想うにまかせて書きなぐってしまったので読みづらく、興味のない方々には意味不明な内容になってしまいました。
ただこれだけは断言しておきます。力が戻ってきました。意志の力が。
皆さんのお陰です。どうもありがとう。これからも頑張ります。
それじゃ( ゚∀゚)ノシ
たなか