最近は、隣国韓国との関係がギクシャクしているが
解決には、武力行使という手法が無い以上、話し合いでの
解決という選択肢か、そのまま放置する以外今後の展望は
望めないと思われます。両者での話し合いが平行線であれば
第三者を入れての話し合いなのか、裁判なのか
どちらにしても、将来に遺恨を残す関係になる事が予想されます。
そんな韓国には、独立門というフランスの凱旋門を模して
作られた門があるそうです。
では、何から独立したのかと韓国人に尋ねると、大半は
「日本」からの独立だと答えるそうです。
しかしながら、この門の碑文には、1895年に日清戦争で日本が勝利し
下関条約により朝鮮の独立が清国より承認されたことを以て、清国の属国から
独立国として、朝鮮王朝は世界に認められた。と言うような内容が記されているようです。
下関条約とは「下関で結ばれた日清戦争の講和条約。
日本全権は伊藤博文と陸奥宗光、清朝全権は李鴻章。
内容は
(1)清は朝鮮が独立国であることを承認、
(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、
(3)2億両の賠償金支払い」
世界史用語集 (山川出版)より
独立門以前には、迎恩門がありました。清国との戦争に負けた朝鮮は、清国の属国として
清国からの勅使に対して朝鮮王朝が、郊外の迎恩門まで出向いて、三跪九叩頭の礼で
迎えたそうです。
三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)とは
叩頭 (hengkin) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。三跪九叩頭の礼では、
- 「跪」の号令で跪き、
- 「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「起」の号令で起立する。
紫禁城の前庭での国事祭礼において、皇帝の前で臣下が一斉におこなった。
また、琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、
自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。その郊外の地が琉球の場合は守礼門であり、
朝鮮の場合は迎恩門である。
現在の土下座以上に、屈辱的である礼を、清王朝は属国に強いていたのですね。
戦争で負けると言うことは、それだけのことを強いられ、承諾しなければ
ならないのですね。
この三跪九叩頭の礼を、1873年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通しています。
そうのような毅然とした態度で、韓国との交渉に臨むことが大切かと
思います。