ぶらり独り言

思いついたことをそこはかとなく写真付きで書く日記です

三跪九叩頭の礼

2019年01月19日 | 日記

最近は、隣国韓国との関係がギクシャクしているが

解決には、武力行使という手法が無い以上、話し合いでの

解決という選択肢か、そのまま放置する以外今後の展望は

望めないと思われます。両者での話し合いが平行線であれば

第三者を入れての話し合いなのか、裁判なのか

どちらにしても、将来に遺恨を残す関係になる事が予想されます。

 

そんな韓国には、独立門というフランスの凱旋門を模して

作られた門があるそうです。

では、何から独立したのかと韓国人に尋ねると、大半は

「日本」からの独立だと答えるそうです。

しかしながら、この門の碑文には、1895年に日清戦争で日本が勝利し

下関条約により朝鮮の独立が清国より承認されたことを以て、清国の属国から

独立国として、朝鮮王朝は世界に認められた。と言うような内容が記されているようです。

下関条約とは「下関で結ばれた日清戦争の講和条約。

日本全権は伊藤博文と陸奥宗光、清朝全権は李鴻章。

内容は

(1)清は朝鮮が独立国であることを承認、

(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、

(3)2億両の賠償金支払い」

世界史用語集 (山川出版)より

独立門

独立門以前には、迎恩門がありました。清国との戦争に負けた朝鮮は、清国の属国として

清国からの勅使に対して朝鮮王朝が、郊外の迎恩門まで出向いて、三跪九叩頭の礼で

迎えたそうです。

三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)とは

叩頭 (hengkin) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。三跪九叩頭の礼では、

  1. 「跪」の号令で跪き、
  2. 「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  3. 「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  4. 「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  5. 「起」の号令で起立する。

紫禁城の前庭での国事祭礼において、皇帝の前で臣下が一斉におこなった。

また、琉球王朝李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、

自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。その郊外の地が琉球の場合は守礼門であり、

朝鮮の場合は迎恩門である。


現在の土下座以上に、屈辱的である礼を、清王朝は属国に強いていたのですね。

戦争で負けると言うことは、それだけのことを強いられ、承諾しなければ

ならないのですね。

この三跪九叩頭の礼を、1873年台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通しています。

そうのような毅然とした態度で、韓国との交渉に臨むことが大切かと

思います。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。