何気ない日々

思い浮かぶこと。古いアルバムをめくるように、...... 、今は昔のこと、時々、今。

自転車と寒茜の空

2023-01-13 22:17:00 | 日記
車が壊れた(⁉)のを期に、しばらく自転車に乗ってみることにした。
当初は半年くらいと思って始めたところ、もうすぐ2年になる。
良いことがいくつかあった。

1ヶ月で3Kg痩せた
地方にいると、車がないと足がない位の感覚がある。どこに行くにも車で移動する。結果、歩かなくなる。家から歩いて5分のセブンイレブンですら、車を使う。情けない。車依存も甚だしい。
20代の頃より10Kg近く体重が増えていた。健康診断の度に、運動でもして体重落とさなければ、と思いながら、何もせずに翌年の健康診断を迎える、その繰り返しだった。それが、職場への往復7kmあまりの道のりで、自然に落ちた。
ただ残念なのは、その後、数値が変わらなかったことだ。しばらく体重計に載っていないから、ひょっとしたら、‥‥‥‥‥と思う。どっち?

②節約できた
ガソリン代、保険代、駐車場代、その他の維持費を考えると、月々何万かの節約になった。ガソリン代高騰の折、お得感が増した。

③どこでも止まれる
車で移動していると、交通法規を守りつつ、交通の流れに沿い、動かなければならない。
例えば、綺麗な虹が出ていたとして、それをゆっくり眺めようにも簡単にはいかない。
秋の金木犀の香りや、早春の沈丁花の香りも、自転車に乗るようになって、久しぶりに、ゆっくり楽しむようになった。

自転車に乗るようになったのは、職場が変わり、自転車でも通勤できる手頃な距離になった事も理由の一つだった。それまではどちらかと言えば街の中心部を通っていて、景色を楽しむ事もなかった。今は街中でなく、郊外に向って走る。途中、大きな川を越えて走る。毎日、春夏秋冬、その時々の風をきり、川を眺めながら、走る。日々の変化は小さいが、飽きることがない。お天気の良い夕暮れ時には、茜色に染まる空と、その空を映す川面に、足を止める。

最も寒さ厳しい時期の夕焼けを『寒茜』とか『冬茜』と呼ぶのを知った。寒くなるほど赤みが増す、この時期の夕焼けを表す、美しい言葉だ。

夏は暑いし(到着後、マスクを付けると苦しさも加わる)、冬は寒いが(乗っていると暖かくはなるが)、自然と関わる機会を持てた事が、私に自転車生活を続けさせている。長年住んでいながら知らなかった光景がたくさんある。

近頃は、冬鳥達が川面でゆらゆら浮かび、時には川辺で日向ぼっこするゴマ粒のような姿が、私を楽しませてくれている。





葉を見て花を想う 『ハミズハナミズ』

2022-12-22 19:04:00 | 日記
私が自転車でよく通る川の土手には、水仙とよく似た植物が、いくつか、こんもりと、緑濃い葉っぱを繁らせている。葉っぱのみで、花は無い。

以前は気にも留めなかった、ただの"草"だったが、今は違う。秋口、その時期になると忘れずに咲く、彼岸花を想う。


3年ほど前の冬、同窓生のLINEグループに、畦道に繁る葉っぱの写真と「この葉、何だと思います?」という問いかけがあった。「水仙かニラ?」「いいえ、可憐な彼岸花ですよ」「えーっ?」「信じられない!」こんなやり取りがあった。「そう言えば、葉っぱ、見たことないなぁ。へえー、これが彼岸花の葉っぱかー」と初めて知った。
彼岸花の別名は『ハミズハナミズ』漢字にすると『葉見ず花見ず』•••葉は花を見ることがなく、花は葉を見ることがない。誰かから聞いたか、ネットで偶々見つけたかは忘れたが、そのネーミングに、なるほどと思った。

花が枯れたあと、葉は蒼蒼(アオアオ)と色濃く生い繁り、寒い冬を過ごす。誰の目に留まるのでもない。地下茎の為に、そして何ヶ月も先に咲く花の為に、一生懸命栄養を蓄える。春には枯れ、新たに芽吹く草花の影に姿を消す。その実りとも言うべき、あの色鮮やかな花を見ることもない。

その、健気で、忍耐強さも感じる姿に、何か励まされるような思いを感じながら、今日も自転車を走らせる。

寒風に ハミズハナミズ 蒼蒼と

来秋の彼岸花の時期には、冬の蒼蒼とした葉っぱを想い起こそう。


『満天の星空』、いつか……。

2022-12-16 20:45:00 | 日記
都会ではないが、街中に住んでいると、なかなか星空を見ることができない。街灯や車のライト、深夜でもいろいろなところに灯りがついているので、輝きの弱い星は見えにくくなる。

山の中は、月あかりと、せいぜい懐中電灯の灯りくらいだ。新月の日を含めた前後何日かは、お天気さえ良ければ、星空指数100%になる時間帯がある。トータル何日、山の中で夜を過ごしたかわからないが、何度かは空も晴れて、星を見る機会もきっとあったはずだ。
ところが、夜、山の中でゆっくり星空を見上げた記憶がない。月が煌々と輝いていたのは、少しばかり記憶に残っている。

ニ回生の夏合宿で、東北の飯豊•朝日連峰を縦走したことがある。下山を間近にしたその日は、体調も悪く苦しい一日だった。反省会では「この山行が終わったら、クラブを止めようと真剣に思った」と言い、リーダーを泣かせた。と、記録に残っている。続けて以下のように書かれていた。
夕食後、外に出てみると、この合宿の最後の夜を祝福してくれるかの如く、満天の星降るような夜空であった。
残念ながら、私の記憶には全く残っていない。悲惨な一日だったから、空を見上げる余裕もなかったに違いない。

この『満天の星降るような夜空』を見てみたい、というのが、まだ先のことながら、私の、◯ぬ迄にしたいと考えた、いくつかのうちの一つだった。

3年ほど前、新月&快晴の、星空指数100%の夜、近郊の、車で行ける1000m程の高原に、『満天の星空』を見に出かけた。インスタグラム等にも、そこで撮った天の川や綺麗な星空が紹介されていたからだ。
何人かの友人と誘い合わせて行った。到着して早速アルミシートに寝転がって空を見てみるが、そこには期待した星空の光景はなかった。もちろん、街中で見る空とは天地の差ではあるが、願いが叶わない現実を知ることになる。眼鏡をかけても1.0に満たないド近眼の私の視力では、インスタに載っているような『満天の星空』を見ることが出来ないという現実。老眼の進んでいる少し年上の友人は、「綺麗!」とはしゃいでいる。結局、持参した双眼鏡を使って、夜空の、限られた範囲を少しずつずらしながらの星見となった。天の川らしきものも見当たらず、季節と時間帯によっては天の川も見ることが出来ない事を後で知った。

こんな体験をしたものの、もっと条件の良い、市街地の光の影響が全くない、尚且つ雨上がりの、空気が綺麗で快晴の新月の夜に、少し度の強い眼鏡をかけたら見えるだろうか、などと考えている。
そんな、全ての条件を満たす日はなかなか迎えられそうにないが、今でも『満天の星空』を見てみたいという思いを諦めることが出来ない。

忘れることの出来ないヒッチハイク

2022-12-09 20:35:00 | 日記
山へのバスは、市街地と違って一日に何往復もない。一便乗り損ねると、何時間待ち、という事もある。下手をすると最終便に乗り遅れる事だってある。
そんな時、ヒッチハイクを何度が利用した。親指を立て、とりあえず、車に停まってもらう。停まってくれたら、『どこどこまで行きたいが、乗せてもらえませんか』と交渉する。決してきれいとは言えない状態なので、停める車もスマートな車は遠慮する。多くは気のいいおっちゃん、兄ちゃん達だった。トラックの荷台に数人載せてもらった事もある。(昔はそれでもOKだった?)
登山口が車の往来の多い幹線道路沿いにあれば、停まってくれる車もある。ところが、奥に小さな集落しかないような所は、車がほとんど通らない。最終便前までの下山が必須条件である。

ニ回生の11月、次年度のリーダー養成の意味合いもある秋合宿があった。それに先立ち、後輩一人を連れて、計画した山行の偵察(コース確認)に行った事がある。ある程度、経験も積み、読図にも慣れてきた頃、予めそれなりに情報も仕入れての偵察であった。そろそろ下山という段になったところで、痛恨のルートミスをおかす。道と思っていたところが獣道で、元に戻る道を見失い、完全に迷う。地図とコンパス(方位磁石)で自分の位置を確認しようとするが、特定できない。とにかく高度を下げれば、里に出られるはずだと考えたのが、大間違いだった。降りていくと沢沿いになり、地面が湿っているのに加え、大量の落ち葉で、滑っては転び、尻もちを何度も繰り返しながら下っていく。斜面は急になる。更に谷を流れる川が滝や崖となり、行き場を失う。無理に降りたら怪我をする。『秋の日はつるべ落とし』、見る見るうちに暗くなり、流れる水が懐中電灯の光を反射して光っていた。
『遭難』という二文字が頭をよぎり、死の恐怖も感じた。引き返すしかない。
迷った時の鉄則は『沢に降りるな、尾根に向かえ』そして、登山道に戻ること。
ようやく本来の道に戻り、更に滑ったり転んだりを繰り返しながら、何とか下山。
里に下りたものの、日はとっぷり暮れ、最終のバスはとっくに出ている。ヒッチハイクをするしかないが、車が通る気配はない。最寄りの集落まで行って、何とか帰る方法を探すしかないと、歩いていたところ、後方から、車のライトが私達を照らしながら近づいてくる。これを逃す手はない。親指立てて腕を伸ばして、なんてやっていられない。ほぼ通せんぼ状態で必死の思いで手を振り、停まってもらった。中年のおじさんが運転する、白いセダンだった。
道に迷って遭難しかけたこと、最終のバスに乗り遅れて帰る手段の無いことなど伝え、乗せていただけないかと必死の思いで頼むと、快く乗せて下さった。後部座席のシートには白いカバーがかけられていた。今でもその光景を思い出す。私達のズボンは泥まみれである。言いかけた言葉を飲み込みながら乗り込む。朝から一日中歩き、遭難しかけ、精神的にもクタクタになっていた私達は、座ったとたん、安堵感と共に眠りに落ちた。市街地に着き、降りる直前まで爆睡だった。
おじさんに感謝の言葉を伝え、見送った。今更、後部座席の状況を口にできなかった。その後、自宅に帰り、泥まみれの後部座席のシートを見たおじさんはどう思っただろうか。

あの時、怒られても事実を伝え、謝るべきだった。乗る前に、正直に伝えるべきだった。
何十年経った今も、良心の呵責が小さなトゲのように残っている。

「ブキ」と缶詰

2022-12-01 15:28:00 | 日記
スプーンの事を「ブキ」と呼んでいた。登山用語らしい。食事には、基本的にこれ一本を使っていたと思う。自分もそうだが、山行中、誰かが失くしたという話は聞いたことがない。「ブキ」は、上着の胸ポケットのボタン穴に挿して携行していた。
今のような濡れティッシュは無かった。全体の装備の一つとして「トレペ」(トイレットペーパーのこと)はあったが、それは使わず、食事をした後は、各自きれいに舐めて、胸ポケットに。
山に入ると、衛生感覚が変化する。地面に落ちたものも、さっと土を払い、「かめへん」とか「死ねへん」とかいいながら、食べたり、食事の材料なら、鍋に入れたり、が当たり前だった。今でいう"3秒ルール"みたいなものか。入部したての新入生も、最初は抵抗感を持つが、何度か山行を重ねていくうちに、平気になっていく。

山では、食べる時以外に「ブキ」の特別な使い方があった。
それは、缶詰を切ること。



初めてそれを見た時は感動し、実際に自分でやって出来た時は更に感動した。
缶詰の縁に穴を空け、そこから更に切り込んで開けていく、という作業だ。穴を空けるまでが最も力を使うが、空けてしまうと、後はコツさえつかめば簡単。
缶切りに効果的な「ブキ」があった。それは学生食堂のスプーンだ。薄くて(平たく言えば安物)、穴を空け、切込みを入れるのに役に立つ。胸ポケットに入れても、軽いのが良い。皆、学食から「ブキ」を調達していた。


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"15分"は、早い?!、それとも、時間かかり過ぎ?!

労力を考えれば、缶切りを持っていった方が余程楽なのに、と思ったものだが、あえて「ブキ」での缶切りにこだわるところに、技術の継承(?)のような、何かしら誇らしさを感じたりもしていた。

今はプルトップ缶の時代。缶切りの使い方も知らない人がいる。
卒業以来、「ブキ」での缶切りはしていないが、いつかもう一度挑戦してみたい。
その為には、プルタブ無しの缶詰と薄いスプーンを調達しなくては。
さて、何分で開けられるか。
開けられるか。
ちょっと、心もとない。