MINORITY CINEMA REPORT GRAVE!!!

映画日記の墓場へようこそ
劇場で鑑賞した作品の個人的な感想が
ここにひっそりと残され 眠っていきます

TRUE GRIT * トゥルー・グリット [NETABARE]

2011-05-22 00:14:16 | 映画(ネタバレ)
こちらはネタバレありの日記になります。
まだ映画をご覧になっていない方は、今すぐにこのページを閉じるか、ネタバレなしの日記に行かれることをおススメします。

未鑑賞の方はネタバレなし日記



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面白かったところや、興味深かったところを探すのが好きなので、そう感じたところなど。
あくまでも個人的解釈です。


【はげしくネタバレしますので、これからご覧になられる方は注意してください】


  限りなくエンターテインメント

ネタバレなしでも書きましたが、とにかく西部劇という面白さ、そして映画というものの面白さを詰め込んだ作品だと思いました。昔ながらのテイストをしっかりと残しながら、現代的表現もコーエン・ブラザーズ監督の色として、作品を彩っています。こういうのを見ると、コーエン兄弟は本当に映画が大好きなのだなぁということが、すごく伝わってきますね。
少女マティが父の死の仇を討ちに行く。飲んだくれの腕利き連邦捜査官ルースター。誠実なテキサス・レンジャーのラビーフ。敵役のチェイニーはいかにも汚らしく、この時代によく闊歩していたであろうアウトロー。そんなチェイニーを連れ歩くネッドも、良い意味で頭の悪いアウトロー。そんな西部劇にありそうなオーソドックスな顔ぶれが、見事なキャスティングで引き立っています。
随所に散りばめられた展開もとっても古典的。例えば、二人に置いていかれたマティが急いで後を追いかけ、馬ごと川に飛び込んだりする辺りは、馬が作品の肝のひとつであるウエスタンであることがよく解る部分だと思います。最後のルースターとネッドたちとの4対1の対決からも、馬の重要性は一目瞭然です。二人の男がその生き方の違いから対立するのも面白いですし、それに伴って起こるパン投げによる銃の腕前を競うアクションも、なんとも西部劇らしい。追いかけていたチェイニーが、川の向こう側にいたなんていうカメラもベタですがとっても良いです。
すごく気に入ったのはロケーションという部分。作品の中には様々な場所が登場してきますが、それとリンクして様々な天気も登場してきます。西部の町の埃っぽさを感じさせる真昼のシーンや、夕闇直前の青白さに包まれる町を歩くマティ。ラビーフが追いかけてくると思っていたのに、雪の中で待ちぼうけするシーン。雨の降る夜に焚き火をしてキャンプ。晴天の荒野で繰り広げられるルースターの決闘。満天の星空の下、マティの命を救おうと馬を走らせる姿など、作品を盛り上げて奥行きと味を出すことに、ロケーションは非常に効果を発揮し、そのシーンでの人物たちの気分ともリンクして、とても雰囲気を生み出していました。
ある意味で、娯楽映画の基礎によって形成されたような本作は、カメラワークも大変それが意識されており、且つ新しさも感じるものでした。ストーリーの起伏がそれほど無かったとしても、最後の最後までしっかりと面白いと感じさせてくれるのは、西部劇というジャンルの面白さ、並びにオリジナル版の完成度の高さを証明するかたちとなったと思いますが、それを見事に味付けし直す製作者たちの腕前も、また素晴らしかったです。


  西部開拓時代を美味に描く

舞台となった時代背景がうまく描かれているということも、本作の特筆すべき点だと思います。死んだ父を引き取りにやってきたマティは、父が馬の取引をしていた業者の元に向かい、金銭交渉をします。ここで行われる会話劇は、なんとも面白く笑いを誘うものです。マティがめちゃくちゃなことを言っているのに、最終的には業者が折れて金と馬をゲットするというオチですが、この時代の取引の多くが行商人たち独自による目分量やものさしで計られていることが解ります。
荒野で死体を発見したルースターとマティの所へとやってきた原住民らしい男。口ひとつききませんでしたが、その死体をほしがり、どこかへと持って行きました。これは日本で言ったならば、戦国時代などに死人の首が高く売れるということと同義だと思います。または、あの男にはその死体の男に特定の恨みや思い、何よりも価値があったのかもしれません。
ルースター対ネッド組の決闘シーンは、「百聞は一見にしかず」ということが描かれていて面白いです。西部劇ではよくある展開のひとつですが、新聞くらいしか情報源がない当時は、そのほとんどが噂話の域のものでした。これは「明日に向かって撃て!」や「許されざる者」、個人的に大好きな「ヤング・ガン」などでも描かれているものです。噂話というのは坂を転がる雪玉のように、人から人へと伝達されるごとに誇大されていきます。情報の正確さがない当時は、そういった話が多かったようです。例えば、つわものをたまたま流れ弾で殺したというだけだったのに、いつの間にか、それは極悪人を10人も瞬時に殺したという大げさな話になっていたりという。ルースターは過去に7対1の戦いで勝ったことがあるという伝説を残していますが、最初の落ちぶれた姿からは、にわかに信じられません。しかし、最後の決闘では、その噂が真実であったことが解ります。ラビーフの手伝いもありましたが、乗馬をしながら二挺拳銃で敵をやっつけていく様は、彼がトゥルー・グリットを持つ男だということが一目で解ります。信じられるのは己の目に映るもののみ。それが大切だった西部時代を象徴するようなガン・ファイトでした。
それに伴って見えてくるのは、ルースターとマティの出会いとなる裁判のシーンで描かれていたもの。ルースターが相手をどのように殺したのかで議論が展開しますが、これも時代を象徴するものだったと思いました。当時にもちゃんとした法がありましたが、それ以上に無法者が徘徊していたことも事実です。未開だった土地に文明が訪れ、急激な発展をするその裏では、開拓途中や未熟であることをいいことに、殺人や強盗も数多く発生しました。そしてその犯人を裏付ける証拠も、当時はとても不十分なものばかりだったのです。人間の発言の信憑性、秩序ある世界を形成するために必要な法。そういったものが、この裁判で伝わってきたと思います。
個人的にお気に入りは、情報を得るために立ち寄った山小屋で、ふたりの子供をルースターが蹴り倒すシーンです。転ばされた子供たちは何も言わずに元の場所に座り直しますが、小屋から出てきたルースターにまた蹴り倒されます。今の時代から見ると、「おいおい、子供に対してなんてことしてんだよ」と思うかもしれませんが、当時としてはこれが普通だったのではないでしょうか。子供たちの扱われ方は、生れ落ちた家柄などで決まってしまっているんです。つまり、これは差別と偏見が表現されているシーンだということです。マティだって子供ですが、彼女は身なりもちゃんとし、学もあって交渉も出来る口のたつ女の子です。しかしそれは牧場主の父の元に生まれたからにほかなりません。もし情報屋の父の元に生まれたならば、もし先住民のインディアンの家に生まれたならば、蹴り倒される立場になっていたとも解らないのです。いつの時代も子供たちは差別と偏見によって苦しめられる。このシーンにはスピルバーグらしさも感じられ、そういったことをもっとも嫌う彼らしい表現だったのではないかとも思いました。西部開拓時代以前から存在し、そして今現在に至るまで続く差別の有り様を、さりげなく見せたシーンだったと思います。


  命が儚く消えていく時代

マティが復讐をする理由となった父の死。ポケットに残るようなわずかな金額のために裏切られ、その命は消えていくことになりました。この導入部からも、本作には血なまぐさい命の匂いが立ち上っています。作品に出てきた命は、どれもとても儚いものばかりでした。町で行われる縛り首による公開処刑のシーンからも、それはよく解ります。
マティは追跡の道中で様々な命と死に出会います。敵の落ち合う場所のひとつであるアジトを発見した際、ムーンという青年が口を割りそうになり、思いがけず撃ちあいになりますが、ルースターは相手を瞬殺し、全く迷いがありませんでした。そしてそこに一足違いでやってきてしまったラビーフ。運悪く仲間たちがやってきて、あわやその命が失われそうになります。しかし、ルースターの射撃によってそれは回避されました。ラビーフも下手をしたらあの時に死んでいたかもしれなかったのです。そして死者たちは、埋葬されることもなく、そのまま放置されるという末路を辿ります。その姿をなんとも言えぬ複雑な表情で見つめるマティ。西部時代の現実と、そこに流れる命の儚さが、少女の目を通して伝わってきます。
こだわられているのは「死はいつでも身近にある」ということです。人の命は瞬間で奪われてしまう。チェイニーを発見した時、マティはビビリながらも引き金を引き、チェイニーを撃ちました。しかし急所は外れてしまいます。これはマティに迷いがあったからですが、チェイニーはマティが撃つとは思っていなかったはずです。死の気配はいつ噛み付いてくるか解らない、このシーンではそんなことが描かれていたと思います。そしてその後、丘の上でチェイニーはマティに今度こそ致命傷を負わされ死にました。とてもあっけなく。
興味深いのはルースターがヘビ除けのロープを欠かさずに仕掛けていることです。それを見てラビーフは、「こんな時期にヘビなんかいないのに」と言います。テキサス・レンジャーとしてはややお粗末な発言ですが、このロープはルースターの経験からくるものにほかなりません。たとえ冬だったとしても、いつも万全の対策を怠るなという。死の影はいつどのようなかたちで忍び寄ってくるのか解らない。それが荒野のど真ん中であったならば、その命は確実に奪われてしまう。ヘビ除けロープは岩場の裂け目に転がる死体から、ウジャウジャと毒蛇が出てきてマティに襲いかかる伏線となっており、死はいつでも近くにあるということが解ります。
毒蛇に噛まれたマティを助けようと、必至に馬を走らせるシーンには、すごく胸を打たれました。ものすごく澄んだ夜空の中には、素晴らしい星が広がっていました。その下の荒野を、幼い馬が男と少女を乗せて疾走する。馬はその重みとスピードに耐え切れず、最終的に走ることができなくなり倒れこみます。ルースターは「やめて、殺さないで」というマティの言葉に耳を貸さず、馬を撃ち殺しました。走れなくなった馬が荒野に横たわる。その末路がどうなるのかは、誰の目にも明らかだと思います。その苦痛を最小限にするため、ルースターは馬を殺しました。非情に見えるかもしれませんが、もっとも優しい行為だったのではないかとも思います。そして、ルースターはマティを抱えて走りだしました。このシーンが素晴らしいのは、人の死の身近さを知っているルースターが、マティの命だけは助けたいと心の底から願うということです。追跡の道中で、どんなことがあったとしても、相手を殺すことをためらわなかった男が、ひとつの小さな命を救うことに躍起になっている。命の儚さを知っているからこそ、彼は救いたかったのではないでしょうか。たとえ幼い馬の命が消えてしまおうとも(もしくは、馬の命と引き換えにしても助けたかった。馬の命の分も死なせたくなかったとも思えます)。このシーンで興味深かったのは、星空の下でそれが展開するということです。それもものすごく綺麗な星空の下で。人は死んだら星になると言ったりしますが、このシーンは、まるでマティがそんな「死者の星たち」に見つめられているような感じもします。早くこっちへおいで、と。同時にマティの命が星のひとつ(死者)になってしまう瞬間のようにも捉えることも出来ます。ですが、自分はこう考えたいと思いました。ルースターにとっては、そんな満天の星の輝きよりも、生きているマティのほうがより輝いて見えていたのではないかと。人の命も、馬の命も、この世ではあっけなく、そして儚いもの。しかし、だからこそ生あるものは輝き、素晴らしい光を放つのではないか。そんなことを感じるシーンでした。

最後に大人になったマティがルースターの死体を引き取り、埋葬するシーンがあります。これは追跡の道中で見てきたこと、そして自分の命を救ってくれたことが関係していることは明らかです。無残にうち捨てられる死体を見たマティは、命がこと切れたあとのことを考えたのではないでしょうか。死んだ者は生き返りません。では、そんな死者に何が出来るかといえば、その魂に安らぎが訪れるようにちゃんと埋葬してあげることだけ。彼女はそんな風に考えたのかもしれません。


  「真の勇気」とは一体何か

本作のタイトルにもなっている言葉、「真の勇気」が指すものとは何でしょうか。
冒頭にマティのナレーションでこのようなことが語られます。「代償なしには、この世は何も成立することはない。なしでよいのは神の慈悲だけだ」と。自分はこれが真の勇気を紐解くキーワードだと思いました。
これが指し示すのは、復讐を果たしたマティが毒蛇に噛まれたことによって、左手を失うということ。マティはチェイニーを撃ち殺し、父の仇を討つことができましたが、その代償として左手を奪われたのです。重要になってくるのは、彼女はそのことを後悔しているかどうかということ。大人になった彼女を見れば、それは一目瞭然で解ります。左手を失ったとしても、彼女は懸命に生き、女牧場主として立派に生きていました。
真の勇気とは、自分のすること、自分のしてきたことに対して、責任を持ち、代償を払う覚悟をするということではないでしょうか。本作の柱となっているのは、「人の命を奪うか、奪われるか」だと思うのですが、そこから考えてみると、そんな答えを導き出すことも出来るような気がします。年老いたルースターを見てみれば、その代償の数々がその姿を通してありありと解ります。右目につけた眼帯、裁判沙汰、飲んだくれの毎日、落ちぶれた生活。彼はこれまでもたくさんの人間を殺してきたことでしょう。そしてその代償は、きっちりと払われているのです。人の命を簡単に奪うことが可能だった時代では、もしかしたら法よりも、神の裁きと密接な関係にあったのかもしれません。ラビーフは犯罪者のチェイニーを追いかけ、ルースターを助けるためにネッドを殺しました。彼のしたことはマティのした復讐とは違い、人の命を救うことであるため、神の慈悲が適用されたのではないでしょうか。
マティが支払った代償は左手だけでなく、結婚し子供を産むということも存在しました。それでもマティは自分のしたことに対して、勇気を持ってそれを受け入れています。それと引き換えに、彼女はとても強くたくましい大人に成長していました。ルースターの居場所を知って会いに行った時、残念ながら再会は叶う事がありませんでした。彼女の顔には少しの悲しみが浮かびましたが、それが人生であり、さだめであると解っていたような複雑な表情をします。その後、去り際に男たちに対して暴言を吐き捨てますが、これはまさに彼女が今までどのように生きてきたのかということが解るものだったと思います。彼女は真の勇気を胸に、どんな困難も代償を受けながらしっかりと生きてきたことでしょう。

ルースターの遺体はマティによって運ばれ、マティの家の墓地に埋葬されることになりました。これはマティの命を救ったという善行が招いたことだと思います。生前では与えられることがなかった、神の慈悲のひとつではないでしょうか。蜘蛛の糸のカンダタではありませんが、死後、神がその行いに対して慈悲の心を示し、安らかに眠る場所を与えてくれたのではないかとも思える部分でした。

あっという間に過ぎ行く人生、人との出会いは一期一会に。



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