
帰国して6日になるけれど、体内時計がまだ4時間ほどずれている模様…
Are people born wicked?
Or is wickedness thrust upon them?
人は生まれながらに邪悪なのか、
それとも、邪悪にさせられるのか…
内容に関する記述があります。
これから鑑賞予定の方はご注意ください…
「オズの魔法使い」から更に過去にさかのぼった時代の話。
「オズ~」で、最初にDorothyのところにやって来た北の良い魔女、Glindaと西の国の悪い魔女、Elphabaの知られざる友情を描いているものです。
ElphabaはMunchikinlandの知事の娘として生まれましたが、実は母親が他の男性と関係を持ったときの子であり、緑の肌で生まれます。親は彼女を忌み嫌い、足の不自由な妹のNessaroseに親の愛情の全てが注がれてしまったこともあって、彼女は愛に飢えていました。
しかしながらElphabaは意志が強く賢い少女でした。でも、緑の肌を持ち「異端」として生きることを強いられている分、そこには醒めた自己凝視があり、自分と同じように悲しい生き方を強いられているものに対して格別の思いを寄せていきます。そしてやがては、他者の悲しみを背負いすぎて、自分を責めすぎる…。彼女は次第に(俗な言い方ですが)不器用な生き方しかできなくなっていきます。
一方のGlindaは透き通るような白い肌に光り輝く髪を持ち、世の中の祝福を一身に集めているような、明るく天真爛漫な少女でした。
この二人はひょんなことからルームメートになり、共に魔法に興味を持っていたことも手伝って、不思議な友情で結ばれていきます。GlindaがElphabaに「私よりも不幸な人を見ると、私の優しい心は血を流し始めるの…貴女の力になってあげたいわ。あなたを人気者にしてあげるわ。そうすれば、貴女も私のように幸せになれるわ」と屈託なく歌いかけるところは、偽善というよりは、innocence(無邪気・無知)を感じさせます。
Elphabaが魔法が使えることは序盤に見せられます。孤立した存在の少女に不思議なパワーが備わっているの…というのは、昔の映画「キャリー」を思い出してしまいました。
Glindaの役は独特の「弾み」のある歌いかたをする人によって演じられているようです。特に、オリジナル・キャストのKristin ChenowethはGlindaのinnocenceを過不足なく表現している素晴らしい歌唱です。
一方、Elphabaは凛とした強い意志を感じさせる歌唱で、一幕の終わりに魔女として生きていく決意を歌ったDefying Gravityは鳥肌ものでした。あのシーンの彼女の目が忘れられません。それは、演じていたJulia Murneyの目ではなく、Elphaba自身の目…。
あの眼差しの持つ意味が自分なりに理解できるまで、WICKEDの記事は書けないと思っていたのですが、ずっと考えてもまとまらず…こうやって、中途半端な思いのまま書いている次第なのです。
その辺りはお許しいただくとして…
さて、この音楽は現代クラシックと言ってもいいような、洗練されている中にも格調の高さを感じさせるようなメロディーの数々です。サントラをずっと聴いていても飽きないのは、ま…私が好きな種類の音楽なのでしょう。ジャズやボサノバ風味のものもあります。特に、オズの魔法使いの「俗物性」を表すシーンで、このような軽めで大衆的な音が上手く使われていると思いました。
また、縦、横、奥行きの空間を自由自在に使うステージも圧倒的で、最初から見せ場の連続。観客をぐいぐい惹きつけていきます。
筋書きの話に戻りますが、この二人に愛されるようになるFiyeroも、快活で根は善良な人間でしたが、じっくり思索することが苦手な彼は本当に愛しているのはElphabaだと気づいたときは既に遅く、悲劇的な最期を遂げます。彼は知恵を亡くした案山子として後に登場することになります。
Glindaに思いを寄せていた小柄なBoq。彼はGlindaにも、後に僕として仕えたNassaroseにも心を持てあそばれ、やがては心を亡くしたブリキ男となります。(ここのシーンも見事でした。)
二人の学校には動物の教師がいました。Dr. Dillamondはヤギでありながらも優れた知能を持っていました。
ある日、黒板の裏に
Animals should be seen not heard(動物の言い分になど耳を傾ける必要はなく、管理さえしておけばいい…というような意味)
と記されているのを見つけます。
これは、”Children should be seen and not heard”と言われるものの捩ったもののようですね。
平和だと信じていた国の裏側に邪悪な陰謀があることに気づくのです。
実は、Glindaは最初はGalindaという名前でした。しかし、このヤギの先生が上手く発音できなくて、いつもGlindaと呼んだことから、彼女は自分の名前をそのように変えてしまいます。そうすることによって、彼女はFiyeroに自分が慈悲深い人間であることをアピールしようとするのです。しかし、それは功を奏しません。彼女の「無邪気な善行」(「偽善」と決め付けてしまうには忍びない…)はいつもこういう結果になるのでした。ここは、それを象徴するかのようなシーンです。
ElphabaとGlindaはオズの魔法使いに会いますが、彼は実は凡俗な人間で何のパワーも持たず、不思議な魔力を使えるElphabaは利用されてているだけであることに気づきます。結果、Elphabaはあの憎むべき陰謀に手を貸すことになったことに気づいて衝撃を受けます。
もともと気の弱いオズの魔法使いはすぐに謝るのです。でも、Glindaは納得しますが、Elphabaは納得できません。
そして、立ち上がるElphaba…
(もともと幸うすい彼女が…そんな彼女が自分を犠牲にして立ち上がらなくてもいいのに~…と私は思ってしまう。でも、世の中ってこんなもんなんですよね…。そこまで自分を追い込むElphabaの心情を考えると辛いよ、、私はこの手の話に弱いのです…)
しかし、結局は愛するFiyeroを失い、Dr. Dillamondの力にもなれず、彼女のこうむった痛みの大きさは計り知れない。
悲しすぎる…(泣)
「オズの魔法使い」でも、西の悪い魔女は最後までDorothyのはいている靴を取り戻したがりますが、ここでは、靴が魔法を持っているからではなく、その靴こそElphabaが家族とのつながりを見出せる唯一のものだったからであるような解釈になっています。
最後にオズの魔法使いと西の悪い魔女との関係も明らかになります。
人は、本当に、生まれながらに邪悪なのか?
GlindaとElphabaは最後に歌います…
もっと良い生き方ができたかもしれない、でも…
きっと良い生き方ができたんだと思う。
お互い、友だちになれたから
それで私は変わったもの…
これも、もう2-3回は観たい舞台です。
翻訳じゃないほうです…
スイマセン…
あの音楽に日本語を乗せて、更にメッセージを伝えるのって、ちょっと想像できません。
それと、これは日本ではどうかな?…という気もします。
「オズの魔法使い」は多くの寓意性も含んだ新大陸のファンタジーとして、あちらでは非常に愛されている話ですし、このWICKEDには、プロテスタント的な善と悪の葛藤(のようなもの)も見られますし、(マサチューセッツで実際に行われた魔女裁判を想起させるシーンもあったり…)向こうの人には、かなりの部分で感情移入できる話なのではないでしょうか?
これが日本人に伝わりやすい義理人情的なものにうまく転化できればいいんだけど…
コメント一覧

Elaine's

蘭太
最新の画像もっと見る
最近の「Theatre」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- JERSEY BOYS (舞台ミュージカル)(127)
- JERSEY BOYS(映画)(43)
- JERSEY BOYS(来日公演)(9)
- JERSEY BOYS(日本版)(18)
- JERSEY BOYS(音楽関連)(30)
- Jerry Seinfeld(36)
- SEINFELD Cast(22)
- BEE MOVIE(40)
- CUTMAN(27)
- Theatre(118)
- Books(33)
- Music(84)
- Movies(111)
- THE PRODUCERS(20)
- CURB YOUR ENTHUSIASM(6)
- New York(49)
- HAIRSPRAY(33)
- SEINFELD(139)
- English(1)
- Unclassified(84)
バックナンバー
人気記事