And This Is Not Elf Land

JERSEY BOYS : 女性たち

JERSEY BOYS(ジャージー・ボーイズ)は「女性の立場」から見たら酷い話かもしれない。

もともと女性の登場人物が少ない上に、主な女性キャラクターであるマリー、フランシーン、ロレインの3人は「誰も幸せにはならない」。

トミーやニックなど、男性キャラクターから語られる女性観を「真面目に」聞いていれば、女性はあくまでも遊びの対象でしかないらしい…しまいには、prostituteのおねぇ様たちが堂々と登場するわけで。

フランキーと結婚したマリーは派手で、街中の男の子を手玉に取るなんて朝飯前…トミーさえも手こずらせるほどの少女でした。ところが、フランキーが彼女に好意を持っているのに気付いたトミーが、彼なりの強引なやり方で(?)デートをセットしてやれば、マリーは突っ張りながらも、フランキーの好意を受け入れる。(ま、トミーが言うには、ご本人はけっこう「必死」だったらしい~)

そうやって二人は結ばれ、家庭を持つのですが、1962年秋からの3連続全米ナンバー1ヒットで音楽界の頂点に立ったフォー・シーズンズ。当然フランキーも毎日仕事のスケジュールがギッシリ、家庭を顧みる余裕もない日々が続きます。そういう環境の中、フランキー本人も「聖人君子」ではありませんでした。

仕事が一段落して、久しぶりに帰宅したら(既に3人の娘の母となっている)マリーが昼間から酒をあおっている。「あなたがずっと、ツアーで家を空けてる間に、家事の細かいことは全部私にかかってくるの。こんなのやってられないわよ!お互いに居場所を変えてみれば、少しは私の気持ちが分かるでしょうよ。台所仕事、洗濯・・・私はこんな場所にいるのはうんざりなの!」「僕は、外で仕事をしながら、家族に豊かな暮らしをさせようとしているんだ。じゃぁ、君がツアーに行けよ!」

あ~あ…今の時代なら、ソープオペラにも使えないような会話。私も、実際この場面になると「ふ~」とため息が出ますね…女性としてのやりきれない気持ちは理解できるものの、それでも「もっと賢い生き方もできるのでは?」と思えてしまう。


それでも、彼女を少し弁護してあげるとすれば…まず、あの時代に、貧しく閉鎖的な環境で生まれ育ち、当然、高い教育も受けていないだろうし、古い伝統的な家族観から抜け出ることができなかったのでしょう…そんな中で、夫の成功によって「思いもよらなかった」人生になってしまったわけですよね。金銭的にも潤うし、華やかな世界にも手が届くようになるわけですが、でもそんな変化もマリーにはストレスでしかなかったのかも知れません。ささやかな幸せが欲しかっただけだったのでしょうか…(ま、「ささやかな幸せ」なんてのは、物質的に何不自由ない位置にいる人が憧れるに過ぎないものなのだけどね~なんてコレ独り言です…すいません)

「あなたは、今じゃもう、yで終わるヴァリィよ!」となじるシーンは、マリーの言いようのない「疎外感」の表れでしょう。一方では、Sherryブレイク直前のシーンでは、(フランキーとの初デートでで派手なドレスを着ていたのとは打って変わって)家庭を守る「肝っ玉母さん」ぶりがユーモラスに、好感をもって描かれているのですが。

それに、当時のイタリア系の家族は、やはり「父親」が家族の長として中心的な役割を果たすという考えが一般的だったんではないでしょうか?しっかりもののマリーでも3人の娘の躾や教育にはフランキーは不可欠だと信じていたのでしょう。以前にも取り上げたけれど、フランキーがトミーに悪事に誘われたとき「11時門限と{親父と}約束してるんだ」と言っています。ここにしっかり「男親」が出てきていますものね。(そして、マリーとのデートで遅くなるときは「{お母さん}に電話しなさい!」と言う)

一方の、年頃になった娘のフランシーンも、フランキーが帰宅しても家にもいない。電話をかけても「話したいのはママだけ。お父さんのおかげで私たちが豊かに暮らしていられるなんて、何千回聴いたことか!もううんざり!」と受話器を切ってしまうのです。

ここらは、「この母娘、もっと賢くなれないのか~」なんて思ってしまうのですが…ここが、この時代に、この地域に生まれ育った女性たちの限界だったのでしょう。(でも、フランシーンには同情を禁じえません)

で、マリーは、あまりに古いタイプの女性で、どこか「どかしい」印象を与えるのに対して、マリーと別居した後にフランキーが出会った雑誌記者の美しいキャリア・ウーマン、ロレインが「新しい女性」の象徴として颯爽と登場します。

ロレインは、貧しかった子ども時代の話や、今なお貧しい地区で古い友人と共に素朴に暮らす母のことを屈託なく話すフランキーに、たちまち好意を持ち、やがて二人は付き合うようになります。しかし…脚本的にはここがミソ!ロレインは、最後には、フランキーに「あなたが地元から抜け出せれば、私たちはうまくいったのに」と言い残して去りますが、実は彼女と出会ったとき「地元を抜け出そうとしない自分の母親」の話をしているわけです。ここで既に二人の行く末が暗示されているかのよう。

(このシーンを見て気付いたのですが、バックに流れているのは、フォー・シーズンズのSilence Is Goldenですね。劇中に取り上げられない名曲もこういう風にして、さりげないBGMとして使われています)

次に、トミーが登場。彼は、またしても持ち前の強引さで、このゴージャスで頭のいいフランキーの女性を自分のものにもしようとします。(つまり、横取り)それがフランキーに知れて、二人の確執はどうしようもないところへ行くわけですが…

しかし、ここのシーン、よく見たら
…ロレインもロレインよね~

ロレインはトミーにもインタビューするのですが…おそらく、高学歴で、輝かしいキャリアの世界しか知らない彼女には、彼女の「理解の限界」もある。彼女から見えるトミー・デヴィートは、あくまでも「著しく知性が低く、粗暴な人」だった。それ以上でもそれ以下でもない…。「トミー」という人間の、様々な相対する人間性から成り立っている「全体像」も見えていない。

で、インタビューの口調からして、フランキーのときとはえらい違い…トミーを見下しているのは見え見えだし、(一方では、彼の「怖さ」が理解できていない分、非常に「無防備」でもある)「あら、あなた教え方が上手だったのね」…こんなん言われたら、あのトミーなら「脈あり」だと思うでしょうが~で、トミーが「あんたらのように頭のいい人は、高校に飽きたら、大学院に入るんだろ?」なんて言い出すと(トミーなりに「頭のいい女性の口説き方」を考えたんですよね)で、ロレインは「おやおや、おバカさんね~」的な笑いを向けるんですが(嫌な女だ)(←これ、私の独り言ね…)、それをトミーは「俺に気があるんだ」と誤解するわけです。

トミーがロレインを口説こうとしたと知ったフランキーは激高しますが、ロレインは「おバカなトミーのやったことだから」と大して深刻に受け止めていない様子。彼の言う「トミーは決して馬鹿ではない。悪魔のような恐ろしい人間なんだ!」という意味が分かりません。

そして、トミーの金銭問題の全てが明らかになり、フランキーとメンバーたちは、トミーが作った莫大な借金返済のために、ますます仕事が忙しくなります。

教養があって、すべて合理的に考えるロレインには、何故フランキーがトミーのためにこんな苦労をしなければならないのか理解できません。彼女は意を決したように荷物をまとめています。

ここのシーンの演出にも注目…

舞台に向かって左は、マリーとフランシーンが暮らしている家。そこから、父としての自信を失って出てきた彼は、今度はロレインの部屋の前にいる。フランキーは、フランシーンが親に無断で外泊しているのが心配でならない。「若い娘が街をたむろしていれば、いろいろな誘惑だってあろうに…」と語るのですが、ここ、どこを向いて語っているかは、ちょっと曖昧にしていますよね。

JBでは、いわゆる「科白・独白・傍白」がそれぞれ、いい形で独立しているのに、ここはとても珍しい。ここは「観客に向けられた」語りなのか、全くの「独白」なのか…で、面白いことに、ロレインはフランキーの語りに「介入」してくるのです。上目遣いでフランキーを見ながら…語りの内容までは彼女には聞こえていないという設定なのかも知れないけれど、しかし恋人の部屋で、娘の心配で頭がいっぱい…というのでは、彼女としては面白くないことには違いありません。そして、「語り」が一区切りついたフランキーは、ようやく、ロレインが「何をしているのか」気づくのです。

「何やってるんだ!?」

「もうたくさん!すれ違いばかりの生活…なぜ、トミーの借金のためにあなたがこんな苦労を!?トミーはあなたを利用して、馬鹿にして、そしてグループを破滅に導いたじゃないの」

フランキーは絞り出すように言います。

「君に何がわかる?ヤツは、そうせざるを得なかったんだ!」

ロレインは驚いて

「なんてことでしょ!?聖人フランシスは彼のようなアニマルにも優しいってことね…」
そして
「私が彼の前に立てることなんてないのよ!」

この場面…私は「まぁ、あちらの女性は自己主張が強いのね~」なんて醒めた目で見ていると思いマス。

相手の中の、(自分にはない)異質なものに惹かれて恋に落ちる…それはそれでいいでしょう。それでも、相手の異質さが最後まで自分とは相いれないものであると覚って、別れを決意することもありましょう…
しかし、それなら
「文句言わないで別れろ!!」

だいたい、今で言えば「キャリア・ウーマンの走り」のような自立した女性でありながら、「自分が一番前に立てない!」と不満を言うなんて、ちょっとアレじゃありませんか!?(「あんたにプライドはないのか?!」と言いたい…ダメ?)

まぁ、私の場合は、これに限らず、「女性キャラクター」にはちょっと厳しいので(笑)(ですから、あんまりこの辺は相手にしないでください…汗)

それでも、フランキーが何とも言えない寂しげな表情で「明日行けばいいだろう」を引き留めるシーンになると…「あなた…この人のこと、そこまで惚れていたのね…」と思うと、ちょっと怒りも和らぐ(笑)(ホンマに痛いこと書いてますよね~…ちゃんと自覚してます)

しかし…こうなると、男は往生際が悪い(笑)

「じゃあ…結婚しようか?」

「あなたとトミーが?それは法律では認められてないわ!」

そう来ますか~~

でも、けっこう、痛いところを突いているかもだ…

とにかく、頭が良くて合理的な考えの持ち主であるロレインには、トミーはあくまでも「知性のない、クズのような人間」であって、彼の本当の怖さも、フランキーが何故ここまでトミーという人間に深入りするのかも理解できないまま、彼のもとから去っていくことになります。


何度も観ていると…
どうして、このロレインのエピソードを入れたのだろう~と思わずにはいられないのです。実際のフランキー・ヴァリ氏の人生はもっと数多くのドラマで彩られていたであろうに…そして、このロレインとは、その後、完全に連絡が途絶えたとフランキーの口から語られることから見ても、この、ほんの短い期間だけ、関係のあった女性のエピソードを敢えてドラマの中に入れたのは何故だろう、と。

この部分は、フランキーとトミーとの複雑な確執を描くのに一役買っていることには違いありませんが、しかし…そこを描くのを最優先にしようと思えば、これじゃなくても、どんなエピソードだって「無限」に出てくるのではないでしょうか?また、フランキーは、彼女との別れをきっかけに、それまで以上に仕事に打ち込み、それが「名曲誕生」の原動力となる…という流れにも少し言及されますが、何度も見てると、それはちょっと「意味後付け」っぽいと感じるようになる。

ここは、やはり「女性の入り込めない世界」を強調したいのだと考えた方がいいのではないかと思えてくる。

古い女性の典型のようなマリーにも、当時の新しい女性のシンボルのようなロレインにも、遂に彼らの深い繋がりを理解することはできなかった。(何と言うか…「女性の限界」が、いとも簡単に描かれすぎ。ここに異議を唱えようと思えば、いくらでもできる。まぁ、私はそのあたりを敢えて見逃して楽しんでいるようなもんですね…だから、これだけ嵌まるんですが…笑)一方で、男性キャラクターは、(トミーに限らず)それぞれ、かなり重層的に描かれており、彼らが表面上の「利害」を超えた、深い部分でつながっていたことが丁寧に、観ている人の心を打つように描かれている。


このJERSEY BOYSという話に描かれているのは、きわめて「ホモソーシャルな世界」だと言えるでしょう。そして、こういう世界では、しばしば女性は犠牲者となる。

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