『朝鮮王朝実録』によれば、福建省の国禁を犯した者たちを送還したとき、朝鮮国王は「今、また馮淑ら前後とも千人以上を捕らえたが、彼らは軍器と貨物をもっている。これ以前、倭奴(日本人の蔑称)は火砲がなかったが、今では多くこれをもっている。」と明政府に報告している。長年日本の倭寇に苦しめられた朝鮮王朝は、国禁を犯す中国海商の活動で日本人に多くの火砲、つまり鉄炮がわたっていることを警戒しているのである。
この時期、朝鮮王朝はかなりの数の明人を保護したが、彼らは一様に軍器を所持していたという。この軍器に火砲が含まれているならば、朝鮮に漂着しなかった大部分の中国商船は積載した火砲(鉄炮)を日本で売りさばいたと考えられる。明宗三年(1547)の記録には、すでに福建人が倭奴と交通して、彼らに兵器を与え、かつ火砲の撃ち方を教えたことが記されている。