本日、新潟日報に新潟大学がセンター試験の試験時間中、暖房を止めていたことを批判する記事が出ましたので、あえてここでコメントしようと思います。
新潟大学事務職員の態度が悪いことは、公然の事実ですが、教授の態度も人によっては、よくないという噂は絶えない。
今回、センター試験の最中に暖房を切ったことを、大学側は騒音防止を理由に挙げているが、真冬の試験にそれは言い訳にはならない。
実際、自分の受験当時を振り返ってみても、確かに暖房はついておらず、防寒を着たまま試験を受けたのを覚えている。
挙句の果てに、廊下の電気も消され、暗い中をトイレまで歩いて行った記憶もある。
新潟大学は、「内」と「外」の論理を貫いている。
2月の期末試験のときに、暖房を切ったりはしない。また、真夏の大学院の入試でも、冷房を切ったりはしない。しかし、部外者が集まる試験への会場貸出のときは、電気までも節約する。
こうした態度は、新潟大学の社会通念との隔絶と言わざるを得ないだろう。これまで、新潟では神様のような存在として祭り上げられてきた行く末が、まさにこの事実だ。
「今まで苦情はなかった」
新潟大学はそう言いきったが、みんな大学様に何も言えなかっただけだ。
これを機に、教職員のサービス意識を改革しない限り、誰からも信頼されない組織に堕していくことだろう。
と言われても、まったく気がつかない職員ばかりであろうが。
「何も言われない」ということは、「相手にされていない」ということ。
すなわち、人の意識の中から削除されることだ。
新潟大学事務職員の態度が悪いことは、公然の事実ですが、教授の態度も人によっては、よくないという噂は絶えない。
今回、センター試験の最中に暖房を切ったことを、大学側は騒音防止を理由に挙げているが、真冬の試験にそれは言い訳にはならない。
実際、自分の受験当時を振り返ってみても、確かに暖房はついておらず、防寒を着たまま試験を受けたのを覚えている。
挙句の果てに、廊下の電気も消され、暗い中をトイレまで歩いて行った記憶もある。
新潟大学は、「内」と「外」の論理を貫いている。
2月の期末試験のときに、暖房を切ったりはしない。また、真夏の大学院の入試でも、冷房を切ったりはしない。しかし、部外者が集まる試験への会場貸出のときは、電気までも節約する。
こうした態度は、新潟大学の社会通念との隔絶と言わざるを得ないだろう。これまで、新潟では神様のような存在として祭り上げられてきた行く末が、まさにこの事実だ。
「今まで苦情はなかった」
新潟大学はそう言いきったが、みんな大学様に何も言えなかっただけだ。
これを機に、教職員のサービス意識を改革しない限り、誰からも信頼されない組織に堕していくことだろう。
と言われても、まったく気がつかない職員ばかりであろうが。
「何も言われない」ということは、「相手にされていない」ということ。
すなわち、人の意識の中から削除されることだ。