今頃 哲学 心理学

2005-12-17 12:36:34 | Weblog
私は人をものすごく性能の良いコンピュータと考えた
何もソフトを入れなければただの箱だ(人体
OSをいれれば多少は動く(生まれつきの人格
何かソフトを入れるとそのソフトが動く(知識
常駐ソフトをいれれば勝手に起動する(意識
常駐ソフトには他のソフトを勝手に使用するものも在る(知識の利用
スタンバイにすればコンピュータはシステムリソースをふやす消費電力を
少なくする(睡眠と睡眠中の栄養素消費量の低下
そして人体と呼ばれるコンピュータはCPUの画像認識速度が速く
演算能力が低いが、それを補うハードディスク容量がある(計算等の単純化
こう考えると 知識のない人が死んだ人を見て嫌悪感を示すのか?と思った
真っ白な部屋で生まれたばかりの赤ん坊を食事も気づかないようにして育て、
ある程度まで育てた後に人の死体を見せたらどのような反応をするのだろうか
嫌悪感を示せばそれは生まれつきの人格もしくは人間としての生理的にインストールされている
知識ということになる。
      -人は何故人を殺めてはいけないか-
人は何かしら知識を受けて人格や 自我を作っていると思う、
もちろん生まれつきの個体差はあるものの、すべて同じ条件下(生まれるまでの母の行動 温度 湿度 事故 担当する人が)
でそだてたならば、ほぼ同じ人格の人が出来上がると思う
知識がなければ 大きな個体差が生まれない
知識を覚えていなくとも知識が完全に消え去ることはない
少しずつ人格や自我に影響を与えていっていると思う
人を殺すことを悲観的に考えた教育、テレビなどの情報を与えずに
人が知識だけを教えられてそのままある程度まで育った場合
人を殺すのは何故いけないかという質問が出てくるであろう
知識のなかに無意識に人を殺してはいけない
人を傷つけてはいけない という事を何回も見聞きしたことによって
人に傷害を与えてはいけないという事を常識として考えている
だから説明しろと言われてもうまくはいえない
ただ、漠然にいけないことだと、思っているだけだ
よってこの質問の答えは 人を殺してはいけないと
知識として与えられたものを 自分自身の無意識記憶エリアの中に取り込んでいるのだ
      -天才とは一体何か-
天才とは、ある特定の能力を削ってある特定の能力を上げているものだと思う
あなたの知り合いに頭のいい人が居たらどこかしら抜けているはずです
たとえば客観性の皆無 注意の少なさ 協調性の皆無 他のことについてはまったくの無知
常識の皆無(これは逆に何故?とおもえて良いときと悪いときがある)

最新の画像もっと見る