◆大田姫稲荷元宮
大田道灌の娘が天然痘に罹り、霊験あらたかといわれる京都一口(いもあらい)稲荷に祈願したところ回復したので、江戸城内に社を築き勧請した。
徳川家康の江戸入府後、江戸城の鬼門に当たる駿河台に社を移した。昭和6年(1931)総武線拡張によりこの地から移転、聖橋南詰に残されたムクノキに元宮を示す木札と神符が貼られている。
◆淡路坂
坂の名は、坂上の西側にあった鈴木淡路守の屋敷から、坂の右側「ソラシティ」が建つ地は、江戸の文人「大田蜀山人」が文化9年(1812)から11年間住み文政6年(1823)に終焉を迎えた地で、明治になると三菱の2代目彌之助が結婚を期に洋館を建てて住んだ地でもある。
◆湯島聖堂
徳川綱吉が儒学の振興を図る為、元禄3年(1690)上野忍岡の林羅山邸にあった孔子廟を移し聖堂を創建。後の寛政9年(1797)には幕府直轄の学問所、昌平坂学問所が開設された
昭和10年(1935)伊東忠太設計で再建された大成殿
ぎきんとう きりゅうし
宝永元年(1704)建造の入徳門
◆天野屋
甘酒店、創業は弘化3年(1846)初代は天野新助、京都丹後の宮津藩の出で弟の仇討ちの目的で神田明神前に茶店を出した。甘酒は昔ながらの製法で、米を麹菌で発酵させ、地下約6メートルにある「室」で製造されている。
◆神田明神
天平2年(730)武蔵国豊島郡江戸柴崎(千代田区大手町、平将門塚辺り)に創建したと伝えられる。祭神は一の宮:大己貴命=大国主命=だいこく様、二の宮:少彦名命=えびす様、三の宮:延慶2年(1309)平将門公の霊を相殿に祀り「神田明神」として崇めた。
徳川家康は関が原の戦いで戦勝祈願し9月15日に勝利し、天下統一を果たした。戦勝した日は神田祭の日であったため縁起がよいと江戸幕府の年中行事とし、元和2年(1616)社殿を江戸城の表鬼門に当たるこの地に遷座し「江戸総鎮守」と称された。天下祭りといわれた神田明神祭礼は赤坂の山王日枝神社と一年ごとに行われ、江戸城に入場し将軍が上覧した。
平成15年(2003)国の登録文化財に指定された、昭和9年(1929)竣工の社殿
銭形平次の碑と八五郎の小さな碑
屋上庭園 神田の家
◆妻恋神社
日本武尊と弟橘媛姫が祭られている。 記紀に登場する日本武尊が東征の途中、相模から上総に渡る海で暴風雨に遭い、妃の弟橘媛姫が海に身を投じ海神の怒りを鎮めたといわれる。
東国を平定した帰路、この湯島の地で弟橘媛姫を恋慕う日本武尊の心を汲んで郷民が二人を祀ったのがはじまりといわれる。
◆3331アーツ千代田
千代田区文化芸術プランの重点プロジェクトとして、廃校になった練成中学校を利用して誕生したアートセンター。アートギャラリーオフィス、カフェ、ショップ等があり、気軽に文化、芸術に親しめる施設。3331は「江戸一本締め」のリズムを数字で表している。
◆2K540 AKIーOKA
秋葉原駅と御徒町駅の間の高架下につくられた「ものづくり」テーマとする施設。ショップ内に工房があったり、若い職人やデザイナーによる品々など、個性的なショップが並んでいる。
鬼龍子は確かに魔物を威嚇している。
でも鬼頭は…吹き上げる水も尾の形もなんだか 華やかでめでたい感じ。
そもそも 鯱鉾だって頭は虎で体は魚という姿なのに 屋根の上の定番として気にとめていなかた。
鮮やかな空の青と 屋根の緑青
にらみをきかせる霊獣たち
都会の不思議な空間ですね