今日は、久しぶりに聞いたケルティック・ウーマンの「Nella Fantasia(ネラ・ファンタジア)」から何かお話をしてみようと思います。で、実は私はこの曲が大好きなのです。それはアカデミー賞映画「ミッション」をビデオで何回も見たのですが、劇中でこの曲が流れているのです。オーボエの音色のようですが、大変やさしく美しく、そしてかなしいのです。その曲に歌詞をつけてあるのです。調べましたので以下に引用しましょう。 ※英訳から和訳されたもののようです。私は原文は読めませんのでスイマセンね。
Nella Fantasia
心の中で、僕は正しい世界を思い描いてみる In my mind I imagine a world of justice,
誰もが平和に正直に暮らせる世界を where everyone lives peaceful and honest lives.
僕は、常に自由な心を夢見る I dream of hearts that are always free,
空の雲のように自由な free as the clouds in the sky,
人間味に溢れた心を full of a deep humanity.
心の中で、僕は明るい世界を思い描いてみる In my mind I imagine a world of light,
夜でさえもそれほど暗くない where even the nights are not so dark.
自由な心を夢見て I dream of hearts, etc.
僕の心の中には、友達のように In my mind there's a warm breeze that
街から街へ吹きぬける暖かいそよ風がある breathes over the towns like a friend.
で、調べますと、ケルティック・ウーマンだけでなくして、色んな人が歌ったり、演奏しているようです。すると、国連でも演奏されたり、バチカンで歌っていたりしていましたから、心に来るんでしょうね。感動という訳です。それは南米のパラグアイという所のある滝の上流にこの世の天国とも言えるような・・・エデンの園のような所でしょうが、裸の人々が住んでいた訳です。そこに、日本に来た事もあるあの有名なフランシスコ・ザビエルが所属しているイエズス会のメンバーがヨーロッパから派遣されたのです。ところが、十字架に体を縛られて、川に流され、滝から落ちて殉職した所から物語は始まっていたように思います。そこで、その殉死した部下の上司である神父ガブリエルとその仲間が、音楽と共に布教に再びやって来て、キリストの愛を裸の人々に説く訳です。そこで、スペインからの移住者でロドリゴという弟殺しの人間が改心して、クリスチャン修道士として上流の布教に参加するのです。彼は愛する女性を弟に奪われて、二人に裏切られた結果、大事な弟と決闘して殺してしまった苦悩の中にいましたが、イエズス会の神父に救われ、裸の人々との交流によって救われたのです。裸の人々はバイオリンを作り、アベ・マリアを歌うというように順調に発展していきました。
ところが、ポルトガルとの領土問題が起きて、イエスズ会は上流から撤退するようにとの政治的な話に発展してしまうのです。それは豊かな生産物にポルトガルが目を付けたからです。しかし、裸の人々は昔から上流に住んでいる訳で、追い出されるのならポルトガルと戦うと言い出すのです。そこで、イエズス会が撤退すれば良かったのですが、ロドリゴやガブリエル神父の仲間は裸の人々と一緒にポルトガルの兵隊と戦って死にましたが、神父さんだけは無抵抗のまま最後は銃に撃たれて死ぬ訳です。イエズス会の幹部の人が死んだ彼らは生きているが、生きている私は死んだと言って、キリスト教信仰の本質について語っていましたね。
今回はこれ位です。それではまた。
Nella Fantasia
心の中で、僕は正しい世界を思い描いてみる In my mind I imagine a world of justice,
誰もが平和に正直に暮らせる世界を where everyone lives peaceful and honest lives.
僕は、常に自由な心を夢見る I dream of hearts that are always free,
空の雲のように自由な free as the clouds in the sky,
人間味に溢れた心を full of a deep humanity.
心の中で、僕は明るい世界を思い描いてみる In my mind I imagine a world of light,
夜でさえもそれほど暗くない where even the nights are not so dark.
自由な心を夢見て I dream of hearts, etc.
僕の心の中には、友達のように In my mind there's a warm breeze that
街から街へ吹きぬける暖かいそよ風がある breathes over the towns like a friend.
で、調べますと、ケルティック・ウーマンだけでなくして、色んな人が歌ったり、演奏しているようです。すると、国連でも演奏されたり、バチカンで歌っていたりしていましたから、心に来るんでしょうね。感動という訳です。それは南米のパラグアイという所のある滝の上流にこの世の天国とも言えるような・・・エデンの園のような所でしょうが、裸の人々が住んでいた訳です。そこに、日本に来た事もあるあの有名なフランシスコ・ザビエルが所属しているイエズス会のメンバーがヨーロッパから派遣されたのです。ところが、十字架に体を縛られて、川に流され、滝から落ちて殉職した所から物語は始まっていたように思います。そこで、その殉死した部下の上司である神父ガブリエルとその仲間が、音楽と共に布教に再びやって来て、キリストの愛を裸の人々に説く訳です。そこで、スペインからの移住者でロドリゴという弟殺しの人間が改心して、クリスチャン修道士として上流の布教に参加するのです。彼は愛する女性を弟に奪われて、二人に裏切られた結果、大事な弟と決闘して殺してしまった苦悩の中にいましたが、イエズス会の神父に救われ、裸の人々との交流によって救われたのです。裸の人々はバイオリンを作り、アベ・マリアを歌うというように順調に発展していきました。
ところが、ポルトガルとの領土問題が起きて、イエスズ会は上流から撤退するようにとの政治的な話に発展してしまうのです。それは豊かな生産物にポルトガルが目を付けたからです。しかし、裸の人々は昔から上流に住んでいる訳で、追い出されるのならポルトガルと戦うと言い出すのです。そこで、イエズス会が撤退すれば良かったのですが、ロドリゴやガブリエル神父の仲間は裸の人々と一緒にポルトガルの兵隊と戦って死にましたが、神父さんだけは無抵抗のまま最後は銃に撃たれて死ぬ訳です。イエズス会の幹部の人が死んだ彼らは生きているが、生きている私は死んだと言って、キリスト教信仰の本質について語っていましたね。
今回はこれ位です。それではまた。