「槙尾山幟上げ音頭」民謡誕生の歴史(大阪府和泉市)

「槙尾山幟上げ音頭」を紹介します。

「槙尾山幟上げ音頭」民謡誕生の歴史

2009-09-11 00:00:00 | 日記
「槙尾山幟上げ音頭」民謡誕生の歴史


 槙尾山にある施福寺は西国巡礼第4番札所であり、山岳修行の道場として発展し、役の行者が法華経を書写し、巻の尾を納めたことから、槙尾の山号が生まれた。


 空海が修行・出行・得度したことでも、名高くその古跡が多く残っている。


 槙尾山幟上げ音頭は、その槙尾山の近郷を歌った唄である。

「深山路や桧原松原(ヒバラマツバラ)わけ行けば巻の尾寺に駒ぞいさめる」

とご詠歌に歌われているが、この句も引用している。

*注釈  3番札所粉河寺と4番札所槙尾寺の間は山深く、桧原松原があり、駒(馬)と共に槙尾寺に着くまでの道中を歌った句である。



民謡歌詞

1 (ヨ-イセ  ソ-リャセ-)
  ヤレナ-エ 槙の尾開帳で 「ヨ-イセ」 横山 繁昌
  「ヨ-イセ  ソ-リャセ」 手持ち ナ-エ みかん は ソ-レサ みな売れた
  (ソリャヤ-トコセ) 「ヨ-イヤナ-」
  (アレワイナ-  コレワイナ-  ソリャ-ヨ-イトセ)

2  ・・水間 椿に・・牛滝 紅葉・・吉野・・桜に・・奈良の藤・・・・

3  ・・桧原松原・・峠を行けば・・槙の尾・・お山に・・駒が鳴く・・・・


 幟上げ音頭の歌詞は明治初期に、伊勢道中唄を元唄として、槙尾山近郷の大衆の中から、自然と生まれたものとされている。
 1番歌詞は槙尾寺の開帳で、多くの巡礼者が参列し、横山地域の繁昌した風情を名産の蜜柑と共にあらわしている。

 2番歌詞は椿・紅葉・そして他国の桜、藤の花をあらわしている。槙尾山に関係のない吉野の桜、奈良の藤については、その綺麗さに心打たれ、自然に歌われるようになったと言う説もあるが定かでない。また、唄(詩)の文(あや)で他国の花を挿入したと言う説もあるが、これも定かでない。

 3番歌詞はご詠歌の句を引用しているが、道中の「桧原」を前面に打ち出し、末尾の句「巻の尾寺に駒ぞいさめる」を「槙の尾・・お山に・・駒が鳴く・・・」と駒を主人公に代えている。

 静寂の山へ響き渡る駒の鳴く姿---目に浮かぶ。


 昔は太鼓を叩いて歌っていたが、昭和50年代にコロムビアMEの田中義男氏が三味線用に採譜して、現在の三味線演奏で歌われるようになった。また、最初の歌い出し「ヤレナ-エ」を昔は半間で歌っていたのを2/4拍子に編曲したのが、日本民謡京極流家元 京極利則氏であった。

 現在では和泉市の『日本民謡  森 武信社中』が中心となって、地元の民謡を伝承している。



* この資料を作成するに当たり、和泉市の「幸会館 民謡教室  森 武信氏」泉南市の「新家公民館 民謡教室  筒澤 育恵氏」、大阪市の「三津屋会館 民謡教室  中山 敏明氏」の御提供、ご指導をいただきましたことに感謝の意を申し上げます。

2009’09’05’   赤崎 達也 記