「夢を持て」という言葉が世間では蔓延しています。
12日のブログでも夢は叶うと表現させていただきました。夢を持つことは人を前向
きにし、人生にその人なりの色がつきひとつの楽しみなるものではないかと思いま
す。が、持つも持たぬも個人の価値観次第で自由だとも思います。
さて、今日触れます話しとは「投げかけられた若者」の気持ちです。無論、夢は
若者だけが持てる特権ではありません。人生の終わるその時まで誰もが持てるもの
だと思います。ただ、世間の「夢を持て」という概念はどうも若者達へ向けられた
人生の諸先輩方からのメッセージとして落ち着いているように感じます。ここで私
は心配をします。私個人の大きなお世話ばなし、かもしれませんが気の向いた方は
読み進んでいただくとありがたく存じます。
社会から放出される波動は非常に大きな力を持ちます。ましてや昨今では錯乱し
た情報が人の気を惑わします。その様な世界の中で憧れる諸先輩からの「夢を持て」
とメッセージを受け取った若者は「夢を持とう」と一生懸命になります。またある
若者は世間の風潮に馴染もうと夢探しをしているのではないでしょうか?
すっと自分の夢に気づく若者、
模索しながらも自分にとっての夢を見つけることができた若者、
中々夢に出会えない若者。
そして投げかける側が思う以上に感受性の高い若者は個人差あれどプレッシャー
を感じます。そういった中「夢を持て」という言葉だけが一人歩きしてしまってい
る現状に心配をしているのです。その言葉を放し飼いにしてしまうことは非常に無
責任ではなかろうかと。夢というものはひとつの目標にしかすぎないということや、
大きなものだけが夢ではない、小さなことだって立派な夢なんだと夢の中に潜む細
かい意味まで伝える必要性があると感じます。今晩食べる夕食を決めることだって
夢ですし、街へお気に入りの服を買いに行くことだって一つの夢のカタチです。
少し砕けた表現になりますが上記を例にとればご飯の炊き方を教えること、包丁
の握り方を教えることや青山の何処其処にお洒落な店があるだのコーディネートは
どうしたらよいだのといった普段自然としていることを『夢』にも置き換えてみる
ことが出来ると思います。
つまりどうしたら夢を現実のものと成せるのかという道程そのものまでもを伝え
ることが社会そして私達の責任なのではないでしょうか?若者をサポートしバック
アップした環境を整え、実の伴った背中で語り、夢を実現する為のそれまでを具体
的にアドバイスできてはじめて「人生を先に生きる人」としての務めを果たせるの
ではないかと考えています。
大きな夢は小さな夢の集大成です。大きな夢への道中は己の足で幾多の壁を乗
り越える力を身につけなければなりませんので過保護を推奨しているわけではあ
りません。そういった意味も踏まえて未来に輝くべき若者が社会のプレッシャー
に潰れぬよう的確に道を伝えていくことが大事なのではないかと思うのです。
大木そら
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