フゥくんの考え
となりの家にいるのは、ばかにんげんであると、ミィくんは言うのだ。
「ばかにんげんは、ひとり?」とぼくがたずねると、ミィくんは目を丸くして、ぼくをしげしげと見た。信じられないものを見る目つき。
「ばかにんげんは、ばかにんげん。他になにかある?」
「いや、何もない」
ぼくは尻尾を尻に敷いて、下を向いた。ぼくの耳たちも萎れて下を向いたのがわかった。ぼくの視界にはぼくの前脚がふたつ、並んでいる。ふかふかの、銀ねず色の毛が密生した、ぼくのすてきな前脚。眺めているうちにそこに顎を預けて眠りたくなったので、ぼくはそうして目を閉じた。ミィくんがするりと立ち上がって、ベランダに出ていく気配がした。
ぼくとミィくんはきょうだいなのに、わかりあえない。ミィくんは時々無茶な冒険をする。ベランダを反対側の端まで行ってしまったり、隣のベランダでお腹を見せてごろごろ日向ぼっこをしたり。隣の家の中には、幽霊かばかにんげんか、とにかく何かがいるというのに。危ないよ、とぼくが言っても、ミィくんは「ふうん」と、聞いているような、いないような息を吐くだけだ。ミィくんが出掛けてしばらく帰って来ないと、ぼくは心配になって、台所にいる家のひとのところへ相談に行く。探しに行ったほうがいいんじゃないかとか、呼んだほうがいいのではないでしょうかとか。でも、家のひとはしゃがみ込んでぼくを抱き上げ、首の後ろや背中を撫でて、「フゥくんはかわいい、いい子だねえ」と声をかけてくれるだけ。そうこうするうちにベランダからミィくんが戻ってきて、家のひとの腕の中にいるぼくをちらりと見上げて、そのまま行ってしまう。するとぼくの胸はちくりとする。ぼくは傷つくんだ。さびしいよね、ぼくたちはきょうだいなのに、わかりあえないなんて。さびしいと眠くなるから、ぼくは前脚で目を隠して熟睡する体勢を整える。
その時、ミィくんがぼくの前脚をひっぱたいて、ぼくを起こすんだ。ぼくはむっとして起き直る。だって失礼じゃないか、いくらきょうだいだって。ところが、ミィくんはすました顔で言う。「隣の家、今、窓が開いてるよ。行ってみたら」
「ぼくは嫌だよ、きみが行けばいいだろ」
「こっちはさっき行って確認してきたもの。だから面白いことがあるよって教えてあげたのに」
それでもぼくがためらっていると、ミィくんは「へえ、怖いんだ?」と言うんだよね。そう言われたら、後に引けないじゃないか。ぼくは決然として立ち上がって、窓の外に出ていく。空に向かって跳び上がる。手すりをつたって隣のベランダに着地する。軽やかに。隣の家の網戸が閉まっていると、ぼくは少しほっとする。それでは中に入れっこないから。ぼくは網戸にそっと近寄って、部屋の中を観察する。手前の部屋は何のけはいもしないけど、奥の部屋には明かりが点いて、何かの影がゆらゆら動いている。ミィくんはばかにんげんはばかにんげんと言うけれど、ぼくはそんな簡単には断定できない。ぼくらの家のひとたちだって、ひとりではなくて三人いる。ばかにんげんが幽霊ではなく、人間の一種だとしても、ひとりなのかはわからない。何度か様子を探って、何人かに分裂しないか、においは同じか、きちんと確かめないと。でも、隣の部屋に何が住んでいるか、そこまでして確認する必要があるかな? とも、ぼくは思う。誰かが住んでいるでいいじゃないか。ぼくらの家のことではないのだし、中に入るわけでもなし。どうして、ミィくんはそんなことに関心を持てるのだろう?
そう考えたのと、サッシにミィくんのにおいが残っていて、それがそのまま室内に続いているのに気づいたのと、奥のほうでゆらゆらしていた影が一歩近づいて、「あ、キミも来たんだ?」とぼくに呼びかけたのは同時だった。
ぼくは全身の毛を逆立てて、すっ飛んで逃げた。これは陰謀だ、と心の中で叫びながら。
(了)
となりの家にいるのは、ばかにんげんであると、ミィくんは言うのだ。
「ばかにんげんは、ひとり?」とぼくがたずねると、ミィくんは目を丸くして、ぼくをしげしげと見た。信じられないものを見る目つき。
「ばかにんげんは、ばかにんげん。他になにかある?」
「いや、何もない」
ぼくは尻尾を尻に敷いて、下を向いた。ぼくの耳たちも萎れて下を向いたのがわかった。ぼくの視界にはぼくの前脚がふたつ、並んでいる。ふかふかの、銀ねず色の毛が密生した、ぼくのすてきな前脚。眺めているうちにそこに顎を預けて眠りたくなったので、ぼくはそうして目を閉じた。ミィくんがするりと立ち上がって、ベランダに出ていく気配がした。
ぼくとミィくんはきょうだいなのに、わかりあえない。ミィくんは時々無茶な冒険をする。ベランダを反対側の端まで行ってしまったり、隣のベランダでお腹を見せてごろごろ日向ぼっこをしたり。隣の家の中には、幽霊かばかにんげんか、とにかく何かがいるというのに。危ないよ、とぼくが言っても、ミィくんは「ふうん」と、聞いているような、いないような息を吐くだけだ。ミィくんが出掛けてしばらく帰って来ないと、ぼくは心配になって、台所にいる家のひとのところへ相談に行く。探しに行ったほうがいいんじゃないかとか、呼んだほうがいいのではないでしょうかとか。でも、家のひとはしゃがみ込んでぼくを抱き上げ、首の後ろや背中を撫でて、「フゥくんはかわいい、いい子だねえ」と声をかけてくれるだけ。そうこうするうちにベランダからミィくんが戻ってきて、家のひとの腕の中にいるぼくをちらりと見上げて、そのまま行ってしまう。するとぼくの胸はちくりとする。ぼくは傷つくんだ。さびしいよね、ぼくたちはきょうだいなのに、わかりあえないなんて。さびしいと眠くなるから、ぼくは前脚で目を隠して熟睡する体勢を整える。
その時、ミィくんがぼくの前脚をひっぱたいて、ぼくを起こすんだ。ぼくはむっとして起き直る。だって失礼じゃないか、いくらきょうだいだって。ところが、ミィくんはすました顔で言う。「隣の家、今、窓が開いてるよ。行ってみたら」
「ぼくは嫌だよ、きみが行けばいいだろ」
「こっちはさっき行って確認してきたもの。だから面白いことがあるよって教えてあげたのに」
それでもぼくがためらっていると、ミィくんは「へえ、怖いんだ?」と言うんだよね。そう言われたら、後に引けないじゃないか。ぼくは決然として立ち上がって、窓の外に出ていく。空に向かって跳び上がる。手すりをつたって隣のベランダに着地する。軽やかに。隣の家の網戸が閉まっていると、ぼくは少しほっとする。それでは中に入れっこないから。ぼくは網戸にそっと近寄って、部屋の中を観察する。手前の部屋は何のけはいもしないけど、奥の部屋には明かりが点いて、何かの影がゆらゆら動いている。ミィくんはばかにんげんはばかにんげんと言うけれど、ぼくはそんな簡単には断定できない。ぼくらの家のひとたちだって、ひとりではなくて三人いる。ばかにんげんが幽霊ではなく、人間の一種だとしても、ひとりなのかはわからない。何度か様子を探って、何人かに分裂しないか、においは同じか、きちんと確かめないと。でも、隣の部屋に何が住んでいるか、そこまでして確認する必要があるかな? とも、ぼくは思う。誰かが住んでいるでいいじゃないか。ぼくらの家のことではないのだし、中に入るわけでもなし。どうして、ミィくんはそんなことに関心を持てるのだろう?
そう考えたのと、サッシにミィくんのにおいが残っていて、それがそのまま室内に続いているのに気づいたのと、奥のほうでゆらゆらしていた影が一歩近づいて、「あ、キミも来たんだ?」とぼくに呼びかけたのは同時だった。
ぼくは全身の毛を逆立てて、すっ飛んで逃げた。これは陰謀だ、と心の中で叫びながら。
(了)