コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
こんばんは!
(
shockcity2
)
2004-10-16 01:23:42
>そんな風潮の現在、そもそもゴダールのような作家は受
>け入れられる訳がない!そんな風にも考えました。強引?
いえ、私の周りにも受け入れてる人はあんまりいません(笑)ただ、映画に「より良い」があるならば、そして「映画とは何なのか」。それを真剣に考え、実現できる人がゴダールであって、だからこそ、批評に耐えることで作品として、また感動と共に心に「残る」のだと思います。
美術全般について言えますけど、心がデフレスパイラルになりそうです。私もスパイダーマンではナイーブになれない寂しさを感じていますよ(笑)
私もそのうちテーマブログ書き込みます。こちらにもまたお邪魔させてください。それでは(^^)/
Re: こんばんは!
(
lysander
)
2004-10-20 00:28:35
先日のいただいたコメントに触発されて、
ついついテーマブログに書き込みました。
自分の日本語(と発想の貧困)に悲しさを
感じつつ、日常にこういう文書を書く機
会がないので、少しでも鍛えられればと
思ってます。
> 私の周りにも受け入れてる人はあんま
> りいません(笑)
よく考えたら私の周りにも余りいない...
ただ、よく分からないものに対して興味
を持てる人が、確実に減っているように
思います。単にそういう時代なのか...
『映画史』観ましたよ。
(
easthope
)
2004-12-21 18:08:17
はじめまして。gooブログのテーマサロンから
ここにたどり着きました。
感想を、ということなので書かせていただきます。
端的にいうと、「ゴダール」も歳をとったなあ、と思いましたね。
作品としては、過去の映画の断片のサンプリングと文字テクストとナレーションのコラージュで、膨大な数の作品が引用されています。しかもその引用のされ方が、こちらに歩み寄る姿勢がないというか、平均的な観客に意図がわかるようにはされていないので、この映画を普通の映画を観るように「理解」しようと思ったらまず不可能だと思います。
けれども、それらの膨大な作品を引用しなければならなかったゴダールの映画への執念は伝わってきます。
結末になってゴダールは
「夢でとおりすぎた楽園で一輪の花を受け取り、目覚めてもなおその花を手にしていた男がいた。その青年は私だった」
というのですが、この言葉を僕は「映画史の途中で生まれてきて、映画に何らかの仕方でかかわってきた私だが、気がつけばすべてが過去になってしまった。でも何がしかのものは手にしていると信じたい」というゴダールの想いだと受け取りました。
こんなところで説明になっていますでしょうか?長文でおじゃまいたしました。
Re: 『映画史』観ましたよ。
(
lysander
)
2004-12-21 23:37:35
コメントありがとうございます。
どんな研究をされているのですか?
> 平均的な観客に意図がわかるようにはされていないので、この映
> 画を普通の映画を観るように「理解」しようと思ったらまず不可
> 能だと思います。
ゴダールは自分のために映画を撮っていますよね。私映画とでもい
いましょうか...
余り観る側を気にしているようには思えません。だから普通の映画
を観るようには観られないのです。私には。それが故に観たくなっ
てしまうので...恐ろしい...
> 結末になってゴダールは「夢でとおりすぎた楽園で一輪の花を受
> け取り、目覚めてもなおその花を手にしていた男がいた。その青
> 年は私だった」いうのですが、この言葉を僕は「映画史の途中で
> 生まれてきて、映画に何らかの仕方でかかわってきた私だが、気
> がつけばすべてが過去になってしまった。でも何がしかのものは
> 手にしていると信じたい」というゴダールの想いだと受け取りま
> した。
なるほど。やれることはすべてやり尽くしたという作家からのメッ
セージなのでしょうか?
『パッション』以降の作品については相性が悪いので、躊躇すると
ころですねぇ...
Unknown
(
easthope
)
2004-12-22 01:09:52
lysanderさん、コメントありがとうございます。
僕の研究は、主にアメリカ映画です。
アメリカ映画、なかでもごくふつうの物語映画を観るときに、登場人物という存在が観客の頭の中でどういうふうに解釈され、機能するのか、という理論なんかを研究しています。説明しにくいのですが…。
>なるほど。やれることはすべてやり尽くしたという作家からのメッ
>セージなのでしょうか?
受け取り方はそれぞれだと思いますが、
僕はむしろ、悔いが残っているんだけど何らかのことを成し遂げたと信じたい、というふうに受け取りました。
『映画史』は全8章、4時間もあるので、トライするときは覚悟してくださいね(笑)。
手始めに、有名映画監督がこぞって参加した10分間の短篇集『10ミニッツ・オールダー』の中のゴダールの作をご覧になって、それで興味を持たれたらチャレンジされるのをお勧めします。
僕もゴダールは初期のもの以外苦手ですね…。
Unknown
(
lysander
)
2004-12-22 01:22:07
> アメリカ映画、なかでもごくふつうの物語映画を観るときに、
> 登場人物という存在が観客の頭の中でどういうふうに解釈さ
> れ、機能するのか、という理論なんかを研究しています。
なるほど。
私も登場人物に感情移入してみたり客観視してみたり、その時
その時によって見方が変わるのですが、そうした観客の捉え方
を、理論づけてみよう、ということなのですか?
違っていたらすいません...
> 悔いが残っているんだけど何らかのことを成し遂げたと信じ
> たい、というふうに受け取りました。
厳しいですね(^^)...
> 短篇集『10ミニッツ・オールダー』の中のゴダールの作
どうもありがとうございます。観てみますね。題名だけは知っ
ているのですが、ここ数年の映画はあまり観ていないので...
TB&コメント、ありがとうございます。
(
はやし
)
2005-01-31 19:53:18
ゴダールを語るというと、シネフィル的な韜晦か、「難解」という言葉による切捨てかのどちらかに傾斜しがちなので、もっと無責任に「なーにやってんだよ、このオッサン」みたいな感じでいきたかったのですが、若干私も韜晦入っちゃってますねえ……。
突然の「場面転換」、「唐突に入る字幕。扇情的な言葉」、および映像と音の不一致、というスタイルのオリジネイターであるドゥボールの『スペクタクルの社会』を今ブログで読むという試みをやっております。よろしければご覧ください。
それでは。
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>け入れられる訳がない!そんな風にも考えました。強引?
いえ、私の周りにも受け入れてる人はあんまりいません(笑)ただ、映画に「より良い」があるならば、そして「映画とは何なのか」。それを真剣に考え、実現できる人がゴダールであって、だからこそ、批評に耐えることで作品として、また感動と共に心に「残る」のだと思います。
美術全般について言えますけど、心がデフレスパイラルになりそうです。私もスパイダーマンではナイーブになれない寂しさを感じていますよ(笑)
私もそのうちテーマブログ書き込みます。こちらにもまたお邪魔させてください。それでは(^^)/
ついついテーマブログに書き込みました。
自分の日本語(と発想の貧困)に悲しさを
感じつつ、日常にこういう文書を書く機
会がないので、少しでも鍛えられればと
思ってます。
> 私の周りにも受け入れてる人はあんま
> りいません(笑)
よく考えたら私の周りにも余りいない...
ただ、よく分からないものに対して興味
を持てる人が、確実に減っているように
思います。単にそういう時代なのか...
ここにたどり着きました。
感想を、ということなので書かせていただきます。
端的にいうと、「ゴダール」も歳をとったなあ、と思いましたね。
作品としては、過去の映画の断片のサンプリングと文字テクストとナレーションのコラージュで、膨大な数の作品が引用されています。しかもその引用のされ方が、こちらに歩み寄る姿勢がないというか、平均的な観客に意図がわかるようにはされていないので、この映画を普通の映画を観るように「理解」しようと思ったらまず不可能だと思います。
けれども、それらの膨大な作品を引用しなければならなかったゴダールの映画への執念は伝わってきます。
結末になってゴダールは
「夢でとおりすぎた楽園で一輪の花を受け取り、目覚めてもなおその花を手にしていた男がいた。その青年は私だった」
というのですが、この言葉を僕は「映画史の途中で生まれてきて、映画に何らかの仕方でかかわってきた私だが、気がつけばすべてが過去になってしまった。でも何がしかのものは手にしていると信じたい」というゴダールの想いだと受け取りました。
こんなところで説明になっていますでしょうか?長文でおじゃまいたしました。
どんな研究をされているのですか?
> 平均的な観客に意図がわかるようにはされていないので、この映
> 画を普通の映画を観るように「理解」しようと思ったらまず不可
> 能だと思います。
ゴダールは自分のために映画を撮っていますよね。私映画とでもい
いましょうか...
余り観る側を気にしているようには思えません。だから普通の映画
を観るようには観られないのです。私には。それが故に観たくなっ
てしまうので...恐ろしい...
> 結末になってゴダールは「夢でとおりすぎた楽園で一輪の花を受
> け取り、目覚めてもなおその花を手にしていた男がいた。その青
> 年は私だった」いうのですが、この言葉を僕は「映画史の途中で
> 生まれてきて、映画に何らかの仕方でかかわってきた私だが、気
> がつけばすべてが過去になってしまった。でも何がしかのものは
> 手にしていると信じたい」というゴダールの想いだと受け取りま
> した。
なるほど。やれることはすべてやり尽くしたという作家からのメッ
セージなのでしょうか?
『パッション』以降の作品については相性が悪いので、躊躇すると
ころですねぇ...
僕の研究は、主にアメリカ映画です。
アメリカ映画、なかでもごくふつうの物語映画を観るときに、登場人物という存在が観客の頭の中でどういうふうに解釈され、機能するのか、という理論なんかを研究しています。説明しにくいのですが…。
>なるほど。やれることはすべてやり尽くしたという作家からのメッ
>セージなのでしょうか?
受け取り方はそれぞれだと思いますが、
僕はむしろ、悔いが残っているんだけど何らかのことを成し遂げたと信じたい、というふうに受け取りました。
『映画史』は全8章、4時間もあるので、トライするときは覚悟してくださいね(笑)。
手始めに、有名映画監督がこぞって参加した10分間の短篇集『10ミニッツ・オールダー』の中のゴダールの作をご覧になって、それで興味を持たれたらチャレンジされるのをお勧めします。
僕もゴダールは初期のもの以外苦手ですね…。
> 登場人物という存在が観客の頭の中でどういうふうに解釈さ
> れ、機能するのか、という理論なんかを研究しています。
なるほど。
私も登場人物に感情移入してみたり客観視してみたり、その時
その時によって見方が変わるのですが、そうした観客の捉え方
を、理論づけてみよう、ということなのですか?
違っていたらすいません...
> 悔いが残っているんだけど何らかのことを成し遂げたと信じ
> たい、というふうに受け取りました。
厳しいですね(^^)...
> 短篇集『10ミニッツ・オールダー』の中のゴダールの作
どうもありがとうございます。観てみますね。題名だけは知っ
ているのですが、ここ数年の映画はあまり観ていないので...
突然の「場面転換」、「唐突に入る字幕。扇情的な言葉」、および映像と音の不一致、というスタイルのオリジネイターであるドゥボールの『スペクタクルの社会』を今ブログで読むという試みをやっております。よろしければご覧ください。
それでは。