新型コロナに勝つ!(るーくパパ&れいあ)

沖縄本島のお墓の話 過去回想編

僕が中学生の頃、沖縄が日本へ返還されました。第二次世界大戦後からこの時までアメリカに占領されていたのです。


僕が沖縄に行ったのは日本に返還されてから5年後でした。もの好きの僕は序でに九州も回るつもりで当時JRから出ていた九州周遊券を使いフェリーが出ている鹿児島まで電車を乗り継ぎました。

当時でも博多までは新幹線がありましたが全て普通路線です。学生の特権は金は無いけど時間はある!です。


自宅より最寄駅まで歩き早朝の熱海行き、その後静岡県に入り電車を乗り継ぎ名古屋、京都と途中下車をし大阪で夜行列車に乗り換えて熊本に午前中に到着。丸一日がたちましたがまだ鹿児島は先です。熊本から鹿児島行きで夕刻には鹿児島に着きました。


フェリーの時刻にはそのまま間に合うものの桜島ユースホステルで一泊して翌日は桜島観光、夕刻にフェリーに乗船し沖縄を目指しました。夜の鹿児島港を離れ暗闇の中をフェリーは進みます。


シーズンを過ぎてましたのでフェリーには乗客は十数人ほどでやる事もなくすぐに寝てしまいました。翌朝は反動で日の出前からデッキに出て朝日を浴びてましたね。


そんな無茶苦茶な旅程で沖縄到着。東シナ海でフェリーに驚き飛び上がるトビウオ!本当に海の上をグライダーの様に飛んでました。魚が跳ねるでなく飛ぶです。


那覇市内でバスに乗る。まだこの頃はエアコンはついてなかったね。沖縄の人はバスの窓をそれでも開けない。➡︎外から入る熱風の方が暑いから、、、。カルチャーショック!車窓から見えているアレは何だろう?


時にはこんな光景も?
まさかアレがお墓だとは最初は思いもしませんでした。神奈川県でもお墓参りでお弁当を食べる事は昔はあったそうです。


インターネット上に上がる写真はすでにお弁当のレベルをはるかに超えてます。ご馳走と呼んでも差支えない。


イラストだとこんな風に。
人様のお墓に行くのは憚られますが地域が変われば墓参もまた別物です。
沖縄=リゾートが定着している現代ではこの様な大きなお墓から本土並のサイズにダウンしてあちらも変わりつつある様ですね。













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