平安時代 | 805年 | 最澄、近江坂本日吉社に唐より将来した茶実を植えるという。 また茶(団茶)を持ち帰ったという。 (『日吉社神道秘密記(ひえしゃしんとうひみつき)』) |
806年 | 空海、中国より茶種、石碾(いしうす)を招来したという。 (『弘法大師年譜』) | |
鎌倉時代 | 1207年 | 明恵上人(みょうえしょうにん)、栄西(えいさい)より茶種をおくられ、 京都の栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)内に植えるという。 (『栂尾明恵上人伝』) |
1214年 | 三代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の二日酔いに対し、僧栄西が茶盞(ちゃさん)を召し進め、相副えるに「茶の徳を誉める所の書」一巻(すなわり『喫茶養生記(きっさようじょうき)』)をもってしたところ、たちまち実朝の気分爽快になったという。 (『吾妻鏡(あづまかがみ)』 | |
1241年 | 駿河国の僧弁円(そうべんえん:聖一国師)、宋(中国)から茶種を持ち帰り、同国美和村足久保に栽植したと伝える。
| |
1267年 | 大応国師(だいおうこくし)、宋より茶台子(ちゃだいす)と茶に関する書物七部を持ち帰る。(『本朝高僧伝』) また、大応国師は茶宴や闘茶の習俗をも日本に持ち帰ったとされる。 | |
南北朝時代 (室町時代) | 1336年 | 足利尊氏(あしかがたかうじ)、幕府を開き『建武式目(けんむしきもく)』を定める。 その中で連歌会(れんかかい)、茶寄合(ちゃよりあい)を群飲佚遊(ぐんいんいつゆう)として禁止する。 |
安土桃山時代 | 1578年 | 豊臣秀吉、織田信長に茶湯を許可される。 (『宋及他会記(そうきゅうたかいき)』 |
江戸時代 | 1612年 | 徳川家康、茶会用茶の品質保全のため、静岡県安倍奥井川大日峠のお茶壷屋敷に保存させる。 |
1623年 | 元和(げんな)年間(1615~1623)駿河に茶問屋おこるという。 (『日本茶業発達史』 ) | |
1654年 | 隠元禅師、中国より渡来して黄檗宗(おうばくしゅう)を開く。 | |
1685年 | 駿河国安倍足久保村から、江戸城へ御用茶として献上される。 (『安倍郡茶業組合資料』) | |
1738年 | 山城の国湯屋ヶ谷村の永谷宋七郎(宗円)精良の煎茶を創製する。 | |
1835年 | 宇治の茶師・山本嘉兵衛(徳翁)、玉露の製法を発明。 | |
1859年 | 神奈川(横浜)開校と同時に製茶が輸出される。 日本茶輸出がここに始まる。(『日本茶輸出百年史』 ) | |
明治時代 | 1869年 | 旧徳川藩士、静岡県下牧之原に土地の払い下げを受けて帰農し、茶園を開く。 (『牧之原開拓史考』) |
1885年 | 高林謙三、生葉蒸器など特許を取得。 (『高林謙三翁の生涯とその周辺』) | |
1898年 | 高林謙三、製茶機械原理の元となる茶葉荒揉機を完成させる。 (『高林謙三翁の生涯とその周辺』) | |
1908年 | 杉山彦三郎、静岡県において茶品種「やぶきた」を選抜する。 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます