らいま(lionmama)日記

ほぼハムブログ

おもいで4(仲直り)

2010年09月25日 | ハムスター
つづき

9月17日金曜日

朝、旦那の弁当をつくり、朝食の準備をして
旦那が出勤して子供が朝食の間にハム男に朝ごはんを食べさせました。
子供を学校に送り出して、もう一度ハム男を確認してからゆっくり朝食を
と思って見たら、ハム男がトイレシートの下に体を落としていました。
何枚も重ねて敷いていたんですが、端っこを齧ってめくってしまいました。
足は思うように動かないし、体も痒いし、何もすることがなければ
シートをただ齧るしかないです。
シートの下はガラス面です。
ハム男の体がおしっこでびしょびしょに濡れて冷えていました。

フェリシモで「ミズット」という高濃度の洗剤を毎月購入しているのですが
天然成分主体の洗剤で20倍に薄めるとペットのシャンプーに使えます。
20倍のペット用は犬猫かなぁと思ったので、お湯でちょっと薄めの50倍にし、
ハム男の汚れを拭きとりました。
とても嫌がっていましたが、これだけは譲れませんでした。
もうすっかり嫌われていましたし、これ以上嫌われることもないだろうと思い
ちから加減は注意しましたが遠慮なく拭かせてもらいました。
柔らかい布で毛の流れを作ってタオルドライした後、
温度と風量、直風にならないよう手を入れて注意しながらドライヤーをしました。
今までペタンこになっていたハム男の毛が、少しふっくら戻りました。
綺麗に掃除したケースに綺麗になったハム男を寝かせ、
体の上にふっくらと鼻セレブのお布団をかけてやりました。
ハム男は今までなかった優しい顔をしてぐっすり眠ってくれました。
私は安心して遅くなった朝食をとって、その後すぐ買い物に行きました。

スーパーで、ハム男に食べさせてあげたいものを全部買ってきました。
りんご、ブロッコリー、かぼちゃ、枝豆、全部国産品。
安いりんごを買ったら、怒って食べませんでした。
ハム男は味が良くわかるので、家から少し遠い良いものを仕入れるスーパーへ
自転車で行ってきました。
帰ってきてすぐ野菜を茹でました。
ブロッコリーは人が食べる固さよりさらに10分長く茹でた柔らいものに、
かぼちゃと枝豆は茹でて粒が残らないように潰して団子に、
いつでもすぐ食べられるようにラップで小分けしておきました。

昼にブロッコリーをあげると、花芽の部分だけですが、
人間1口サイズ分をぺろりと食べました。
かぼちゃはあまり美味しくなかったようで一口しか食べませんでした…
枝豆団子は仁丹ほどの大きさにして口に運ぶと喜んで食べました。
サツマイモ団子も同じにして、リンゴも薄く切って食べさせました。
お腹がふっくらしたのがわかりました。
シャンプーで気持ち良くなってぐっすり寝れたのが良かったんだなと思いました。

お腹いっぱいになってから、ハム男の様子がかわりました。
私が「ハム男」と声をかけると、
鼻をひくひくして顔を上げて目を開けてくれるようになりました。
食事や水をあげるときも、優しい目をするようになりました。
「ギャ!」と言われなくなりました。
私のこと許してくれたんだと感じました。

足が不自由になってから「かさぶた」はほとんど治りました。
痒くても掻けないので治りました。
まだ皮膚は赤くて痒そうだなとは思いましたが、傷はかなり減りました。
頭を指でそっと撫でて体の毛の流れを整えて、
「あなたが大好きよ。うちに来てくれて本当にありがとう。
 美味しいものいっぱい用意してあるからね、元気になってね。」
そう言いました。
今、言わなかったらもう生きている間に言えないと思いました。
自己満足です。
でも、口にしなかったら伝わらないと思いました。

3年前、脳梗塞で倒れ言葉を失った父には誤解されたまま別れました。
倒れて半年、父を見舞えるのは私だけだったので、ほぼ毎日病院に通いましたが
とてもここには書けないようなとんでもなく色々な難が積み重なって、
父にも母にも家族にも、私の状況を口に出して説明する気力がなくなるほど
心の底から疲れてしまい、たくさんの人に誤解をされました。
自分にできる精一杯毎日ギリギリで頑張っていたのですが、
父の病院、母の病院、自宅に実家にご近所、毎日山盛りの悪臭のする洗濯もの…
みんなが私を頼りにしても、私は体が一つしかないので、すべてに応えられず、
また出来ない理由も話さなかったので、みんなに不満がたまりました。
一人一人に1から話すパワーなどどこにも残っていませんでした。
誤解するなら勝手にしろと思うくらい。
あの時、鬱にならなかった自分の精神力は大したもんだと今でも思います。
あれ以上酷いことなんてきっとないから、私は一生鬱になることはなさそうです。
時間はかかりましたが生きている家族への誤解はゆっくりと解けました。
家族以外の誤解は解けなくても全然構わないと思ったので努力しませんでした。
友達には誤解されなかったし、私を信じてくれた人は自然とわかってくれました。
でも父は右脳をやられて言葉を失い、最後は朦朧とした1か月でしたので
誤解されたままさようならをしてしまいました。
誤解されて死に別れることは恐ろしく辛いことだと後で知りました。
あの時の私は限界を超えて頑張った、間違ったことなどしていないと
今でも胸を張って言う自信がありますが、
それでも思い出せばどうしようもなく心の痛いことです。
いつかあの世で父と話す機会があれば良いなと思っています。

だから、そういう思いはもう父だけで勘弁してもらいたかったので、
ハム男と仲直りができたことは本当に本当に嬉しかったです。

つづく

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