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♪曲紹介♪『都会のBarでお酒を飲みながら....』グローバーワシントンJr.【ジャスト ザ トゥ オブ アス】

2023-06-04 21:59:42 | 音楽

♪曲紹介♪『ジャスト ザ トゥ オブ アス』Grover Washington,Jr.

[和訳] Just The Two Of Us - Grover Washington Jr. feat. Bill Withers

グローバーワシントンJr.(1943〜1999年)ジャズ・スムースジャズ・フュージョンのSax奏者

この曲はリズムアンドブルース(略称:R&B)のジャンルの代表曲の一つである。元々R&Bは、音楽ジャンルのフュージョン、ジャズ、ブルースの要素をうまくミックスして作り上げられたサウンドである。近年は異色の要素も取り入れることで様々な進化がなされている。マライアキャリーなど活動後期の曲にも良くR&Bは取り上げられている。

又、グローバーワシントンJr.は、72年発売の初のリーダーアルバム『インナーシティブルース』でフュージョン界のトッププレーヤーとして名をあげる。

上記『ジャストザトゥオブアス』はPOPチャート第2位として、また、R&B部門で最高3位の大記録をつくった。

81年にはグラミー賞を獲得するという大快挙で素晴らしい実績を残している。世界で多くの人を魅了し幅広いジャンルで今もなお影響を与え続けているプレーヤーである。

 


♪曲紹介♪『繊細でいて切ない...でも愛と力強さのある旋律を...』ミシェル・ペトルチアーニ【September Second】

2023-06-04 10:07:32 | 日記

♪曲紹介♪ 『セプテンバーセカンド』

ミシェル・ペトルチアーニ

 

 

 

 

 

♪曲紹介♪『ブラジリアン・ライク』

ミシェル・ペトルチアーニ

 

 

 

ミシェル・ペトルチアーニ(ピアニスト)

 

 

映画「情熱のピアニズム」予告編

フランスの天才ジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ。彼の情熱的で型破りな人生と、周囲を虜にしてしまうカリスマ的魅力を、彼の演奏シーンや日常を捉えた映像と関係者へのインタビューで明らかにしていく。

 

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この偉大なジャズ・ピアニストは、若干36歳にしてこの世を去った。しかしその短い生涯も、生後間もなく「20歳位までの命」を宣告されていた彼にとっては、充分に長いものだったのかも知れない。

 

彼の音楽を聴くと涙が溢れ仕方ないのは、彼の人生が悲惨だったからなどではない。

今は亡き彼が、その音楽を通じて「人生とはどれほど素晴らしいものなのか」を雄弁に語りかけてくるからなのだ。短いと知っている人生を肯定的に受け入れ、最後まで精一杯に生きた、彼の魂の込められた演奏。

その卓越したテクニックと底知れぬ歌心が紡ぎ出すピアノの音からは、彼の背負った地獄のように恐ろしい身体的ハンディキャップや、そこから受けるであろう苦悩など、微塵も感じることがない。

その音はパワフルで、テクニカルで、ポジティブで、美しく、洗練されていて、そして何より優しさとロマンに満ち溢れているのだ。

1962年、フランスのオランジュに生まれたミシェル・ペトルチアーニは先天性の骨疾患を患っていた。骨が正常に発育しないため、成人しても身長は1メートル程度までしか伸びないばかりでなく、内臓や神経が圧迫されるので健康状態を保つことが難しく、様々な二次疾患にかかる危険性があり、いつ消えてしまうか知れない命だった。

そんな状態にありながらもピアノを学び、わずか15歳でプロデビュー、18歳でレコードデビュー。間もなく「天才ピアニスト」としてジャズ界にその名を轟かせる。

一時は自らの不幸を嘆き、自殺未遂を繰り返すという時期もあったようだが、後期にはそんな壁も乗り越え、つねにポジティブな姿勢で生きていたそうだ。僕は1990年の冬に、NYの名門「ヴィレッジ・ヴァンガード」で彼の名演奏を聴くことができます。1999年1月6日。

ミシェルはツアー先のニューヨークで急性肺炎にかかり死去。彼の亡骸は、故郷のフランスで、フレデリック・ショパンの墓の隣に埋葬された。

このことからも、彼が人々からどれほど尊敬され、愛されていたかが伺える。

 

 

 


♪曲紹介♪『休日の朝は優雅なクラシックを....』サン=サーンス【白鳥】

2023-06-04 08:07:09 | 音楽

 

♪曲紹介♪

サン・サーンス 「白鳥」 演奏:アルト・ノラス

 

サン=サーンス(作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者)

1835年10月9日〜1921年12月16日

19世紀半ばのフランスのパリに生まれたサン=サーンスは,2歳からピアノ、3歳から作曲を初めピアノ曲を披露するなどモーツァルトにも負けないほどの才能を見せ、早くからまた優れたピアニスト,オルガニストとして 活躍しました。

また、サン=サーンスは、『神童』とも呼ばれ音楽批評や研究の分野などでも業績を残しています

ドイツ的古典主義を重んじながらも、フランスの印象派やロマン派の音楽を柔軟に取り入れ、その繊細なメロディーは聞く人の心を捉えます。

 

サン=サーンスの作品は、当時流行していた印象派の音楽とは異なり、伝統的なドイツ古典主義を重んじるものでした。そのため初期の頃の作品は「時代遅れ」と思われていたようです。生涯で300曲以上の作品を残したサン=サーンスでしたが、作品が評価され始めたのは、人生の半ばを過ぎてから作曲したオペラ、「ヘンリー8世」が成功してからでした。

 

【※ロマン派=古典派音楽をロマン主義の精神によって発展させていった、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽を指す。】

 

「ヘンリー8世」の成功によって、ロマン派の大家という地位を確立したサン=サーンス。ようやくそれまでの作品が評価されるようになり、1886年に作曲された交響曲第3番は「オルガン付き」の愛称で呼ばれ、今でも親しまれています。

 

早熟の天才として成長したサン=サーンスでしたが、世間から評価されたのは、人生の後半になってからのことでした。才能が認められるかどうかは努力と、運と、時期と言ったところなのでしょうか........人生はわからないですね....!

 

晩年はその偉大な功績が讃えられ、ケンブリッジ大学から名誉博士号の授与、レジオン・ドヌール勲章最高位のグラン・クロワが贈られました。86歳で死去した際には、サン=サーンスの偉大な業績により、盛大な国葬が行われました。

 

大の旅行好きでも知られ、世界中を旅して演奏活動を行い、アフリカのアルジェリアで亡くなりました。