眼鏡を掛けて左手を見る

左手のための文書

Pity is akin to love.

2016-10-28 19:32:34 | 日記
AさんはB君と付き合っている。CさんはD君と付き合っている。AさんとCさんは友達です。
Aさんは何となくしつこいB君と別れてE君と付き合いだしました。
B君は状況を理解できずに、Aさんの友人であるCさんに悩みごとの相談を持ち掛けました。
B君を哀れに思ったCさんは相談に乗ることにしました。
CさんとB君は会うごとに仲良くなっていきます。

さて、取り残されているD君はどうなってしまうのでしょうか。またB君の思惑は何なのでしょうか。

左利きの彼

2016-10-22 19:20:00 | 日記
左利きのピアニストなんて沢山いるのだろうが、私の知る限りではグレン・グールドしかいない。亡くなる前に撮られたビデオの中で、彼は左手でペンを握っていた。
少し熱の入ったグールドファンがクラスメイトにいたので、いくつかのCDを借りて聴いたのが最初だったと思う。バッハは特別好きでも何でもないので、ベートーベンの交響曲五番をピアノ独奏用に編曲したものの演奏を聴いた。何となく勿体ぶるような癖のある感じが好きになれなかった。有名なカツァリスの壮麗な演奏とはかけ離れた音の素朴さが、どことなくケンプを髣髴とさせたのだ。またそのCDにはトラックごとにわずかな音の断絶があり、演奏効果が台無しになっていた。グールドの執拗な音源の切り取りによる編集を知っていただけに物凄く失望したのを覚えている。
それでも私の中でグールドが消えなかったのは、モーツァルトのピアノ協奏曲24番の演奏が心地よく演奏されていたからだ。前に感じたクセもなく淡々と弾かれており、私の耳から頭に染み込んでいった。とても巧いと感じ、それから私もグールドの演奏の深みにはまっていった。
グールドの偏った録音内容には確かに物足りなさを感じるが、表現者としての確固とした強い姿勢はとても素晴らしい。
個人的にグレン・グールドはラフマニノフに匹敵するピアニストなのではないかと思っている。機械のように正確なテンポとミスのない演奏がそう感じさせる。グールドがラフマニノフの協奏曲を弾いたならどんな演奏になったろうかと思うばかりである。

片腕の料理人

2016-10-19 17:32:33 | 日記
村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』という小説にディック・ノースという片腕の詩人が登場する。戦争によって左腕が肩から失われたという人物である。彼は右腕だけで綺麗にサンドイッチを作ることが出来、料理だけではなく掃除、洗濯などあらゆる家事をこなしている。主人公がパンをどうやって切るのか訊ねると、包丁の持ち方と指の使い方次第で片手で切ることが出来るのだと答える。
片腕で生活してみれば解ることだが、両腕があった時に比べて物事を卒なくこなすことは難しい。ディック・ノースは普通に料理をするだけではなく、とても「上品に」仕上げることが出来るのだ。あるいは上品に感じさせるような丁寧に仕事をしているのだろう。
片手でサンドイッチを作り綺麗にカットする。そこまでは想像できる。しかし私は彼がどのように包丁を洗っているのかがとても気になるのだ。具材を挟んだパンを綺麗に切るには、よく切れる包丁が必要である。そのよく切れる包丁を彼はどのように洗っているのだろうか。

左手のための

2016-10-18 20:01:19 | 日記
私には一生弾かないだろうなと思うピアノ曲がある。それはショパンの『革命のエチュード』だ。タイトルに負けずカッコよくて心を打つメロディーである。そしてこれは左手のための練習曲としても知られる。左手が右往左往する曲だからだ。近所の家からこの曲が流れてきたら誰もが聞き耳を立ててしまうだろう。この曲をレパートリーとして習得することは、高級なスポーツカーを所有するようなものだ。しかし速くてカッコイイものが良いと思わない私は弾く気にならないわけだ。


本物か偽物か

2016-10-17 22:20:39 | 日記
今年の五月に電子ピアノを買った。YAMAHAのARIUSという機種だ。色々と性能にこだわる人にとってはかなりの安物だろうけど、悪くないと思っている。鍵盤の見た目やキーの重さがいかにもヤマハらしかったのでこれを選んだ。ヤマハが作っているのだから当然であるが、店頭にあった他の機種は違うメーカーのように感じた。

クラシックを弾いて育った人間はアコースティックのピアノと電子ピアノを、本物と偽物というように分けがちかも知れない。私もそうである。鍵盤だけは19世紀的な「本物」っぽさを求めた。我ながらとても滑稽である。

現代ではイヤホン、テレビ、映画館などの大きなスピーカーなど、楽器以外の媒体から音が発生するのはもはや当たり前である。そしてそれぞれの音に感動した人間はきっと大勢いる。アコースティックな楽器の振動に共鳴するという感動は言葉にしようがないが、音楽の本質はそれとは別なのだろう。