嘘かマンネリかなんて関係ない。
ただ、何も思わない人間にだけはなりたくない。
とある両親の不幸での涙を誘うカキコミに対して、
ウソかホントか論議していた時に出た言葉。
大事なのは事実かどうかじゃなく、
それを見て何かを感じるかどうか。
無関心、無感動にはなりたくないです。
自分の大事なものに関わるなら特に。
ただ、何も思わない人間にだけはなりたくない。
とある両親の不幸での涙を誘うカキコミに対して、
ウソかホントか論議していた時に出た言葉。
大事なのは事実かどうかじゃなく、
それを見て何かを感じるかどうか。
無関心、無感動にはなりたくないです。
自分の大事なものに関わるなら特に。
身体の中の感情は、そのすべてが、
身体の表層にも現れるとは、限らない。
それは真実。
けれど、その外側に現れた印象は、
必ずその内面を表す。
それも事実。
その相反する2つの事を、
表現するのか、発露するのかで、
(受動なのか能動なのか)
そこから受ける印象が、変わってしまうのも事実。
大切な人を失っても涙が出ない事もある。
泣いている人のすべてが、
泣いていない人より悲しんでいるとは、言えない。
痛みや悲しみには、単位や、目盛りがないので、
人にその程度を伝えたり、
比べたりするのが難しい。
どちらにしろ、主観の問題。
外から誰かが見た、評価を気にする必要はない。
何を見ても、何かを思い出す。
棘を抱えた人は、
感情を失くさなければ、辛すぎる事もある。
無関心ではいられない。
そのままで触れてはイケナイものを。
忘れる事はできない。
触れてしまえば、再燃する。
お邪魔しました。