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難し問題
(
Asplund
)
2006-04-01 03:54:20
そんなニュースを最近耳にしたような・・
近代医学の延命技術はすさまじい進歩を見せている、一方で本人の意思により単なる延命のための治療を拒否する尊厳死という考えも出てきました。この場合は、いわゆる積極的安楽死といわれるものでしょう。日本では、他の国に比べこの考え方は、あまり受け入れられていませんが、わたしは、本人もしくは家族の同意があればよいと思います。法律を学ぶ自分にとって、この安楽死というのは、非常に難しい問題だなあと思います。うちの母は、よく、”死ぬ時は、ころっと逝けたらいいねぇ”などと口にします。(まだ元気で若いですよ!)終始重い話になって申し訳です。
拝啓、Asplundさん。デスからダイイングへ
(
kyotonc
)
2006-04-02 08:37:44
よく言われることですが、社会の近代化と共に、ヒトの死もdeathからdyingに変わってきました。dyingのプロセス(ボーダーライン)の中で、deathを誰がどのように判断するのか。20世紀初めまでは、脳幹死という概念すらなかったのですが、その脳幹死をどうとらえるのか。オランダやアメリカのある州のような、踏み込んだ判断をする社会もあれば、そうでない社会もあります。
法学部学生だけではなく、死に至たることが運命付けられている我々皆が考える重い問題です。自分の死という一人称の死ではなく、家族や親族という身近な二人称の死を経験する際に、死のボーダーラインに関する判断を必要とする場合がありますね。
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近代医学の延命技術はすさまじい進歩を見せている、一方で本人の意思により単なる延命のための治療を拒否する尊厳死という考えも出てきました。この場合は、いわゆる積極的安楽死といわれるものでしょう。日本では、他の国に比べこの考え方は、あまり受け入れられていませんが、わたしは、本人もしくは家族の同意があればよいと思います。法律を学ぶ自分にとって、この安楽死というのは、非常に難しい問題だなあと思います。うちの母は、よく、”死ぬ時は、ころっと逝けたらいいねぇ”などと口にします。(まだ元気で若いですよ!)終始重い話になって申し訳です。
法学部学生だけではなく、死に至たることが運命付けられている我々皆が考える重い問題です。自分の死という一人称の死ではなく、家族や親族という身近な二人称の死を経験する際に、死のボーダーラインに関する判断を必要とする場合がありますね。