cherryはご機嫌ななめ

日々の出来事や感じた事を綴って行きたいです!

Season Train / RAZZ MA TAZZ

2021-02-08 01:40:23 | 日記

Season Train / RAZZ MA TAZZ

多くのTVドラマやCM、COUNT DOWN TVのオープニングテーマなどに採用され

ポストミスチルと言われてた人気バンドでしたが、1999年のアルバム『Sanctuary』を最後に解散する。

いや懐かしいなあ~!

 

 


⑤北川莉央 Those who open up the future~未来を切り開く者

2021-01-19 21:41:43 | 日記

メイド姿の莉央ちゃん!

もう降参しました!!!

こんな可愛い子は実際のメイドカフェには居てません!!!

つうか、居てたら毎日通うレベルです!

 

北川莉央に出会い、惹かれた訳の話の第五回です。

肝心の北川莉央の話からは随分それておりますが我慢してお付き合いください!

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

 

 

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

 

~第五回 翻弄され続けた少女~

 

長いトンネルを脱出したモーニング娘。は一時の復活かに見えたが、その後もモーニング娘。14の快進撃は続く。

『Help me!!』に続きその後発売した

『ブレインストーミング/君さえ居れば何も要らない』

『わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団』

『笑顔の君は太陽さ/君の代わりは居やしない/What is LOVE?』

『時空を超え 宇宙を超え/Password is 0』

と何と5作連続オリコン週刊チャート初登場1位を記録して、もはや完全復活は疑いの無いものとなるのです!

世間一般の刺さり具合は不明ですが、娘。ファンの盛り上がりは相当なものだったと思います。

そんな盛り上がりを見せる中一人の少女が運命の悪戯なのか、自らの存在価値と向き合う事になる。

 

宮本佳林

 

 

宮本は小4からハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)で活動しており、その存在はハロプロ・ハロプロエッグ・ハロプロ研修生を語る上で欠かせない存在の一人だ。

彼女が異例なのは、エッグの定期公演では多くの歌割を任せれる事に留まらず、デビュー前にも関わらずミュージカル舞台に出演しTBドラマにも出演

映画のヒロインにも大抜擢され、更に地方のTVではテーマ曲を歌い、ミニアルバムまで出す活躍を見せている事である。

ファンの間では「宮本はソロデビューか娘。加入は間違いないな!」的な意見が多く、本人も謎の事務所推しに戸惑いと期待を持って活動していたに違いない。

 

しかし、そんな華やかな活躍する宮本ですが、肝心のデビューがなかなか出来ません。

モーニング娘。9期オーデ・同10期オーデにあえなく落選する。

この時、研修生の牧野と羽賀が10期オーデに合格したので、相当悔しい思いをしたのは間違いないし「もう娘。は無理かも・・・」と思い始めたのかもしれない。

宮本も焦りを感じたのか娘。加入は諦め、その後行われたスマイレージ2期オーデに挑むも落選する。

この時も同じ研修生が合格しているので宮本のショックは推して知るべしだ。

この時私は、誰かに代わって宮本を加入させなくても、宮本一人増やす事ぐらい出来たはずだ!加入したメンバーと比べて宮本のどこが悪いのか分からなかった。

 

折れ掛けた心に鞭打って挑んだ娘。11期オーデ

選ばれたのは宮本ではなく小田さくらだった。

きっと宮本の頭の中では「なぜ私じゃいけないんだ・・私に何が足りないんだ・・・」そんなことが脳裏を過っていたのではないのか

心折れるとはこの事である。

 

研修生を始める前、「中学2年生が終わるまでにデビュー出来なかったらアイドルは諦めて学業に専念する」と、親と約束していたタイムリミットも近づいてくる。

そして、そのタイムリミットを目前に控えた2013年2月に、後にJuice=Juiceとしてメジャーデビューする研修生選抜メンバーに宮本の名前が呼ばれる。

真っ先に名が呼ばれ、今までの苦労や悔しさ、やっと選ばれたと言う嬉しさなど様々な思いが止めどもない涙となって表れたのだった。

こうしてハロプロ一プロ意識の高くストイックにアイドルを追及するJuice=Juiceの宮本佳林が誕生した。

「アイドルサイボーグ」と言う言葉は宮本の為だけに使われるべきだと思います。

去年、惜しまれつつ卒業した彼女ですが、某元プロデューサーが何故宮本をオーデで落選させ続けたのかと言う質問に対して

「だってJuice=Juiceが作れなくなるじゃないですか!」と、いけしゃあしゃあと言ってのけたのを聞いて私は怒りしか無かった。

 

もしコロナ禍が無かったら、宮本の卒業公演はハロプロの後世に語り継がれる卒業公演になったに違いない。

努力を惜しまず、頑張る事を諦めず、メンバーにもファンにも常に100%の宮本佳林を見せる事でハロプロを駆け抜けていった彼女は

最後の最後まで笑顔のままステージを降りたのである。

 

「たかがアイドル されどアイドル 私はアイドル」

 

今までありがとう 宮本佳林!

 

 


④北川莉央 Those who open up the future~未来を切り開く者

2021-01-10 20:57:13 | 日記

 

これは某TV番組で「ギューされたいだけなのに」を披露した時に

カメラに一瞬抜かれた時のスクショですが

目が合っちゃいました!(照)

 

北川莉央に出会い、惹かれた訳の話の第四回です。

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

 

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

 

~第四回 絶対的エースと言われた存在の誕生と新たな娘。の誕生~

 

亀井絵里・ジュンジュン・リンリン 卒業後、4年余りの歳月が過ぎてようやく9期が加入する事になる。

譜久村聖・生田衣梨奈・鞘師里保・鈴木香音のフレッシュな4人が加入したのだが、譜久村の加入に関しては賛否両論の声も上がった。

なぜなら、当時ハロプロ研修生だった譜久村は娘。オーデで落選していたのだが、皆さんもよく知る「譜久村降りといで!」とつんくの言葉で

急きょ1名追加となったいきさつが有るので、当時は疑惑の加入とも揶揄されたのだ!

譜久村には何の責任も無いし、呼ばれた後階段を下りる所で感極まって泣き崩れてしまう場面は見る者に感動を与えたのだが

他の研修生にしてみたら心中穏やかでは無かったのではないかと・・・

まあそこには大人の事情が有ったのかもしれないし、単につんくの独断だったのかもしれないし、そこは当事者が語ることが無ければ想像で終わってしまうのだが。

ともあれ、これで9人となった事で、ファンの間で噂されていた娘。終了の不安は打ち消されることになる。

 

9期の中で最初に頭角を現すのは他の9期に圧倒的にダンススキル面で優位に立っていた鞘師だった。

最初こそ先輩メンバーに遠慮がちにみえたものの、10期としてかにゅうした飯窪春菜・石田亜佑美・佐藤優樹・工藤遥辺りから急速に進歩を見せ

事務所の意向も有ったのか、芸能人のファンも増えいつしかファンの間では「鞘師はセンターでエース」で風潮が出来上がる。

2011年9月に 高橋愛 、2012年12月に新垣里沙・光井愛佳が卒業して所謂歌唱メン言われるメンバーが田中一人となり、その埋め合わせを鞘師に頼るのかと思われたのだが

鞘師は自分がエースと言われ祭り上げられている現状にプレッシャーを感じていたのか、事務所が鞘師ひとりを特別待遇に扱う事で他のメンバーとの間に距離が出来てしまったのか

喉に負担を掛けたのか、明らかにコンサートでも声の調子が悪くなる。

ストレスから体型も崩し、そうなれば容赦ないファンの誹謗中傷に晒されることになる。

それでも懸命に娘。を引っ張って行かなければと頑張っていたのだが、ストイックに頑張れば頑張る程、メンバーからは孤立してしまうことになる。

そして、私が鞘師の心を折ることになるきっかけとなったと推測する出来事が11期として開催された「すっぴん歌姫」オーディションだ。

小田さくらが一人加入する事になるのだが、”歌姫”と言う事は歌のスキルの有る子を加入させたいと言う事なので、鞘師からすれば「私の歌のスキルは期待されていなかったんだ。」と

思ったはずである。

ダメを押したのが小田のお披露目の時田中が言い放った「やっと歌の上手い子が入ってくれた!」だ!

これは田中の道重に対する弄りに思えますが、「私は鞘師の歌は認めてないよ」と言う風な見方も出来るのである。

田中に悪気は無かったにせよ、鞘師からすれば、これは案外キツイ一言だったのではと想像するのです。

ステージで輝く自分と、本当の自分のギャップに一番苛まれていた時期だったのではないかと思うのです。

これから娘。の中でどう自分の立ち位置を確立し、どういう風な未来像を持って活動したら良いのかを一人で模索しながら

彷徨っていた様に見えたのでした。

 

2003年加入から9年目にしてようやく道重が11期オーデ開催発表の時リーダー就任が告げられる。

次は田中かなと思ったましたが、既にこの時田中からつんくに卒業の話が有ったのではないかと思います。

2013年5月田中れいな 卒業が卒業し、田中卒業の後に年号の下2桁が付く「モーニング娘。14」と娘。誕生以来初めて看板名の変更が成された。

道重のTV露出や事務所の大々的な宣伝効果も有り、52ndシングル「Help Me」でオリコンチャート週間1位を獲得し

長きに渡ったトンネルを脱出する事になる。

~第五回に続く~

 

 

 


③北川莉央 Those who open up the future~未来を切り開く者

2021-01-03 03:30:54 | 日記

「あけおめ」で始まる北川莉央のブログ

新年一発目から可愛すぎて、今年も良い年に成らざるを得ない予感しかない!

しかし笑顔といい髪型といいシックな衣装といい、スーパーな高校生です!

(黒系の衣装もとてもお似合い!)

 

 

北川莉央に出会い、惹かれた訳の話の第三回です。

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

~第三回 迷走を続ける娘。と秋元帝国に席巻されるアイドル界~

飯田圭織の卒業後、翌年には矢口真里が諸般の事情で脱退し、一か月後には矢口の抜けた穴を埋める様に7期として久住小春が 加入した。

その久住ですが、応募総数が2万人を超える中の唯一の合格者として選ばれたメンバーでプロデューサーのつんく♂をも唸らせた逸材だったにも関わらず

これが超問題児で、教育係として任命された先輩メンバーの道重さゆみの言うことは一切聞かず、ワガママし放題のうえ失言も多く、教育係の道重はストレスで激痩せしたと言われた。

 

その後2005年から2006年にかけて石川梨華・紺野あさ美 ・小川麻琴が卒業する。

2007年にAKB48が初めて紅白に出場したその年を最後に、モーニング娘。紅白出場は無くなってしまい、8期として加入した光井愛佳と中国人留学生のジュンジュン・リンリンを迎えるのだが

この頃から娘。のTVでの露出も次第に減っていくのですが、グループとしては今までの個を重視したものではなく圧倒的にクオリティの高いパフォーマンスを魅せるように変貌していく。

高橋がリーダーになった頃から、後にファンの間で「プラチナ期」と呼ばれる様になるのだが、8期が加入した後約4年間新メンバーの加入が無かった。

そして2010年に亀井絵里・ジュンジュン・リンリンが 卒業すると初期メンバーの人数と同じ5人まで減ってしまうことになる。

「ライバルサバイバル」の娘。史上最大の盛り上がりも経験させて貰えたのだが、さすがにここまでメンバーが減ると、ファンの一部では「娘。もこれまでか・・・」などと言う

不穏な空気も流れ始めます。

 

2005年に「会いたかった」でメジャーデビューしたAKB48ですが、同じ年機材故障により中止された劇場公演の代替として行われた握手イベントが好評となり、その後CDリリースに合わせて

定期的に行うようになり、ついに2009年には発売するシングルに参加するメンバーをファンと投票により決めると言う「選抜総選挙」第一回が行われ、新しいアイドルのビジネスモデルを

築き上げるげ、その後もジャンケンで選抜メンバーを決めてしまうというものや、野球のドラフト会議の様にチーム間でメンバーをドラフトし合うなど、次々と新しい試みを行い

気づけば、14thシングルで初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、2010年8月に発売した17thシングル「ヘビーローテーション」で、シングルの連続初動売上50万枚突破

オリコン登場週数120週・オリコン週間カラオケチャート48週連続1位と凄まじい勢いでトップアイドルグループに上り詰める事になるのです。

後に、SKE・HKTなど派生グループや海外にも進出したり、乃木坂46・欅坂(櫻坂)など巨大アイドル帝国を築き

気づけばモーニング娘。を含めハロープロジェクトの知名度は、メンバーの頑張りとは裏腹に下降線を辿る一方となるのです。

~第四回に続く~


②北川莉央 Those who open up the future~未来を切り開く者

2020-12-22 21:27:47 | 日記

下の画像、北川莉央the女子高生!ですね!

北川莉央ちゃんは真顔の時は美少女感が凄いですね!

しかし、笑うと糸目になるギャップが何とも可愛い!

莉央ちゃんはその時々、メイクや衣装、髪型、喋ってる時、歌ってる時など沢山の表情と雰囲気を持った子です。

 

 

北川莉央出会い、惹かれた訳の話の第二回です。

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

~第二回 二人目のセンター出現と黄金期を築いていく娘。達~

福田が脱退した後もモーニング娘。は福田脱退前に保田・矢口・市井の加入も有ったので好調を維持していましたが

6枚目のシングル「ふるさと」が不振に終わり、正念場を迎えます。

そして衝撃の新メンバー「後藤真希」が加入すことになるのです。

13歳・金髪という強烈なビジュアルで”えっ”っと思ったのはメンバーだけではないでしょう!

それまでは暗黙の了解の如く「なっちがセンター」で定着していましたが、メンバー間ではセンターになりたいと言う思いで

バチバチの状態だったと、後のメンバーの証言で、裏では激しい競争が有ったことを知ります。

そして、1999年9月9日(このシングルは9と言う数字を並べる為に、オーデで2人加入させる予定が後藤が余りにも圧倒的だったので1人加入となりメンバーは8人となる。)

モーニング娘。最大のヒット曲「ラブマシーン」が発表される。

勿論オリコン初登場1位、当時の新記録オリコンカラオケチャート17週1位、初のミリオンセラーと、特徴的なダンスと歌詞

ポップかつコミカルな要素を含んだ曲で、まさに日本中「ラブマシーン」フィーバーとなるのです!

ここまでくると誰もが認める国民的アイドルの誕生は揺るぎないものにまります。

この頃の振り付けは誰でも覚えやすいものだったので、猫も杓子も、子供からいい歳のおっさんまで真似する有様!

グループも、歌番組・バラエティ番組など見ない日は無いほどモーニング娘。の一人勝ち状態です。

後藤の加入により安部も危機感を持つだろうし、新人に負けるものかと既存メンバーのモチベーションも上がるであろうし

色々な相乗効果も相まってのヒットだったのかもしれません。

しかし、私には「後藤真希」はまったく刺さりませんでした。

好みと言うものも勿論有りますが、福田が離れた時「もう1人を特別推す事は辞めよう」と誓ったのです。

グループとしての娘。はもちろん応援していくつもりですが、今後また推しが脱退してしまい寂しい思いをするのだろうなと考えた時

一番健全な応援の仕方なのかなと当時は思っておりました。

翌年、石黒彩が卒業しオリジナルメンバーは3人になります。

そのまた翌年、4期として石川梨華・吉澤ひとみ、そして娘。の超問題児、辻希美・加護亜依が加入。

娘。の中でも「タンポポ」「プッチモに」「ミニモニ」など派生ユニットや中澤のソロなどグループとしての変化が有り

国民的アイドルとして留まるところを知らない活躍を続け、「うたばん」や「めちゃイケ」等の番組でお茶の間の人気も確固たるものにするのです。

娘。誕生の根底に有った「ロックボーカリスト」と言うものからどんどん離れていくものの、人気はうなぎ上りになって行くのは嬉しいことでもある反面

オーデで栄光を掴みながら、忘れ去られた存在になっしまった「平家みちよ」が不憫に思えた時期でもあった。

 

4期の加入1か月後に市井紗耶香が卒業、翌年には初代リーダー中澤裕子も卒業、同年5期として高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙の4人が加わり

娘。誕生以降最大の13人のメンバーまで膨れ上がるのである。

そして翌年には、人気的に早すぎる 卒業と言われた「後藤真希 」が卒業する。

そのまた翌年にはソロでデビューしていた藤本美貴と亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなが6期として加入する。

藤本と他3人は加入日が違うので、ファンの間では一人と3人で、藤本は移籍扱いで6期はあくまで亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人という認識の方の方が大多数です。

同年に保田圭が卒業し翌年には長らく不動のセンターとして娘。を牽引してきた安部なつみが卒業し、とうとうオリジナルメンバーは飯田圭織一人になってしまい

翌年に辻希美・加護亜依 も卒業を迎える。

そして翌年、遂に飯田圭織も卒業してしまい、オリジナルメンバーは居なくなってしまう事となります。

 

その同じ年秋葉原で「秋葉原48プロジェクト」が発足し、自前の劇場で初公演を行い

誕生以来独走を続けていた娘。の存在を脅かす存在になる「AKB48」が産声を上げた。

当時は、オタク文化の一つとしての扱いだった為、世間一般の興味には刺さらなかったのだが

後に娘。以上の社会現象にまで発展していく事を誰も予想していなかったのです。

~第3回に続く~