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ボチボチが一番 中途障害にて車椅子ふつーの主婦「おー」より

尽くす…こと

先日観たTVで

旦那さんが

兼ねてから趣味

だった物を

結婚を期に

仕事にされた

との事

その為

見知らぬ土地に

引っ越し

知ってる人も

勿論

居ない中

収入も

年収で200万

以上下がった

生活を

送ることに

なったのだとか…


けれど

その奥さんは

「特に自分にはやりたい事がないし、自分が働けば収入は
どうにか出来るから…
やりたい事があってそれが
出来ることなら、それを支えるのが自分の役目かなぁと思うた」

という感じの

内容を

話されていた


昨今

ドラマや漫画

ニュースでも

離婚が増えたとか

結婚しない人が

多いとか

よく聞くこの頃


熟年離婚

などにおいては

「これだけ尽くした
のだから…」

「こんなに尽くしたのに…」

「自分を犠牲にしてきた…」

とか

ありがちな話

結婚しない人に

おいては

「自分の時間や
生活リズムを変えたくない」

とか

「今特に不自由でも
ないし…」

なんて意見を

聞いたりする


なにか

自分一人で

生活していて

「不自由」

だったり

「寂しい」

から

結婚する訳でも

ないと

思うし

結婚して

出来ない事が

増えたり

1人の時間が

減ったとしても

それを

「犠牲」と

してしまうのは

なんだか

寂しいなぁと

思うおー


一昔前は

「男が稼いで
女は家庭を守るもの」

だったけど

別に

働くのが

男の人でも

女の人でも

ホンマは

関係ない訳で…

お互いの

生き方や

得手不得手に

合わせて

やればいいだけ

やと思う


そして

それに対して

どちらも

お互いに

「感謝」する事

を忘れず

恥ずかしくても

言葉や態度に

現すことで

きっと

「自分だけが…」

とか

「分かってくれない!」

という思いは

減る気がする

外で

仕事してる側も

家庭を

守ってる側も

それぞれに

しんどい事や

辛いこと

楽しい事や

嬉しい事が

あるのだから…


「尽くす」

っていうのは

そもそも

見返りや

感謝を

自ら求めた

時点で

「尽くす」

では

無くなって

「義務」や

「仕事」に

なってる気がする


きっと

家庭に居ようが

仕事をしていようが

自分の

存在を「認めて」

もらえたら

「当たり前ではない」

と分かって

もらえていたら

人はきっと

頑張れるのだ

とおーは

思う


特に

「夫婦」は

どちらか片方が

我慢したり

踏ん張っても

いつか

バランスが

取れなくなる

ものだ

だって元々

他人から

スタートしていて

生き方も

考え方も

育った環境も

違うのだから

完全に

一致するのは

なかなか

難しい事だもの


ただ

そんな中でも

何かしら

お互いに

惹かれたり

価値観が

似ていたり

好き嫌いが

似ていたり

など

縁あって

一緒になったのだ

せっかくなら

一緒に

暮らした時間が

「犠牲」や

「無駄」では

無い様な

関係で居たいし

その方が

楽しいはずだから


まぁ

何度も離婚してる

おーが

言うのは

とても

変な話だがwww




おーは

昔辞書を引くのが

好きだった

のだが

時代が変われば

載ってる言葉も

その例文も

変わる

今の時代の

辞書には

「尽くす」とは

どんな風に

載ってるのか

「夫婦」は

どう書かれて

いるのか

とても

興味がある


博識な人の事を

「歩く生き字引」

などと

言うたのも

随分昔

「字引き」=「辞書」

という事すら

知らない方が

多いかもしれない

新しい時代の

「字引き」を

読んで

アップデート

するのも

必要なのかも

しれない




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