同じ学年の先生が被災地(福島)出身の方で
今日発行された彼のクラスの学級通信に次のような詩が記載されていました。
自分の感受性くらい
茨木 のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
彼は先週末東北私学の研修会に出席なされていたようで・・・
そしてその研修会をふまえて、研修会後地元に帰られた時の心境をつづった後に
彼は次のように締めくくっています。
「社会は大きく変わる・・・。そのときに自分とは何なのかを考えさせられた一日でした。」
日々、人のせいにするな。と自分を戒めてはいますが
彼の心情を思い、研修会に参加された被災地の先生方を思い
また、彼の家族、そして自分の家族に思いを巡らせたら・・・
自らの未熟さをしらじらしく顧みることと
それでも・・・とおさえられない未熟な私の心のうごめきを感じ
なんだか苦しくなりました。
1年経ちました。
だからなんだよ、正直よ。
区切りをつけるのは勝手だ。
その一方で私たちは日々一生懸命生きている。
今日発行された彼のクラスの学級通信に次のような詩が記載されていました。
自分の感受性くらい
茨木 のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
彼は先週末東北私学の研修会に出席なされていたようで・・・
そしてその研修会をふまえて、研修会後地元に帰られた時の心境をつづった後に
彼は次のように締めくくっています。
「社会は大きく変わる・・・。そのときに自分とは何なのかを考えさせられた一日でした。」
日々、人のせいにするな。と自分を戒めてはいますが
彼の心情を思い、研修会に参加された被災地の先生方を思い
また、彼の家族、そして自分の家族に思いを巡らせたら・・・
自らの未熟さをしらじらしく顧みることと
それでも・・・とおさえられない未熟な私の心のうごめきを感じ
なんだか苦しくなりました。
1年経ちました。
だからなんだよ、正直よ。
区切りをつけるのは勝手だ。
その一方で私たちは日々一生懸命生きている。