四十過ぎのゆかいな学生生活

老人ホームで学んだこと、盲学校での指圧鍼灸の勉強、子供のキラキラとかとか、なんとなく綴ってます。

生と死に向き合う

2016年09月09日 11時39分54秒 | 大切な場所へ

人との出会いや時間を重ねるということを、ある方との出会いから考えています。

 

私は介護の仕事をしていて、出会った時から最期までその人の大切なことを一緒に大切にしながら、お年寄りさんやご家族さんと時間を重ねることで、生きて死ぬということが、ご本人やご家族さんの中にすぅ~っと入って、私達職員も納得とまではいかないけど、よぉ生きちゃったと思えるんだと感じてきました。

 

その人の大切なことを一緒に大切にしながら時間を重ねるから想い入れが深くなるんだと…。

 

想い入れがあるから、その人のことやご家族さんのことを大切に想うんだと…。

 

一緒の時間の中でその人の老いを実感するから生と死に向き合えるんだと…。

 

これは江水園で生活していただいている人や最期を迎えた人、そして、ご家族さんを見てきて間違いないことだと感じています。

 

だけど、そうではない出会いと時間もあるということを考えさせられています。

 

それと同時に、改めて家族という存在の大きさと職員のこの人のためにという深い想いを実感しています。

 

今また一つ、お年寄りさんとご家族さん、そして職員の想いから自分は教わっています。

 

その方との出会いは、8月29日。

 

まだわずか10日ばかりです。

 

その方は、ご飯を食べることが難しくなって病院に入院し、当園にこられる前は老人保健施設で生活していました。

 

食べるということについて病院では、噛むことと舌で食べ物を喉に送り込むことが出来ないが、喉まで食べもがいけば、飲み込むことは出来るという状態評価を受けていました。

 

食べ物については、嚥下調整食1j相当の形態で食べることを始め、食べられたり食べられなかったりと、大きな波を認めていました。老人保健施設でも大きな波は同様でしたが、身体に角度を付けて口の中の食べ物を喉に送り込まなくても、普通の座位姿勢で食べることが出来るところまでいっていました。

 

毎食は食べることが出来ないけど、少なからず食べることが出来るし、地元作木の方なので当園での生活を始めていただいたんです。

 

だけど、食べられないんです。

 

食事形態も介助方法も座位姿勢も声掛けも、丁寧に丁寧にしていますが、中々口を開けてくれてんないです。むしろ唇に力が入るような感じで…。

 

介護士、栄養士、看護師、相談員、みんなで色々考えて試してみても食べてもらえません。

 

何でじゃろぉ?

 

どーしたらいいんじゃろぉ?

 

みんなで悩むけど、本当に僅かしか食べてもらえません。

 

”食べさせる”と”食べる”は、全く違います。私達は”食べる”という方法で、悩み考え実践していきたい。

 

9月7日、僅かな望みを抱きながら、昼ごはんを食べに家に帰ってみました。久しぶりの我が家です。

 

一緒に帰ったのは、その方の担当介護士の竹丸サブリーダー、入江相談員、私の3人です。

 

事前の相談では、息子さんだけが迎えてくださる予定でしたが、帰ってみるとお嫁さんとお孫さんも昼ご飯に合わせて帰って来てくれちゃったんです。本当にありがたいことです。

 

私達3人は、この日家に帰ったことで、僅か10日しか一緒に生活していないけど、ご家族さんの本当の気持ちを自分の目で見て感じたというか、印象が大きく変わったというか…。

 

うまく表現できないけど、一緒に時間を重ねた長さや回数ももちろん大切だけど、家という場所で家族の老いを感じるということはとても大切なことで、私達はその家族の風景を見ながら真剣にその方のことを想い語り合うことで、時間の長さでは得ることが出来ない、”家族を感じる”ことが出来たんです。なんかこの感覚は初めてのような気がしました。

 

家に上がって私達は、持参した昼ご飯を食べる支度を始めたんですが、ご家族さん言われたんです。

 

「食べる前に仏壇に行ってみようか」と…。

 

私達は浅はかでしたね。ご家族さんの言葉ではたと気付くんです。家に帰った本当の意味を。

 

息子さんが車椅子を押して仏壇の前に行きました。

 

いつも見ていた窓から見える風景。

 

慣れ親しんだピアノの音。

 

この方はピアノの先生をしておられました。お母さんのために息子さんがピアノを弾いてくれちゃったんです。

 

お母さんは話すことが出来ません。笑うことも出来ません。手も足も動きません。今では、食べることも難しいです。だけど私達は気付いたんです。

 

息子さんの弾くピアノの音を聞いた時、目が変わったんです。

 

息子さんが弾くピアノの横にいるお母さんの姿を見て、私達は目に涙が滲みました。

 

やっぱり伝わっているんです。

 

僅かな時間ですが優しい時間でした。

 

これが介護の先にある、生と死に向き合うということに繋がるような気がしました。

 

ご飯は、やっぱり口を開けてくれてんなかったです。

 

だけど、息子さんは何度もなんどもお母さんの口にスプーンを運んでおられました。

 

お孫さんも「ばあちゃん食べんさい」って声掛けたり、頬をさすったりしてくれちゃったです。

 

お嫁さんも、かぼちゃや小豆の煮物やらっきょう漬け、アイスクリームをお母さんのために準備してくれちゃったです。

 

濃い時間でした。ご家族さんの想いが伝わる時間でした。

 

ご家族さんは、「このまま江水園で…」と言ってくれちゃったです。

 

ご家族さんと一緒に、丁寧に出来ることをしよう。

 

どれだけの時間があるかわからないけど、ご家族さんと一緒に、丁寧に生と死に向き合っていきたい。

 

加藤さん、ありがとうございます。ご家族さんもありがとうございます。大切なことを教えていただきました。まだまだ教えてください。


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