そりまち家日記

父・母・娘・息子の4人家族のそりまち家、普段の様子をどうぞ!

新しい家族=PART5=

2010年09月27日 23時51分37秒 | 日記
5日目、退院の日となりました。
今日、退院するのは三家族。
一気に病室が空きます…

午前中、パパは仕事の為、じぃじとおばぁちゃんがKOTOを連れて、迎えにきてくれました。
KOTOはまたすぐに『かえる~』が始まりましたが、今日は、ママも一緒に帰るんだよ~と教えても状況が半分つかめないようで…
ママに『たっち、ばいばい』と言う始末。

それでも、何回も説明すると、うれしくなったようで。

すっかりお姉ちゃんです


奏翔の黄疸も少し気になりますが、なんなくクリア。
ちなみに、奏翔の下にあるアフガンはKOTOの時にママが必死こいて作ったアフガン。

写真を撮ってると、KOTOも!が始まったので


帰宅後、うれしすぎて、はしゃぎまくりのKOTO。
一生懸命、奏翔のお世話をするKOTOでした


新しい家族=PART4=

2010年09月26日 23時10分02秒 | 日記
奏翔の話というより、病院の話を…

ここの病院は、病院食がものすごく豪華で有名です。
4日目、奏翔が産まれてのお祝い膳。
待ちに待った、フルコースです

ステーキとラム選べます。ということで、ラム好きのわたしは、迷うことなくラムのステーキ

美味しくいただきました~

アイスが溶けちゃったけど…デザートも豪華♪

普段の料理もものすごくて、みんな、体重が増えた~とか言う方が多いようで、

普段もこんな感じの料理

そして、3時のおやつもみんなにドリンクを聞いて周って、パフェやらケーキやらで、ものすごいです。
ちなみに、夜食のおやつも出ます。

完全母乳を目指し、頑張って吸わせていたわたしは、体重も増えることがなく…ホッとしました。


新しい家族=PART3=

2010年09月25日 23時13分22秒 | 日記
奏翔が生まれて3日目。

入院中…、この子は満腹になれば、いつまでも寝る子…
滅多に、目をあけることがなく、珍しい写真です


パパが抱っこしている写真もなかったので、KOTOと二人できたし、家族写真を


そして、この日もKOTOのすぐに『かえる~』が始まり…。
あぁ…寂しいママ。

で、このとき、看護士さんにものすごい衝撃告白をされたのです。

最初に、部屋の希望を聞かれたんですが、大部屋を希望したわたし。
で、部屋がいっぱいなのに、次々と手術を入れてしまう先生。
その事実を聞いて、一部屋、個室が明日には空くのが知っていたので、ここはもう、決め時だ!と思い、思い切って個室に移動願いを。

翌日の朝、ついに個室へ移動。
実は、この病院で一番高い部屋。

ものすご~くリッチな部屋でした

残り2日間だけでもありがたや~


新しい家族=PART2=

2010年09月23日 23時28分17秒 | 日記
翌日、奏翔に会えたのは午前11時頃。

それまで、朝一にレントゲン室は外来が始まると使うので、また、分娩室に移動。
少し、ここで、また、横になり。
隣の分娩台にはわたしの後に出産した、仲間がいたのです。
で、食事の時間になり、分娩室で食べることもできますが?と聞かれましたが、二人で食事をとるトラットリアまで移動。
同じ経産婦さんということもあり、意気投合
食事中、今度、また出産が入り、トラットリアで二人でベッドが空くのを待つことに
なかなか、これが、出産後で二人で、お尻がいた~いといいながら待ってました。

その後、二人で陣痛室のベッドが空くので、そこで寝泊りをということで、分娩室に比べればまぁいいかと思いつつ。
そして、やっと、我が子がやってきたのです!

ちなみに、これはKOTOが産まれたばかりの写真↓


似てると思うのは親のわたしたちだけかな?

そして、午後、KOTOとやっとあえて、弟が出来てうれしいのか『あかちゃん!』といいながら近寄り名前を教えると『かなと~』と呼びいい子いい子してくれました


そして…、いい子いい子もつかの間…。

KOTOはすぐに『かえる!』が始まったのです。
ママはいっぱいKOTOと話したかったのに~

そんな2日目が終了しました。

ちなみに陣痛室は狭くて、窓がなく…ベッドも狭くて。
いつ、移動できることやら…と分娩室をともにした方と話しながら…。
この日は終わったのです。

とにかく、眠れてよかった。

新しい家族=PART1=

2010年09月22日 23時31分44秒 | 日記
メールで知らせた方もいらっしゃいますが、改めて。

9月15日(水)午後15時44分3236グラム
元気な男の子が新しく家族に加わりました

琴音おねえちゃんそっくりで産まれてきた、
名前は奏翔(かなと)です

出産は、KOTOに比べて超難産で、ママは死んでました…。

朝、5時半くらいに、ん?もしや陣痛??
でも、KOTOの時と比べて痛みが弱いし…。
時間を計るか…。
と1時間ほどはかり、やっぱり陣痛だ。
しかも、15分おきだし。
経産婦の場合、15分くらいになったら電話をくださいと言われていたので、パパを起こし、病院に電話をし、7時頃、到着。

その後、病院で陣痛が強まるのを待っていたんですが、これがなかなか…
微弱陣痛だったわけで…、お昼をすぎても、一向にその気にならない子宮。

先生に『待ってる家族も疲れてるよ!(パパは椅子で眠ってました…)陣痛促進剤を打とう』ということになり、午後1時半頃、点滴を投与。
徐々に陣痛が強まり、2時間後やっと、やっとべビちゃんに会えました

そして、産まれて来た感動もつかの間…。
写真の時は幸せでした~

パパが一旦、家に帰った直後です。
出血がとまらず…大量出血で今度は、後陣痛剤の点滴を打ちますがそれでも、出血がとまらず、後陣痛と戦いつつ、助産士さんに1時間ひたすらお腹を押される。
これが、ものすごい痛みで…出産の時と劣らない痛み。
これが、3時間近くかかり、やっと、戦いから落ち着いたのが7時頃。

ちょうど、その頃家族のみんながかけつけてくれましたが、奏翔にもガラス越しでしかあえないし、ママはまだ、分娩室から出られないしで、結局、KOTOにも会えず終い…
パパもあっけらかんと帰るし…

まぁ、こんなもんさ…と思いながら、少しパパの顔を見れてホッとした自分もいたり
少し、涙があふれました…

出産ラッシュだったようで、実は、この日はベッドが空いておらず、1階のレントゲン室で寝たわたし。
ここの病院食はものすごく豪華で有名なんですが、出産の興奮と後陣痛とお尻の痛みで身体が震え、しかも、点滴を打つときに実は血管が見えない体質で3回失敗しており、やっと入ったところが右手の手首…。

まだ、点滴中のなか、夕食をとらないとで、せっかくの豪華な食事。
手が震え、食欲もわかず、右手もろくに使えないし、でも、デザートだけは~…と思い、頑張って食べました。

その後は、興奮でろくに眠れない、お腹は痛い、ベッドがつら~い…

やっと、我が子に会えたのは次の日になったのです。

その、お話はまたPART2で。