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少し長くなるかもしれないけど、記録として書き綴っておきたいと思います。
2003年結婚
2004年 長女出産
2005年11月~ 娘を保育園に預け仕事を始める
2007年5月下旬 実家へ向かう途中に車の中で初めての発作。途中で停車することもできず、このまま死ぬかと思った。
かろうじて、I.Cで降りてめまいのようなフラフラ感と悪寒、吐き気、首のあたりの違和感、息苦しさ。
娘とこのままもうダメだと思った。。。
あとほんの数キロで実家というところで、もう限界を感じ、専業主婦だった地元の友達に連絡をして、
迎えにきてもらいました。
あの恐怖感はいったいなんだったのか・・・
私は何かの病気なのか・・・
悪いことばかり考えてしまって、母親にも顔色悪いよ、と言われた。
結局、帰りは母が車を運転してその足でこのなんだかわからないものが不安で病院へ。
トンネルでこの恐怖感と体の変化が起きたことを言うと、そこの女医さんは
不安な気持ちを落ち着ける薬を出しておきますね^^
と言われ4,5日分を処方された。
(ドグマチールでした)
そして、次の日からまた仕事へ行きました。
しかし、次に来てくださいとは言われなかったので、貧血でかかっていた内科に再度受診。
その先生は自律神経失調症と言いました。
そのために自律神経の薬を飲んでいましたが、病は気から・・・というのでしょうか?
スーパーのレジ待ちでまた発作が・・・
いったい、なんなんだろう・・・
旦那に言っても理解してもらえないしそれから、買い物が憂鬱になり発作も出るようになり、
今度は違う先生の日に受診しました。
すると、不安神経症という言葉を言われました。
それから、なぜか採血や注射も怖くなりました。
仕事へ行けていたのですが、ある日出勤途中でまためまいのようなフラフラ感が・・・
首の後ろが緊張でカチカチになっていて、結局その日は病院へ行くように上司に言われ、
メニエールではないか?と言われたので、耳鼻科へ。
耳鼻科でいろいろ検査をして、結局軽いメニエール病と言われました。
つぎつぎと変わる病名。そして、恐怖感に襲われ、トイレでまで発作が出るようになってしまいました。
激しい頭痛と、吐き気とでずっと仕事にはいけませんでした。
あまりに頭痛がひどいので、耳鼻科に受診の日に言うと、脳神経外科へ今から行ってください!
と・・・。
今まであじわったことのない頭痛に耳鼻科の先生も脳の病気を疑ったのでしょう。。。
娘を保育園に預けていたので、実家の母に急遽来てもらい、脳神経外科を時間外で受診しました。
CTをとったのですが、CTの時にまた発作が出て、それでも必死にこらえました。
詳しい検査はまた後日と言われ、強めの鎮痛剤をもらいました。
私の頭の中は脳の病気だ、と思い込んでしまい頭痛は毎日続き、寝たきりの生活になってしまいました。
娘は3歳になったばかりでした。
ビデオを見せたり、私の布団の近くで遊ばせたり・・・
無邪気な娘を見ていると、こんな自分が情けなく母親失格だと思い泣いてばかりいました。
娘は心配そうに、ママ。だいじょうぶ?と布団をかけてくれたり、その優しさにまた泣けてきて・・・
まだ生まれて3年、甘えたい気持ちや、外で遊びたいとか、あったでしょう。
でも娘はいっさいわがままをいうことはありませんでした。
そうさせてしまったのは私のせいです。
それから、ずっと休んでいた仕事もパートでしたので有給もつきてしまい、もう迷惑をかけるわけにいかず、
退職願いを出しました。
旦那は平日休みの仕事なので買い物をお願いしていました。
そして、脳神経外科でMRI,MRAと検査をして異常なし。
そこで言われたのが精神的なものからくる頭痛とのこと。
私は、精神的な病であることは間違いないと思ったので、精神科を受診した。
旦那に付き添ってもらった。
そこで家族構成やら、なんか変なテストみたいのをして、
そこで言われたのはパニック障害。
昔は不安神経症と言っていたということもわかった。
それから、デプロメールというSSRIを飲み始めた。
あとは、メイラックス1mg
1日3回ユーパン。
ナウゼリン、ロキソニンを頓服でもらっていました。
娘の保育園の送り迎えは旦那の母に車を運転してもらって行っていました。
外出することや、人の集まる場所、車の運転、気づけば発作の起きたことろは
すべて避けて生活していました。
つづく。