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歴史の研究スタイル

2019-07-13 13:32:22 | 日記

今日も長くなっちゃった。

ほんと毎回、まるで関連性のない話題ばかり。

いつも

「ハッ!」としては行動し、

しばらくすると、

ぜんぜん違うことに熱中しいている。

何の計画性もない人生ではありますが

積極的で、楽しく、生きればそれでよし。

自分で選んだ生き方だもの。

 

普段ちゃらんぽらんなのに、文字にすると大真面目になる。

この豹変振りも自分で楽しんでます。

もし、ちょっとだけなら読んでみようかな、

と思う人は

ちょっとだけ読んでみてね。

 

 

《文献史学的研究スタイル以外を軽蔑する傾向に対する批判》

 

徳之島の記録を例にとると、よく税の収奪という点が注目される。

極端な表現によると8公2民であったと。

確かに文献史料のみを見ていくとそのようなことになる。

ところが、

そこには藩の目こぼし分や、地元役人の目こぼし分が反映されていない。

なぜかその面への視点がすっぽり抜け落ちて

誰も気が付かない。

どうも光の当て方に問題があるような気がする。

 

徳之島の場合(サトウキビ政策が進んだ1800年代に限るが)、

島役人による藩への献上額は異常とも言えるものがあった。

これらは、いったいどこから得た収入であったのだろうか。

一方、一般農民は黒砂糖を舐めただけで罪に問われた、

と明治大正の記録には書かれている。

ところが実際は、各家々にある程度の量は保管が許されており、

これは『仲為日記』(島役人の日誌)の記録にさりげなく出ているからわかるが、

当時問題とはなっていない。

 

また、島民はよく焼酎も飲んでいたようだ。

ノロの祭事はもちろんのこと、

永良部に代官として赴任途中の侍が残した日記に

湾屋(わんや・藩の指定港)の下っ端役人が、

夜な夜な酔っ払ってほら貝を吹くので、

眠れないじゃないか、と地元の役所に苦情を申し立てた。

朝、当の代官が呼び出して問い詰めるが

「記憶にありません」と突っぱねられて、大した注意もできなかった、

ということである。

 

8公2民の重税では、このようなことは不可能である。

では、彼らはどこからそのような余剰砂唐を手に入れていたのか、

というと、「隠し田」ないし「隠し畑」と表現される

税の対象とはなっていない田畑が相当量あったのである。

 

それを証明するには、

藩政時代の黒糖収穫高と明治12年の竿次帳によるデータを比較すればよい。

収穫高に対して税(8公2民)をかけた時代と

土地に対する税(固定資産税方式)に変えた明治以降の税方式では、

なんら耕作スタイルや品種が変わったわけではないのに、

田畑の面積が2倍前後に急拡大している。

当然、収穫高も倍増したはずである。

 

今すぐにデータを詳らかにすることはできないものの、

面倒な作業にはなるが、データ提示することは可能である。

つまり、これらの田畑は藩政時代は藩から「目こぼし」されていたのである。

だから、最大8公2民(これは、その後の会計上のからくりも加えた最大税額である)

とも言われる税負担にも耐え、

かつ島役人の膨大な蓄財も可能だったのである。

 

先ほど紹介した『仲為日記』を書いた仲為という人は、

惣横目(島役人の上から2番目の地位)をしていたが、

日記からもわかるように極めて実直な人物で、

人々からも慕われていたようだ。

西郷隆盛の世話をし、西郷家とはずっと家族ぐるみの付き合いをした間柄であった。

その仲為ですら、地元で道普請や川筋工事などを行ったうえ、

藩へ10万斤もの黒糖を献上している。

仲為は、不正などとは縁のない人物であったようだが、

その彼ですらそれほどの蓄財ができた。

まして出世蓄財に眼のない役人など、どれほどの財を持っていたのだろうか。

たとえば、

1820年ごろの公共工事ブームのときは、

島役人が競って自腹を切り、

橋をかけたり、大規模な川筋変更を行ったり、道路拡張工事を行った。

彼らは、その功績を藩に申請して、

「郷士格」(侍に順ずる)を一代ないし永代で認められるのである。

 

さて、これだけの事実がありながら、

不思議なことに「封建の極北」島津領治下の徳之島では、

農民は疲弊し、百姓による一切の抵抗は許されなかった、

武士は「切り捨て御免」の世界であった、という常識がまかり通っている。

このような誤解はどこから生まれるのか、

というに「公文書」ばかりを基礎史料としているから、

こういうことになるのである。

 

「公文書」は確かに多く残されている。

そしてそこに書かれていることは「命令調」で、

言うことを聞かなければ「断罪に処す」と書いてあるから、

まともに見れば「封建社会」を表す模範的例文集である。

もちろん通達する側は、

形式的通達であって、実情は別であることは百も承知している。

文書主義の研究者たちは、これをそのまま受け取る癖があって、

それを論拠にする。

そのために先のような「常識」が生まれるのである。

 

「人」に対する解釈が足りないからそういうことになる。

命令する役人としての立場に置かれた「人」の心理、

あるいはそれを拝受する立場の「人」。

 

「人」は耐えるばかりなどできない。

「生き残る」ためなら何だってする。家族がいるのだから。

彼等をむざむざ餓死させるくらいなら「死んだほうがまし」であろう。

これはいつの時代でも同じである。

どうにもならないとなったら、

生まれた土地など捨てて姿を隠すか、他の島へ逃げ去るか、

徒党を組んでお上に命を賭けて抵抗するか、

何らかの抵抗を行うのである。

そんなことになっては、支配するものからすると大問題である。

「上に策があれば下にも策がある」のである。

 

「人」の心理を読まずに「机上の空論」をするから見落とすのである。

自分自身がその状況におかれたらどうするか、考えてみればよい。

「おかしい」ことにいくつも気が付くはずだ。

あるいは「なぜ?」という疑問がわくはずだ。

藩の事情、お上の事情ばかり考えるから見落としが出る。

「お達し」を協議決定した「人」の心理や

作文した「人」が誰なのか、だって影響する。

 

そもそも藩がなぜそれほど強い「お達し」をするのか。

むろん、様々な島の裏事情(からくり)を知っているからである。

派遣された役人と島役人が馴れ合いになるのを防ぐため、

賄賂が横行し、不正が見受けられるため、

あるいは島役人が島民に高利貸しを行い、

借金を返せない者を質に取っていることを。

あるいは黒糖の製造に手抜きを行っていることを。

また、あるいは税の対象となるべき田畑の面積が半分ほどしかないことを。

 

とはいえ、

彼らは、文章の上では強烈な脅しをかけるものの、

現実には島を支配しているものは島役人であることも知っている。

「藩からの命令である。違反するものは厳罰に処すから、そのつもりでおれ!」

と怖い顔をして新任代官はお達しを述べるが、

「ははー!」

と神妙な顔をして引き下がる島役人にそれ以上の追求はできない。

大体、様々な折をみて、

5人しか来ない派遣役人一同へ

島役人たちからお祝いの品々が届けられれば、

それでも「たたっ斬るぞ!」と言える代官などいない。

ただただ、折り目正しくあることを心がけ、

島民に「範を垂れ」てみせることくらいしかできないのだ。

 

「人」である。

いつの時代であろうとも、今と変わらぬ「人」が政治を行い、

商工を行い、農業を行っている。

よく

「文献史学には、これまで民衆の立場からの検証が抜け落ちていた」

という反省が聞かれる。

しかし、これでは支配者、被支配者の2視点から見た単純思考に陥ってしまう。

そのような「部分」に眼をやるから見えなくなる。

すべての歴史は「人」が創るのである。

支配層が、被支配層がなどといった分別は無意味である。

この「人」は、時と場所が変われば逆転した立場になり得る。

 

歴史をやるものは、

一切の史観や政治的イデオロギー、

後世的解釈を入れてはいけないのは、当然である。

(まして、後出しジャンケンなど許されるものではない)

自分をまっさらにして、

その時代に自らも身をおかねば何も見えない。

一切のフィルターを排除しなければ行けない。

 

まして、支配層がある一定の目的(意図)を持って書かせた文献を

絶対のごとく崇拝するのは、以ての外である。

必ず、文献とは別の複数の違った視点からの検証が欠かせない。

例えば、

気象(生死にかかわる)、

宗教(太陽、火、水、石といった自然崇拝)や文化、

出自(伝統や習慣を同じくする)、

人口推移、言語(方言)、

外交(海外からの影響・世界の動き)、

地形学(地域の特性に地形が与える影響は絶大である)、

交通手段、自然(水の確保・災害)・・・

いろいろ考え付く限りに当たってみる必要がある。

 

それは「人」が生き残るために何が必要だったのか、

なぜそういう行動をとったのかを知るためである。

 

こうしてみると、

先史から始まる「歴史」を研究しようと思うものは、

先にあげた分野とは別に、

普段から心理学や哲学、宗教学、民俗学的視点の涵養が必要になりそうだ。

 

 

「人」は「動物」という生物の一種類でしかない。

すべての史跡、記録はその動物たる「人」の生きた証である。

生まれ、生き残りをかけて生き、子孫を繋ぎ、死ぬ。

これは生きとし生ける地球上の全生物が行う

「生物たるものの大共通項」である。

「本能中の本能」である。

これを必ずやベースに置き、

すべての研究は行われるべきである。

よく大学の論文などに、

実につまらない瑣末な問題にこだわって「研究」しているものが見受けられる。

それ以上、研究の応用が効きそうにもない、単なる言葉遊びのような。

まあ読み飛ばせば良い事だけど、

そんなことに有能な頭脳と人生を無駄に使っているのを見ると、

もったいないことに思う。

 

 

以上のことは、以前から心の中で思ってはいたが、

文字にはしていなかったので一度書いておこうと思った次第です。

たまに自分のブログをいくつか読んでみることがあるんですが、

自分で書いたことも忘れ、

「う~ん、なるほど。」と感心したりすることがあって、

最近「呆け」てきたのではないかと不安になることがあります。

自分の「後学」ためにも書き残しておかないとね。  

コメント (3)
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