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Re
(
りょー
)
2006-01-24 19:35:00
俺もよく言われるなw
「何楽しんでやってるねん、もっと真剣にせぃ」と。
「いやいやめちゃめちゃ真剣なんですけど…。
真剣に物事に取り組んでるし、真剣に人生を楽しもうと一生懸命努力している。
そゆときは楽しいやん。つかそれこそが楽しいやん。
ま、あなたの“真剣さとは”という認識を否定する気は無いが、俺に押し付けないで」って感じ。
ところで
岡本太郎いいでしょう
俺も大好きです。高校んときくらいからかな。
最初は何気にTVで岡本太郎の作品が出てきて、そう、まさしく美しさを感じた。
清楚さとかシャープとか魅惑的とか怪しげとか様々な形容詞があるけど、彼の作品はそれら形容詞を超越した“魂の美しさ”を感じた。
「芸術は爆発だ!」って言葉有名やね。
確かあれは「芸術は爆発だ!魂の爆発だ!」って続いたような記憶が薄っすらある。
「魂の開放だ!」だったかも。
最初聞いたときは「イカれた芸術家のおっさんがワケの分からん変なこと言うてるわー」
って思うのが一般的かと思われるし、俺もそうだったかも。
けど俺は彼の作品にはその言葉を説得する強い美しさを感じたんでその言葉をスルーすることができんかった。
これまた薄っすらした記憶やけど、インタビューで「芸術とは爆発だってどういうことですか?」
太郎:「雷みたいにピカーンときてドカーン!!」って答えてた気がする(笑)
太郎:「その爆発がでかけりゃでかいほうがいい」
みたいな事言ってたな。
まぁ、芸術活動でピカーンドカーンは俺は無いけど、なんとなく言ってることはわかる気がした。
岡本太郎がジミー大西によくしたアドバイスはこうだったような記憶がある。
「枠にとらわれるな。もっとはみ出せ!もっとはみ出せ!」
なんか彼の言葉は、爆発もしかり、はみ出せもしかり、俺にとって励ましの言葉のように感じた。
作品も好きだが、そのようなこともあり、岡本太郎が好きだ。
この件に関してはまだまだ書き足らないが一旦この辺でw
けんの文章から本を読み感銘を受けたことが感じられ、俺としても嬉しい。
Unknown
(
けん
)
2006-01-25 05:41:53
>りょう
ところで、見た目だけの真剣さは
しょうもなすぎるよね。
俺も一時期、見た目も真剣にと
しょうもない自分を演じたりしてたけど
はっきりいってしょうもないよねそれ。
少なくとも俺はそう感じた。
優先順位は極めて低い。
まあすきこそもののじょうずなれやもんね。
それが大事。
その時に人はすっごいパワーが出る。
ところで、逆に
真剣な見た目で真剣でないこと言う人いっぱいいるかよね。
真剣なふり"だけ"してフザケタこというなと、
なぜそういう人にはいわないんだろう。
例えば、おれの大嫌いな選挙カー。
真剣な顔して、自分の名前叫びまくっている。
もっと"真剣に"選挙活動しろといいたい。
ただの騒音はやめてほしい。
などなど、あげたらきりないので、これにて終了。
ところで岡本太郎
おれは絵画とかはよくわからんけど
きれいな絵で人気あるやつあるやん
ぜんぜんおもろないと思うねんなおれは。
で、岡本太郎の記念館早速行ってんけど
ぜんぜんきれいでない。
ちょっと目を背けたくなる感じであったり、悲しくなったり。本人が言うとおりでした。
とにかくきれいでないことは俺にもわかる。
でも、すっごいすきやわ彼の作品。
ポストカードとか本とか大量購入しちゃいました。
旅の途中のくせに・・・
荷物が・・・
そして、彼の言葉はすべて励ましに聞こえるっていうのやけど
それは大前研一さんにも通じるわ。
なんか同じものを感じる。
ちなみに、りょうが岡本太郎の話おれにしてくれたから
即本読みはじめれたわ。
いつも刺激をありがとう。
>太郎:「雷みたいにピカーンときてドカーン!!」って答えてた気がする(笑)
>太郎:「その爆発がでかけりゃでかいほうがいい」
>「枠にとらわれるな。もっとはみ出せ!もっとはみ出せ!」
なんつうか、めちゃめちゃええなこの言葉。
岡本太郎について
(
はる奈
)
2006-01-25 23:00:20
岡本太郎について語ると止まらない私です。作品の一つ一つに「なんだこれは。。。」と思わせるインパクトがある。
そこから感じ取れるものは、言葉にしてしまったら、「凄い」とかしかいえない。私はそれが、岡本芸術であり、普遍的な価値だと思うのです。岡本太郎の作品から悟った私の芸術観は、芸術といえるものは、他のものに代用できないからこの形になったんもので、成らざるを得なかったんだ、ということです。だから文学にしろ絵画にしろ、人に言葉で説明できるものは普遍的な芸術ではないんじゃないか、と思うわけです。しかも、太郎曰く、「芸術、即人生」なわけです。
私の好きな作品に「座ることを拒否する椅子」というのがあります。これは座る部分に顔があるんです。だから座り辛い。。。
椅子の価値って座るためのものでしょ?だけどこの作品はそれを拒否してるんです。無駄なものなんです。けど、そこには価値がある。無意味、無目的という価値が。これを見て(実際に拒否されながらも座ってw)、価値ってなんて一元的な妄想なんだろう、と感じました。そして、価値って人が一人一人違うものにもってる。「座ることを拒否する椅子があっても良いじゃないか」ということでしょう。
もう一つだけ。
「にっこり笑って悲劇的でありたい」という太郎さんの言葉があります。長くなるので、省略しますが、はじめその言葉を知った時は意味が分からなかった。けど、すごくインパクトがあった。そして、つい最近やっと自分なりの一つの結論にたどり着いた。これは、日本人に向けた言葉だと。まあ、簡単にいうと、悲劇的なことなんて自分の周りを見ても、自分の足元にも当たり前のように転がっているもので、悲劇をしょっているのは承知の上で、それを乗り越えろ。ということではないかとかんじます。すいません、うまくいえませんが。
そんなこんなで長くなりましたが、『自分の中にー』から引用させてもらうと「絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが僕の姿勢だ」という大人になりたいですね。
日本は変わらないかもしれない、むしろ悪くなってる。けど、幸いにも「岡本太郎記念館」に訪れるのはほとんど20代だそうです。日本はこれから!そんな気がしないでもない。日本も捨てたモンじゃないなと。
長文ですいません。
Unknown
(
りょー
)
2006-01-26 01:22:58
>真剣な見た目で真剣でないこと言う人いっぱいいるかよね。
大量におるなww
俺は岡本太郎館も本すら読んだことないねんけどな^^;
TVで岡本太郎の番組があったら優先して見てた程度やけど。。
その行動力、さすがです。
>それは大前研一さんにも通じるわ。
そうなんや。俺は大前さん知らんけど。
タイミングが合えば本読もうと前から思ってます。
>>はる奈さん
はじめまして、こんにちは
>座ることを拒否する椅子
あれは気持ち悪いですよねw
僕はちょっと違う受け取り方してます。
“椅子って座るためのものだが、そうじゃない椅子もある”
つまり・・・既成概念のぶち壊し。
“普通こうだろ、でもこうあってもいい”みたいな。
普通であることを拒否する姿勢。当たり前であることを拒否する姿勢。あくまでユニークを貫こうとする姿勢。
「こうなってなるものか!」みたいな意地、いたずら心、そんな所を感じます。
>日本も捨てたモンじゃないなと。
日本捨てたモンじゃないっすよ!
個々、それぞれの感性はみんな決して悪くは無い!
ただ、、、
ポッと生まれる自分の中の感性を拾わず&信じず、常識や一般回答が正しいと思ってしまっている。
ような気がします。
それがいかん。
もっと自分を信じりゃいい、自分の感性を信じりゃいい、思ったことを貫きゃいい。
一度全て疑って、納得できない常識を捨てればいい。
自分の脳みそを使えばいい。それで出た回答を信じればいい。
と思います。
最高の一冊です!
(
hamamur
)
2006-01-27 01:31:13
ご無沙汰。
2年弱ほど前、心が折れていました。
ちょうどその時にこの本に出会いました。
すっかり毒のない自分に陥ってしまっていたことに気づいたのですが、何より、励まされた。
ありがとう、岡本太郎さん。
Unknown
(
けん
)
2006-01-27 12:40:52
はる奈さん、りょうさん、Hamamurさん
ありがとうございます。
座ることを拒否する椅子に関して
●はる奈さんがいう
>価値ってなんて一元的な妄想なんだろう、と感じました。
>そして、価値って人が一人一人違うものにもってる
●りょうさんがいう
>既成概念のぶち壊し。
って、私には本質的には結局つながったことを
感じているなと思いました。
既存の価値を一元的と感じるということは
既成概念を疑うということだし、
一人の一人の価値を見出すと言うことは
既成概念に捉われず個々の価値を見つけるということやと思うからです。
はる奈さんの
>しかも、太郎曰く、「芸術、即人生」なわけです。
これもおれめっちゃすきやな。
芸術、つまり創造することこそが生きるということだってことですよね。
そして、その創造とは
りょうさんがいうことにつながりますよね。
>日本も捨てたモンじゃないなと。
>日本捨てたモンじゃないっすよ!
>個々、それぞれの感性はみんな決して悪くは無い!
>ただ、、、
>ポッと生まれる自分の中の感性を拾わず&信じず、
>常識や一般回答が正しいと思ってしまっている。
>ような気がします。
>
>それがいかん。
>
>もっと自分を信じりゃいい、自分の感性を信じりゃいい、思ったことを貫きゃいい。
>一度全て疑って、納得できない常識を捨てればいい。
>自分の脳みそを使えばいい。それで出た回答を信じればいい。
>
>と思います。
本当にその通りだと思う。
自分も常にそうありたい。
ただ今思うのは感性を貫き、自分を信じることを
そしてそのために考え抜くこと。
で、
感性をサポートするための思考力というか
シンキングスキルというか
が重要やなとおもってます。
「感性」と「問題解決力」と私が言うてるのは
このことなんですが、
そのスキルがあると自分の感性をがんがん活かせると思うんです。
つまり、創造できる。
それっておもろいし、ハッピーですよね。
>「にっこり笑って悲劇的でありたい」という太郎さんの言葉があります。長くなるので、省略しますが、
えーっとできれば、省略しないで長く書いてほしいです。
もし書くのが面倒ならぼちぼち日本に帰りますので
口頭でも聞かせてほしいです。
>Hamamurさん
毒でも尖るでも出る杭でもアタッカーでも
いろんな表現がありますが
ともにそうありましょう!
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「何楽しんでやってるねん、もっと真剣にせぃ」と。
「いやいやめちゃめちゃ真剣なんですけど…。
真剣に物事に取り組んでるし、真剣に人生を楽しもうと一生懸命努力している。
そゆときは楽しいやん。つかそれこそが楽しいやん。
ま、あなたの“真剣さとは”という認識を否定する気は無いが、俺に押し付けないで」って感じ。
ところで
岡本太郎いいでしょう
俺も大好きです。高校んときくらいからかな。
最初は何気にTVで岡本太郎の作品が出てきて、そう、まさしく美しさを感じた。
清楚さとかシャープとか魅惑的とか怪しげとか様々な形容詞があるけど、彼の作品はそれら形容詞を超越した“魂の美しさ”を感じた。
「芸術は爆発だ!」って言葉有名やね。
確かあれは「芸術は爆発だ!魂の爆発だ!」って続いたような記憶が薄っすらある。
「魂の開放だ!」だったかも。
最初聞いたときは「イカれた芸術家のおっさんがワケの分からん変なこと言うてるわー」
って思うのが一般的かと思われるし、俺もそうだったかも。
けど俺は彼の作品にはその言葉を説得する強い美しさを感じたんでその言葉をスルーすることができんかった。
これまた薄っすらした記憶やけど、インタビューで「芸術とは爆発だってどういうことですか?」
太郎:「雷みたいにピカーンときてドカーン!!」って答えてた気がする(笑)
太郎:「その爆発がでかけりゃでかいほうがいい」
みたいな事言ってたな。
まぁ、芸術活動でピカーンドカーンは俺は無いけど、なんとなく言ってることはわかる気がした。
岡本太郎がジミー大西によくしたアドバイスはこうだったような記憶がある。
「枠にとらわれるな。もっとはみ出せ!もっとはみ出せ!」
なんか彼の言葉は、爆発もしかり、はみ出せもしかり、俺にとって励ましの言葉のように感じた。
作品も好きだが、そのようなこともあり、岡本太郎が好きだ。
この件に関してはまだまだ書き足らないが一旦この辺でw
けんの文章から本を読み感銘を受けたことが感じられ、俺としても嬉しい。
ところで、見た目だけの真剣さは
しょうもなすぎるよね。
俺も一時期、見た目も真剣にと
しょうもない自分を演じたりしてたけど
はっきりいってしょうもないよねそれ。
少なくとも俺はそう感じた。
優先順位は極めて低い。
まあすきこそもののじょうずなれやもんね。
それが大事。
その時に人はすっごいパワーが出る。
ところで、逆に
真剣な見た目で真剣でないこと言う人いっぱいいるかよね。
真剣なふり"だけ"してフザケタこというなと、
なぜそういう人にはいわないんだろう。
例えば、おれの大嫌いな選挙カー。
真剣な顔して、自分の名前叫びまくっている。
もっと"真剣に"選挙活動しろといいたい。
ただの騒音はやめてほしい。
などなど、あげたらきりないので、これにて終了。
ところで岡本太郎
おれは絵画とかはよくわからんけど
きれいな絵で人気あるやつあるやん
ぜんぜんおもろないと思うねんなおれは。
で、岡本太郎の記念館早速行ってんけど
ぜんぜんきれいでない。
ちょっと目を背けたくなる感じであったり、悲しくなったり。本人が言うとおりでした。
とにかくきれいでないことは俺にもわかる。
でも、すっごいすきやわ彼の作品。
ポストカードとか本とか大量購入しちゃいました。
旅の途中のくせに・・・
荷物が・・・
そして、彼の言葉はすべて励ましに聞こえるっていうのやけど
それは大前研一さんにも通じるわ。
なんか同じものを感じる。
ちなみに、りょうが岡本太郎の話おれにしてくれたから
即本読みはじめれたわ。
いつも刺激をありがとう。
>太郎:「雷みたいにピカーンときてドカーン!!」って答えてた気がする(笑)
>太郎:「その爆発がでかけりゃでかいほうがいい」
>「枠にとらわれるな。もっとはみ出せ!もっとはみ出せ!」
なんつうか、めちゃめちゃええなこの言葉。
そこから感じ取れるものは、言葉にしてしまったら、「凄い」とかしかいえない。私はそれが、岡本芸術であり、普遍的な価値だと思うのです。岡本太郎の作品から悟った私の芸術観は、芸術といえるものは、他のものに代用できないからこの形になったんもので、成らざるを得なかったんだ、ということです。だから文学にしろ絵画にしろ、人に言葉で説明できるものは普遍的な芸術ではないんじゃないか、と思うわけです。しかも、太郎曰く、「芸術、即人生」なわけです。
私の好きな作品に「座ることを拒否する椅子」というのがあります。これは座る部分に顔があるんです。だから座り辛い。。。
椅子の価値って座るためのものでしょ?だけどこの作品はそれを拒否してるんです。無駄なものなんです。けど、そこには価値がある。無意味、無目的という価値が。これを見て(実際に拒否されながらも座ってw)、価値ってなんて一元的な妄想なんだろう、と感じました。そして、価値って人が一人一人違うものにもってる。「座ることを拒否する椅子があっても良いじゃないか」ということでしょう。
もう一つだけ。
「にっこり笑って悲劇的でありたい」という太郎さんの言葉があります。長くなるので、省略しますが、はじめその言葉を知った時は意味が分からなかった。けど、すごくインパクトがあった。そして、つい最近やっと自分なりの一つの結論にたどり着いた。これは、日本人に向けた言葉だと。まあ、簡単にいうと、悲劇的なことなんて自分の周りを見ても、自分の足元にも当たり前のように転がっているもので、悲劇をしょっているのは承知の上で、それを乗り越えろ。ということではないかとかんじます。すいません、うまくいえませんが。
そんなこんなで長くなりましたが、『自分の中にー』から引用させてもらうと「絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが僕の姿勢だ」という大人になりたいですね。
日本は変わらないかもしれない、むしろ悪くなってる。けど、幸いにも「岡本太郎記念館」に訪れるのはほとんど20代だそうです。日本はこれから!そんな気がしないでもない。日本も捨てたモンじゃないなと。
長文ですいません。
大量におるなww
俺は岡本太郎館も本すら読んだことないねんけどな^^;
TVで岡本太郎の番組があったら優先して見てた程度やけど。。
その行動力、さすがです。
>それは大前研一さんにも通じるわ。
そうなんや。俺は大前さん知らんけど。
タイミングが合えば本読もうと前から思ってます。
>>はる奈さん
はじめまして、こんにちは
>座ることを拒否する椅子
あれは気持ち悪いですよねw
僕はちょっと違う受け取り方してます。
“椅子って座るためのものだが、そうじゃない椅子もある”
つまり・・・既成概念のぶち壊し。
“普通こうだろ、でもこうあってもいい”みたいな。
普通であることを拒否する姿勢。当たり前であることを拒否する姿勢。あくまでユニークを貫こうとする姿勢。
「こうなってなるものか!」みたいな意地、いたずら心、そんな所を感じます。
>日本も捨てたモンじゃないなと。
日本捨てたモンじゃないっすよ!
個々、それぞれの感性はみんな決して悪くは無い!
ただ、、、
ポッと生まれる自分の中の感性を拾わず&信じず、常識や一般回答が正しいと思ってしまっている。
ような気がします。
それがいかん。
もっと自分を信じりゃいい、自分の感性を信じりゃいい、思ったことを貫きゃいい。
一度全て疑って、納得できない常識を捨てればいい。
自分の脳みそを使えばいい。それで出た回答を信じればいい。
と思います。
2年弱ほど前、心が折れていました。
ちょうどその時にこの本に出会いました。
すっかり毒のない自分に陥ってしまっていたことに気づいたのですが、何より、励まされた。
ありがとう、岡本太郎さん。
ありがとうございます。
座ることを拒否する椅子に関して
●はる奈さんがいう
>価値ってなんて一元的な妄想なんだろう、と感じました。
>そして、価値って人が一人一人違うものにもってる
●りょうさんがいう
>既成概念のぶち壊し。
って、私には本質的には結局つながったことを
感じているなと思いました。
既存の価値を一元的と感じるということは
既成概念を疑うということだし、
一人の一人の価値を見出すと言うことは
既成概念に捉われず個々の価値を見つけるということやと思うからです。
はる奈さんの
>しかも、太郎曰く、「芸術、即人生」なわけです。
これもおれめっちゃすきやな。
芸術、つまり創造することこそが生きるということだってことですよね。
そして、その創造とは
りょうさんがいうことにつながりますよね。
>日本も捨てたモンじゃないなと。
>日本捨てたモンじゃないっすよ!
>個々、それぞれの感性はみんな決して悪くは無い!
>ただ、、、
>ポッと生まれる自分の中の感性を拾わず&信じず、
>常識や一般回答が正しいと思ってしまっている。
>ような気がします。
>
>それがいかん。
>
>もっと自分を信じりゃいい、自分の感性を信じりゃいい、思ったことを貫きゃいい。
>一度全て疑って、納得できない常識を捨てればいい。
>自分の脳みそを使えばいい。それで出た回答を信じればいい。
>
>と思います。
本当にその通りだと思う。
自分も常にそうありたい。
ただ今思うのは感性を貫き、自分を信じることを
そしてそのために考え抜くこと。
で、
感性をサポートするための思考力というか
シンキングスキルというか
が重要やなとおもってます。
「感性」と「問題解決力」と私が言うてるのは
このことなんですが、
そのスキルがあると自分の感性をがんがん活かせると思うんです。
つまり、創造できる。
それっておもろいし、ハッピーですよね。
>「にっこり笑って悲劇的でありたい」という太郎さんの言葉があります。長くなるので、省略しますが、
えーっとできれば、省略しないで長く書いてほしいです。
もし書くのが面倒ならぼちぼち日本に帰りますので
口頭でも聞かせてほしいです。
>Hamamurさん
毒でも尖るでも出る杭でもアタッカーでも
いろんな表現がありますが
ともにそうありましょう!