寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

やまちゃん.....。

 

 

私が会社勤めをして居た時だ。私はやまちゃんと言う56歳ぐらいの男性の車に何時も乗って居た。私は免許が取れないからね。常識で考えて見れば解ると思いますが。精神疾患者は車の免許は取れません。勿論、そんな事は会社では私は誰にも言っては居ない。大体が誰でもが、私の状態を見れば免許を持つのは無理だろうと思うからだ。しかしその事が解らないバカも居た。ゆきかずだ。彼は私に何時もの如くに、車の中に先に乗って居てと言っては後から乗って来て「何で免許を取らないんだ!!普段贅沢に暮らしてるんだろう(笑)。免許取る金が無いのか!?無いなら会社から借りて取れ!!」と言うのだ。そして、私が幾ら今日は彼女と会うから、大切な人との待ち合わせだから早めに帰してくれと言っても、嫌がらせをして、わざと遅らせて待ち時間に間に合わない様にした。まあ、バカなゆきかずの事は如何でもいいが。今回の話はやまちゃんに付いてです。

彼は身長185cmの長身で、学歴は高卒だった。彼はうちの会社に来る前は確か喫茶店でコーヒーを入れて居たと思う。だからコーヒーに付いての蘊蓄は会社の誰よりも詳しかった。彼の話で面白い話がある。彼が高校時代に、野球部の先輩とすき焼きパーティーをすることになったそうだ。彼は先輩から金を貰って肉屋で肉を買って来てくれと言われたが、彼と彼の仲間2人はその金をネコババして肉は買わず。何と野良付いて居た、赤犬と野良猫を棒っ切れで撲殺して、肉を削ぎ取りその肉を先輩に渡したそうだ。昭和20年代から30年代に掛けては野良犬は結構居たのだ。しかも毎回だったそうだ。

そして先輩たちはその犬やら猫の肉を食べさせられて居る事すら解らなかったらしい。ただ、この話にはおまけがある、何とそんな事をして居たやまちゃんは。其れ以来、肉が食えなくなって仕舞ったのだそうだ。撲殺された野良犬と野良猫の祟りだ。私が働いて居た1980年代だが。当時はファミリーレストランが全盛だった、彼と一緒に乗って居る時は。何時も昼は会社が材料を入れて居たファミリーレストラン「ペキニーズ」で昼を食べたが、彼は肉が特に挽肉がダメなのでハンバーグだとか食べられなくて。何時も最上の値段の鶏肉のソテーしか食べれなかった。そのおかげで私も彼の奢りで鶏肉のソテーを毎日食べて居た、

このメニューにはサラダとチキンスープにライスが付いて居て、食べでがあった。私はお礼に彼に録画した映画が入ったビデオテープをよく渡して居た。特にアラン・ドロンとクリント・イーストウッドの映画を上げた。彼は喜んで居たっけな。そして私から受け取ったビデオが40本になると言ってビデオラックを購入したと言って居た。今はBlu-rayレコーダーの時代だ。DVDですらもう古い。話は変わるが私はDVDに、映画、アニメとかドキュメンタリーとかを録画したモノを4千7百枚は所有して居る。Blu-rayに録画したものは430枚ぐらい所有して居ます。まあ、人に依っては、ハードディスクに撮りためるのが、今の時代には当たり前に流行って居ると言うが・・・・。

私は盤に拘ります。ハードディスクは単価当たりが高いですからね。盤なら1枚あたり80円で済みますから。ただ場所を取りますけどね。いいでは無いですか其れも楽しみの一つですから。そして購入したDVDとBlu-rayのソフトは併せて、648枚ぐらい所収して居ます。CDは約400枚。レコードは432枚はあると思います。書籍は約800冊は所収して居ます。何て贅沢なと言う人が居ますが。私は旅行もしないし。此れだけ貯めたのは、ほぼ40年で貯めたのですよね。人は色々な趣味があると思います。山登りが好きな人。ジョギングが好きな人。本が好きな人。サッカーが好きな人。人に依って千差万別です。私は音楽と映画と読書が趣味なだけですよ・・・・・・。(๑>◡<๑)

 

 

 

 

【普段メイク】志貴式適当デイリーメイクをご紹介します。※エンディングおまけ動画あり

 

 

 

エッセイ。

「本当のブルース」

 

私のバンド活動は1980年代も始めになって居た。その日私は自宅に居た。そして自宅で寝て居た。私は暫くして映画が観たくなった。それで隣町にレンタルビデオを借りに行く事にした。すると見慣れないレンタル屋が一軒出来て居た。私はその店に入って行った。すると店内にはおばあさんが一人で店番をして居た。そして、私を椅子に座らせるとそのお婆さんは、コーヒーを入れてくれた。私は恐縮しながらコーヒーを飲んでお婆さんに言った。「新しく出来た店ですね。」するとそのお婆さんは言った。「ええ、最近出来たんですよ。この店は私が作った店なので。他の店より余り品揃いが良くは無いけど。」私はコーヒを飲みながらビデオが置いてある棚をつらつら観て居た。するとその年に公開されたばかりの「ダーティーハリー4」が置いてあった。私はまだビデオ化は早いんじゃ無いかなと思ってよくパッケージを見て見ると、なんと海賊版だった。私は「海賊版か....。」とは思ったが、「ダーティハリー4」は見たかったから手に取ると、また棚を見始めた。よく見て見ると。どうやら劇場公開したばかりの作品が並んで居る。もちろん違法だ。だが、この頃はまだ規制は無かった。だから海賊版が結構レンタル屋には並んで居たものだ。だが此処の様に全部海賊版の店というのはめずらしかった。

私は見て居るうちに、或るアダルト・ビデオが目に付いた。それは何とあの官能劇画で有名なダーティ松本が監修をしたアダルト・ビデオだった。私は内心興味があった。しかし主人はお婆さんと言えども女性だ。私は、何かこんなビデオまであるのかと思い棚に戻した。そしてまた見て行くと。今度は安彦良和監督作の「ビーナス戦記」と「アリオン」が置いてあった。この作品も海賊版だった。私はおばあさんに言った。「此処は新作のビデオが多いですね。」するとお婆さんは「息子が商品を持って来てくれるんですよ。」と言って微笑んだ。私はこのビデオとさっきの「ダーティハリー4」を借りた。料金は安く、当時、レンタルビデオは1泊2日で1本5百円はして居た頃だったが。そこは三百円だった。私は構わず借りて来た。帰って来てビデオを再生して見ると少し画像が荒かったが、鑑賞する分には差し障りは無かった。私は喜んで見て居た。「ビーナス戦記」はアニメだが、オリジナル作品で少しエッチだった。そして2本目の「ダーティハリー4」を見てみた。画像は矢張り少し荒いがこれも干渉するのに何ら支障はない。

私は「ゴー・ア・ヘッド・メイク・マイ・ディ。(撃て、望む処だ!!)」と言う台詞でハリーがマグナム弾を連射して撃てる自動小銃の、オートマグで悪党を射殺するシーンを見て喜んで居たらチャイムが鳴った。出て見ると若い男で、「ギターマガジン」のメンバー募集の広告を見て、やって来たと言う。私は少し困ってしまったが、その人は熱心に聞いて来る。歌いたいらしい。しかし私はその男を見て一緒には悪いがやれないと思った。しかしそう、あからさまに断る訳には行かずに、相手がどんな生活をして居るか確かめてから断ろうと思ったので、その男の家に行く事にした。その男もそれを望んだ。私は電車に乗り込んで座ると言った。「あんた、大学生?」と。「何故?」と言うから、「歳が若いと思って」と言った。すると相手も聞いて来た。「あんたは大学生か?」だから言った「いや大学にはもう行って居ないよ」と言ったら「どこの大学?」と言うので「拓大だよ」と言ったら。声を荒げて言った「拓大なんて卒業してもドカタにも慣れねえよ!!」話は怒らず冷静に聞いた「仕事何して居るの?」すると「俺は高校中退で今はテレビのドラマや歌謡番組の裏方をして居る。言っちゃあ何だが、あんたより給料はいいぜ」私は成程と思って聞いて居た。

私は「うちはブルースバンドだよ」と言ったが。その男はその問いには答えずに「太田裕美や榊原郁恵は一見お嬢様っぽいけど、とんだあばづれだ」と言った。その人が住んで居るのは新大久保だった。昔から、コリアンタウンとして有名で、世界中の果物やら野菜などが手に入る八百屋や、一日中格安で商品を取り揃えて居るスーパなどがある。町にはベトナム人やらタイ人。そして韓国人が多い。その駅前から少し離れた処にその男のアパートがあった。その人は八百屋で、ジャガイモとモヤシを買うと私を連れて部屋に連れて行った。部屋は7畳と6畳のお勝手の2部屋で少し大きかったが、風呂は無くシャワーだけがあった。トイレは共同トイレだった。私は部屋に上がって部屋の様子を見て居た。安い型崩れのステレオが置いてあった。後14型のテレビが置いてあった。その人はちょうど夕食どきと言う事もあって、鍋にインスタントラーメンを2玉入れるとモヤシとスープを入れて煮出した。そして煮詰まって麺がほぐれる頃を見計らって、卵を二つ入れてまた煮込んだ。出来上がると丼に半分写し、私に割り箸と共に渡した。自分は鍋に入れたままで食べ始めた。

私がゆっくり食べて居ると、ジャガイモを奥が深い鍋に入れてとろ火で煮始めた。そして、棚の上に置いてあったトランペットをラソシド、ラソシドと吹いて得意げに言った「マイルス何か簡単だぜ!!」そして古びたギターを持ち出すと弾いて歌い出した。自作の歌だと言う。私は歌声を聞いて、矢張りなと思った。下手なのだ。だから私はギターを貸してくれと言ってブルースのフレーズを弾いて見た。しかし何か音が変なのだ。待てよと思ってギターの裏を見たら、大きな穴が開いて居る。そうしたらその男が言った。「ギターはそこそこ弾けるじゃねえか」私はギターを置いて言った。「悪いけど今ギターの方は弾いて居ないよ、ブルースハープを吹いて居るから」と言った。すると間を置いてから言った。「ハープでブルース何かやるのか?」私は勘違いして居るなと思い言った。「いや、あのハープじゃなくてハーモニカの事だよ」「ハーモニカ?」だから腰から下げて居たマリンバンドを見せて吹いて見た。その男は黙って居た。すると本棚から一冊の本を取り出すとそれを私に寄越した。そして言った。「あんたにやるよ」私はその本を見て言った。

「この本は図書館のマークがあるじゃない」すると言った。「それは前に借りて居た本で前の場所からは引っ越したので返して居ないがもう3年にもなるんだ」私は「いや、要らないから持って居なよ。返す様になるかも知れないよ」そう言うと。ステレオにレコードをセットして言う。「このレコードはオーティシュ・ラッシュだぞ!!」私はガッカリした、そのレコードはブルースでもなくディスコ音楽のレコードだった。私は言った。「オーティス・ラッシュのコブラセッションを持って居るよ」そして続けて聞いた。「あんたの、そのしゃくれ返った顎の事だけど、どうしたんですか?」すると言い始めた。「まだフリーになる前にテレビ局の裏方同士で喧嘩になって相手をぶん殴ったら、そいつに丁度、改築中で置いてあった、角材で顔をぶん殴られた、血反吐を吐いて40度の熱が出て。ひと月寝て居たがもう治った」私は言った「医者には行かなかったんですか?」そいつは言った「治ったからいいんだ」続けて私が言った「1ヶ月の寝たきりって食事とかどうして居たのですか?」その男は「メイク係の女の子がホッカホカ亭の弁当を差し入れてくれた」と言った。

私は「どうしようもないなぁ、、」と思って口を噤んだ。するとその人は押し入れを開けて私に、敷布団と毛布をよこして、自分は冬用の掛け布団にくるまって寝始めた。私は慌てて言った「咥えタバコだよ。火が布団に燃え移るよ。」すると「何、火が燃え移ったら水を掛ければいいさ」と言う。だから私は言った、鍋もあれから4時間ぐらい煮て居るけどいいのですか?」すると一言こう言った。「俺はこれでもフランス料理を勉強して居るんだ、大丈夫だよ」そしてタバコの灰は畳に落ちて消えて仕舞った。私は冷えるなと思い毛布を頭から被り、そして呟いた、「俺は最近、何か嫌なものしか見て居ないな」そして眠りに着いた。朝になって、私は今、何時だと思って目を覚ました。朝の7時だった、あの男はすでに起きて居て。料理を作って居た。なるほど豪勢な料理だった。それをバックに詰めると言った。顔を洗えよ。私は歯ブラシが2つあったのを見て、「あれ」と思った。するとその男が言った。「ちょっとこの料理持って来てくれないか」私は何だと思ったが、「どこに行くんだ」と聞いた。すると「彼女の家だよ」と言った、

そして、私を連れて近所のアパートに行くと扉を叩いた。すると、頭にカールを巻いた女の人が出て来た。歳は少し行って居たが、若く思えた。彼は「これ、差し入れです」と言って私の手から鞄を受け取るとその女の人に渡して言った。「綾子の様子はどうですか?」その女の人は気怠そうに言った。「相変わらずよ。でももういいみたいだよ」私は意味が解らず黙って居た。帰りに聞いた。「あの人が彼女ではないでしょ。誰ですか」すると言った「綾子のお姉さん」そして続けて言った「綾子は産婦人科で体調が悪くて入院して居る」私は「産婦人科?」と聞き返した。するとその男は「あんたも男だから解るだろ。」私は「ああ...。」と思った。子供が出来て下ろしたのだ。それから体調が悪いのだ。男は言った「あんた朝飯はどこで食べる?」そして俺は此処で食べるからとラーメン屋の前で言って、最後に言った。「これでお別れだ」そして言った、「あんたお坊ちゃん育ちだな、俺はあんたより年下だけども、まあ、色々あらあな」私はその男の年齢を聞いて見た。まだ20歳だった。私よりも3歳、歳下だ。しかし、確かに私より物事を知って居そうだった。そして、最後の最後に言った。「あんたバンド頑張りな。安心していいよ。俺はバンドには入らないから」と、そして「昨夜は楽しかったよ。じゃあな」言った。私は電車に乗った。そして考え込んだ「ブルースとはああ言う人たちの歌だよ・・・」そう呟くと家路に着いたのだった。。。

 

ダーティーハリー4  

映画『ヴイナス戦記』冒頭10分映像【Blu-ray <特装限定版> 7月26日(金)発売!】

1986年公開「アリオン」劇場予告編

 

 

ー可愛い妹ー 

或日の夕方、食事を待って居ると電話が鳴った、私が出たら中学時代からの友達で、切羽詰まった声で言う。「今からうちに来てくれないか」私は何だと思い聞いて居たら。母親の凄い怒声とバキ!と言う何かを打って居る音が聞こえて来た。私は「何だよ、今から食事だよ!!」と言ったが、どうしても来てくれと言う。私は、仕方が無くその友人の家に出向いた 。チャイムを鳴らすと母親が出て来た。私は直斗君に呼ばれたのですが。と言った。すると少し考え込んでから私を家に上げて友人の部屋に通した。私は誰も居ない部屋を見て言った。「直斗君は、居ないのですか?」すると「直斗は今風呂に入って居ます。だから此処の部屋で待って居て下さいね。」そう言うと引き戸を閉めて居なくなった。直斗の家は平家の一軒家だった。そこに母親と妹そして直斗の3人で暮らして居る。母子家庭なのだ。

私は直斗の部屋の本棚にあった、「ミュージックライフ」と「ビックコミック・スペリオール」を見て時間を潰して居た。しかしどうも、お母さんの怒る声と引っ叩く音が聞こえてくる。私は暫く聞いて居たが、なんか様子がおかしい。私は声がする反対側の引き戸を開けた。するとお母さんが娘をぶん殴って居る。娘の顔は紫色になって来て居る。私は慌てて、お母さんの腕を掴んで言った。「辞めて下さい」すると母親は「どうしようもないね!」と言ってお勝手に行って仕舞った。私はびっくりして居たが。娘は放心状態だった。するとそこに兄で有る直斗がバス・ローブを纏って現れた。そうしたら、叩かれて居た妹が、タンスから下着とパジャマを出してやって居た。私は「何なんだ、一体どうしたんだ」と妹に聞いた。すると妹は俯いて言った。「私が悪いんです」

だから直斗の方を見て見たら。彼は涙を浮かべて居る。そうしたら、妹が何か気がついたように言った「お兄ちゃん、〇〇君を呼んだのは・・・」と言って私を見た。私は何が何だか分からずに突っ立って居た。私は直斗の妹には気があった。直斗はハンサムな男だ。妹も兄に似て、美しく可愛かった。私を見る妹の顔を見て、何と言ったらいいか分からなかったが。口からは思って居る事と正反対の言葉が飛び出した「お前なぁ、俺は夕食、食って居ないんだぞ!!」と怒って言った。すると妹がサッと居なくなった。私は悪かったかなと思って黙った。それから30分もすると妹が生麺にほうれん草とシナチク、半熟のゆで卵に焼き豚と海苔を入れたラーメンを持って来た。そして私に「食べて下さい」と言った。私が遠慮して居ると直斗が言った。「妹が作ったんだよ。美味いぞ食べろよ。」すると妹は「食べて下さいね」と言って自分の部屋に入って行った。

妹は高校2年生だ、私は可愛い子には弱い。「妹さん顔にアザ出来るんじゃないか?」そう言うと彼は、要約口を開いて言い出した。母親は教育に煩くて。俗に言う教育ママだと言う。そして彼女はテストの点が60点だったと言う。赤点では無いがまずい点だ。私は言った「それで怒ったのか。しかしやり過ぎだな。」すると直斗が言った。「最近の母は様子がおかしんだよ。いつも苛立って居る。」そして私が「成る程、それで俺がくれば辞めると思ったのか。」と言ったら頷いて居る。私は話を変えたく思い。前から考えて居た事を言った。それは高校最後の学園祭にバンドを組んで出るのだが、ベースが上手い直斗に是非来て貰いたかったのだ。だから単刀直入に行った。「お前さぁ、今度の学園祭に来てバンドでベース弾いてくれないか?」そう言ったら彼は快く受けてくれた。

私は安堵した。そして言った。「良かったよ....。」直斗はするとグヤトーンのギターアンプにエレキ・ギターをケースから出して繋ぐとと私に寄越して、自分ももう一つのジャックにべースギターを繋いで、ブルースを演奏しようと言い出した。私は今、食事したから。ジョージ・ベントンの「スパイダー・イン・マイ・シチュー」をジャムろうと言って演奏し出した。暫く演奏して居たが「あれ」と気が付くと、妹とお母さんが引き戸を開けて聞いて居て。お母さんが「上手いわねぇ」と言った。私は二人を見たが妹の方も笑顔で見て居る。私はなんかこそばゆくなって。「もう時間が遅いよ。ここは防音だから、つい長居をして仕舞った」

と言って。「じゃあ学園祭は明後日だから、お前の学校は大丈夫か?時間は多分遅いだろう。出番は午後3時以降だからさ 」と言って時間ももう遅いと、帰ろうとして玄関先で靴を履いて居たら。妹がやって来て、「〇〇君、兄ちゃんとやるの?」と聞いて来たので「うん、学園祭でね」と言ったら微笑んで居た。私は可愛い子の頬笑みに弱い。特に直斗の妹は美人で可愛いのだ。私は照れて仕舞った。ちなみに今でも優しい言葉を掛けてくれる女性は好きだ。此間もCS放送のニュース・バードを見て居て、余りにアナウンサーが可愛いので一目惚れして仕舞った。幾つになっても可愛い子には目が無い。そして学園祭当日、直斗はフェンダーのベースを持ってやって来た。演奏の順番と時間は、まだ、分かっては居なかったが我々は、軽く音合わせをして本番に臨んだ。

時間は学園祭の実行委員会の連中が、なんかハイファイ・セットが来るとかで纏めるのに時間が掛かったが、要約自分らは最後の方で持ち時間は20分と決まった。決まれば後は曲順だ。私たちはツイン・ギターでもう一人のギタリストがデュアン・オールマンのスライド・ギターの曲「ステッポロ・ブルース」をやり。私は「ストーミー・マンディ」をやろうと決めた。ベースは上手い直斗だ。任せられる、しかしギターが悩んで居た、私が「どうしたんだ」と聞くと。彼はオープン・チューニングで行こうかどうか決めかねて居たのだ、ギターを弾く人間は分かって居ると思うが。オープン・チューニングはブルースギターではよくやるチューニングだ。特にスライドでは、要するに開放弦で和音が出来るので。ブルースギターではよく使うチューニングなのだ。

良く使われるオープンチューニングにはD、E、G、Aの主に4つがあります。一見チューニングの種類ごとに奏法を覚えるのは大変そうに思いますが、実際には「E」は「D」の各弦を1音づつ上げたもので奏法は全く同じです。

「A」と「G」も同様なので「DとG(あるいはEとA)」の2つのチューニング上での奏法を覚えれば良いのです。

しかもこの2つも奏法的に共通点が多いので、実際にはそれほど多くの事を覚える必要は無いのです。 今回はカントリー・ブルースで良く使う「オープンG」の奏法を中心に説明します。

(レギュラーチューニングからオープンGへ)

もちろん、チューナーを使ってもいいのですが、簡単なので覚えて置きましょう。

オープンGでは1、5、6弦をレギュラーチューニングから一音下げます。
2弦(B)、3弦(G)、4弦(D)はレギュラーの侭ですね。

  1. 先ず1、5、6弦を適当に緩めて置きましょう。(チューニングは低い音から巻きながら合わせるのが基本!)
  2. 1弦と6弦を4弦(D)に合わせます。
  3. 次に5弦を3弦(G)に合わせます。

オクターブ違いのチューニングが聞き取りにくければ、低い方の弦を12フレットのハーモニクスで鳴らす。

このチューニングをすると3連のコードなどが簡単に弾けるのです。「私は迷わずにオープン・チューニングで行けよ」と言った。そして時間が来て自分らの出番になった。私が簡単に曲の紹介を言って、まずギターの本間が「ステップロ・ブルース」を演奏した。完璧だった、日の打ち処が無い。完璧にコピーをして居た、オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イーストのライブ」を完璧にコピーして居る。ボトルネックが空を駆け巡った。演奏が終わると。拍手が起こった。上手かった。次は私の番だ曲は「ストーミー・マンディ」Tーボン・ウオーカーの名曲だ、私はこの曲は何時もはロバート・Jr.・ロックウッドのバージョンで演奏して居るが。この日は白人のギタリストのマイケル・ブルームフィールドの感覚で弾いた。私は弾きながら直斗の妹の「ミキちゃん」とお母さんが来て居ないか会場を見た。しかし二人を見つける事は出来なかった。

二人は来て居ないのかと内心少し気落ちしたが頑張って弾いた、反応は良かった。拍手が起こった。コンサートが終わり。出場したバンド皆んなで記念写真を撮ろうとしたら。直斗が何処かのおばさんと話して居る。そうしたら私に「大変な事になった、すぐに帰る」と言って、タクシーを拾い帰って仕舞った。私は本間と写真を撮り。腹が減ったので学園祭の屋台のたこ焼きと、焼きそばを食べ。それにコーヒーを飲んで。二人して高校最後の学園祭を楽しんだ。その日の夜になって。直斗から電話が掛かって来た、お母さんが急死したのだと言う。原因は脳腫瘍だった。私はそれで、あのお母さんは娘に暴力を奮ったのかと解った気がした。直斗は気丈に泣きはしなかった。考えてみれば彼は早稲田の文学部に受かって居て。これから妹の面倒を見ながら、どうやって生活をして行くか。今考えれば頭が一杯だったのだろう。本当に悲しい目に会うと人間は泣けないものだ。彼は親戚の援助と奨学金と持ち金にアルバイトをしてこの危機を乗り越えた。妹は大学処では無い。高校卒業と共に働いた。

二人とも頑張った。人にはこんな事がと思う事が起きるものだ。直斗はその後、新聞記者になった。以前、直斗の妹から電話が掛かって来て「私に頼みがある」と言われて会った事がある。彼女の頼みはあの学園祭の演奏を聞きたいと言う事だった。私は喫茶店で彼女と会って録音したカセットテープを渡した。そうしたらミキちゃんは涙を浮かべて言った。「お母さんを安心させられなかった事が悔やまれます」と。私が「何故テープを今頃聴きたくなったの」と聞くと。彼女は微笑んで言った。「あの日、お母さんと明後日、学園祭に行くのを楽しみにして居た。」と言う。学園祭には行けなかったけど。お母さんは自分と見に行くのを楽しみにして居たと言う。だから私は「そのテープはミキちゃんに挙げるよ」と言った。そう言うと「ありがとう」と言って嬉しそうに、カセットテープを持って、今、働いて居る、会社の寮へと帰って行った。私は帰りは何故か歩いて帰った。そして、煙草屋でタバコを買い。百円ライターでタバコに火を付けたら何だか涙が出て来た。だから上を向いて歩いた。ミキちゃんの幸せを祈って。

 

Spider In My Stew

The Allman Brothers Band - Statesboro Blues ( At Fillmore East, 1971 )

Robt Lockwood and Blue Lunch play Stormy Monday

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「笹塚散歩」


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笹塚地ビールを飲んだり、
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 『昭和レトロな最新鋭のラジカセ』

 クラウドファンディング『Makuake』に『CICONIAクラシカルステレオラジカセ TY-2111』(以下、TY-2111)が資金調達を実施しています。

 これは文字通り、80~90年代調のラジカセ。ですがUSBやmicroSD、Bluetoothとの接続も可能です。昔ながらのオーディオ機器に近代的な機能が加わった製品、と表現するべきでしょうか。

 そんな『TY-2111』が、大きな話題を呼んでいるとのこと。早速試して見ました

 

80年代を彩った“カセットテープ”

 80年代の音楽記録媒体と言えば、コンパクトカセットでした。これは一般的に“カセットテープ”と呼ばれています。それを再生するためのオーディオ機器がラジオカセットレコーダー、即ち“ラジカセ”です。

 カセットテープは、ハンドバッグの中に収納できる“夢の小型記録媒体”でした。しかもラジオ番組の録音も簡単な操作でできるということもあり、当時の若者は誰しも自宅にラジカセを置いていました。それはCDやMDが登場してからも変わらず、90年代はカセットテープとCDが仲良く共存していたことを、当時、青年だった私は覚えています。

 そんなカセットテープですが、実は今でも根強い需要と人気があります。高齢者が宴会場や結婚式場にカセットテープの音源を持ち込んで演歌や民謡を歌う、ということもよくあるとか。また、最近ではアナログ独特の音質が見直され、カセットテープで新曲を発表するアーティストもいます。

 『TY-2111』はラジカセですから、もちろんカセットテープに対応します。アナログスイッチひとつで差込口が開く、懐かしい仕組みです。

 

 

  

レトロモダンなステレオラジカセが奏でるノスタルジックな世界

 

このプロジェクトは1970年後半から1980年代に販売していた懐かしデザインのラジカセを再現し、当時のカセットテープをノスタルジックな雰囲気で再生し楽しむという目的で立ち上げました。時代を感じさせるメカニカルな工業的デザインは逆に新鮮で、お部屋のインテリアとしても良いです。乾電池でも動作しますので、海や山のアウトドアでも活躍するでしょう。

さらに、現代の機能、BluetoothやUSB・microSDなどの音源を再生、録音可能です

 

昔から40~50代の人がラジカセを懐かしいというニーズがありますが、今はカセットテープを知らない世代がファッションのスタイルとして、ラジカセで聴いたり。個性を主張するアイテムとして、若い人たちのトレンドになっています。

ラジカセはどちらかというとヘッドホンではなくスピーカーで聴くのがおすすめです。

ヘッドホンは耳だけで聴くので、直接的な感じに聞こえますが、スピーカーは他の音が混ざり、音が自然に、空気を伝わり体全体、五感で聴いている感じになります。

 

 

アナログスイッチ類やロッドアンテナ、ラジオのチューニングダイアル、VUメーターなどの装備を搭載しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか懐かしさを感じるボックスデザイン

 

ブルートゥース、内蔵マイク、ラジオ、外部入力端子からの音源をテープやUSB・microSDカードに録音できます

 

 

USB・microSDカードへエンコード(FAT32)できる音源(MP3ビットレート320kbps/48 kHz)

カセットテープ、ラジオ、内蔵マイク、AUX-IN、ブルートゥース

 

カセットテープへ録音できる音源

USB・microSDカード、ラジオ、内蔵マイク、AUX-IN、ブルートゥース

 

 

 

マイクロプロセッサDSP搭載

DSPとは、エフェクトなどの処理をする専用のデジタルICのことです

 

 

 

 

ウーファー5インチ(12cm), ツイーター1.2インチ(3cm)による2ウェイ・4スピーカーシステム

ブルートゥース(Ver4.2)搭載で対応機器の外部スピーカーとしても使用可能

アンプは左右それぞれ7W 合計14Wの最大出力

給電はAC電源もしくは単1乾電池x6本(別売)

定格出力(10%THD)5.5W+5.5W

周波数帯 80Hz-16KHz

S/N比 54dB

重低音

ラジオ受信周波数 FM:76.0‒108.0MHz AM:530‒1600kHz

生産国:中国

予定販売価格:¥30000

付属品:AC電源コード、取扱説明書(保証書付)

サイズ:約W425*H235*D118mm

重量:約3kg

 

 

 

 

11月初旬~中旬 生産開始

12月中旬~下旬 入荷・検品

2022年2月~ 順次出荷

コメント一覧

kiyasume
101000dotlineさん、書き込み有難う御座いました。
あなたのblogは独特で居て、しかし親しみやすいものですね。

確かに、日常の一コマを切り取った記事ですね・・・・・・・。

でも面白いと思います。
また来て下さいね。よろしく。。。(๑>◡<๑)
101000dotline
おはようございます☺️

はじめまして。
先日は、私のblogに足跡をのこしてくださり、ありがとうございました。

あなた様の気がかりがひとつ減るような、そんな文章作成を目指して、私もブログアップを続けていこうと、前向きに捉えています。

“うっかり”ミスと確認不足で、何度もアルバイトをクビになっている私でございます。

ブログは、「アホなやっちゃなー」「変なこと嘴って」と思われるような私の日常の一コマですが、ワンシーンでも、貴方の心の柔らかいところに触れたのなら、休み休みでも「続けてきた意味はある」と思うことにします
ご指摘になりたいことが多々あると思いますので、気づいたときには、どうか、遠慮なく“教えてください”ませm(__)m

101000dotline より
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