古手川祐子
1976年にミス・サラダガール・コンテストで優勝し、芸能界へ。78年のNHK連続テレビ小説「おていちゃん」や、翌年公開の映画「あゝ、野麦峠」などに出演し、美人女優と評判になった。
80年代以降も、映画「細雪」や、「西部警察」などのテレビドラマで好演。音楽番組「ミュージックフェア」の司会も長年務めた。
古手川祐子さんのお宝画像~厳選セクシー写真
皆さんは日本の外交官、杉原千畝と言う男を知って居ますか。彼はリトアニアのカウナスと言う所に駐在して居ました。1940年。彼は日本政府に背いてユダヤ難民6千人にビザを発行した男です。彼の発行したビザは「命のビザ」と言われました。そして彼はあのオスカーシンドラーと並ぶ人物だと言われて居ます。晩年彼は子供にも死なれ。奥さんは妹に死なれ。外務省はユダヤ人を救ったと言う理由で彼をクビにしました。しかし彼はそれから数10年後にイスラエル政府から「諸国民の正義の人賞」を贈られました。そして2000年になって外務省は要約、彼の功績を称えました。彼は86歳で亡くなりました。
日本のシンドラー 「杉原千畝物語 六千人の命のビザ」のドラマです。観て下さい。
杉原千畝とは
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杉原千畝(すぎはらちうね)、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる外交官です 。彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスと言う都市で、ナチス・ドイツによって迫害されて居た多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られて居ます。
この「命のビザ」の物語をめぐって、アジ歴の資料から何が見えてくるのでしょうか。
「東洋のシンドラー」
杉原がリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に任命されたのは、昭和14年(1939年)でした。 写真 は、当時の在カウナス日本領事館です。彼が多くのユダヤ人を救い、「東洋のシンドラー」と呼ばれる事になったドラマの舞台がこの場所です。
所で、「東洋のシンドラー」の「シンドラー」とは何の事か、ご存知でしょうか。これもまた人の名前です。オスカー・シンドラーと言うドイツ人(生まれは現在のチェコ)の実業家で、やはり第二次世界大戦末期に、多くのユダヤ人の命を救った事で知られる人物です。彼は、ドイツ占領下のポーランドで自らが経営して居た軍需工場(戦争の為に必要な物資を製造する工場)に労働者としてユダヤ人を雇い入れ、その身柄を保護する事で、1200人に上ると言われるユダヤ人の命を救いました。彼がユダヤ人労働者の保護を申請する為に作成したリストは「シンドラーのリスト」と呼ばれて居ます。此れをタイトルにした映画は大きな反響を呼び、シンドラーと言う人物はさらに多くの人の知る所となりました。
こうしたシンドラーの行いになぞらえて、のちに杉原千畝は「東洋のシンドラー」と呼ばれる様になったのです。
ユダヤ人迫害と難民
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さて、杉原が在カウナス日本領事館領事代理となった頃には、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激しくなって居ました。この様な状況下では、ドイツ占領下のポーランドをはじめ、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れて来たユダヤ人にどの様に対処するか、と言う事が国際的な問題となりました。日本もその例外ではありませんでした。 (1) は、松岡外務大臣が在サンフランシスコ総領事にあてて、昭和15年(1940年)7月26日に出した電報の一部です。この中では、ヨーロッパから日本経由でアメリカに渡るユダヤ人難民が、この月の13日横浜発の鎌倉丸という船に13名、22日発の氷川丸という船に77名あり、引き続き多数に上るであろう、と述べられて居ます。この様に、日本にも可也の数のユダヤ人が逃れて来て居ましたが、その多くは、日本を通過してさらに他の国に避難して行きました。日本では、ユダヤ人に限らず、すべての外国人について、避難先の国の入国許可を得て居ない者には通過ビザを発給しない、と言う方針を決めて居ました。
ビザ発給をめぐる問題
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しかし、それだけでは対処しきれない問題が出ていた事が、 (2) の内務省警保局(警察部門を管轄)長から外務省に宛てた文書から解ります。此処では、ますます増加するヨーロッパからの避難民の中には、避難先の国で入国許可を取る事が出来る、と偽って日本の通過ビザを得て来日して於ながら、実際には行き先が無く、それを理由に日本にとどまろうとする者が居る、と書かれて居ます。また、日本までの乗船券しか持っておらず避難先の国に行く為の費用も無い者が居て、取り締まりに困って居る、とも述べられて居ます。此れらは、ヨーロッパの戦火を逃れた避難民全般の事を指して居ますが、添えられて居る表 (3) を見ると、やはりユダヤ人が含まれて居ます。そして、いちばん左、国籍が「猶太系 リスアニア」(ユダヤ系 リトアニア)となって居る人物の「通過査証月日及官庁」の欄には、「同年(昭和15年)7月16日 在カウナス帝国領事代理 杉原千畝」と書かれて居ます。つまり、この人物は、杉原からビザの発給を受けて日本にやって来た事が解ります。しかし、その背景には以上の様な難しい状況があったのです。
「命のビザ」のために
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(4) に書かれて居た様に、昭和15年(1940年)7月16日には、杉原によるユダヤ人へのビザ発給は既に行われて居ましたが、これは決して順調に進められた訳ではありませんでした。 (5) は、この直後の7月28日に杉原より本国の外務省に宛てて出された電報で、その末尾には、日本通過ビザの発給を求めて連日100名ほどのユダヤ人が領事館に詰め掛けて居る、とあります (5)。しかし、実は、この様にビザ発給を求めて領事館にやって来るユダヤ人の多くは、規則に従えばビザの発給が認められない人々でした。この規則と言うのは、昭和13年(1938年)10月7日に外務大臣から各地の在外公館に宛てて発せられたもので、日本通過ビザの発給が認められるユダヤ人の資格として、「避難先の国の入国許可を得て居る事」や「避難先の国までの旅費を持って居る事」などが定められて居ました。(レファレンスコード:B04013205200 民族問題関係雑件/猶太人問題 第四巻 分割2 77画像目~80画像目)
本国はあくまでこの規則に従って居た為、杉原に対して、資格を持たないユダヤ人へのビザ発給の許可を出す事は最後までありませんでした。それでも杉原は、独自の判断で発給を続けたのです。こうして発給された日本通過ビザによって日本に渡ったユダヤ人の中には、先ほど見た様に、避難先の国の入国許可を得て居ない為に、結果として日本で足止めとならざるを得ない人々も多かったでしょう。しかし、命の危険が迫るヨーロッパから脱出させる事が出来た事は、まさに彼らの命を救った事にほかなりませんでした。ソ連への併合にともない、杉原の居たリトアニアでは各国の在外公館が相次いで閉鎖されて行きました。日本領事館もまた閉鎖する事を求められ、杉原もこの地を離れなければなりませんでしたが、それでも杉原は最後までビザの発給を続けたと言われて居ます。
杉原千畝の人道性
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この様な杉原の行為の人道性が特に注目される様になった背景としては、ユダヤ人へのビザ発給をめぐる他の国の領事館の状況が大きな意味を持つと考えられます。ユダヤ人へのビザ発給を行って居たのは、杉原の居る日本領事館だけではありませんでした。 (6) は、昭和15年(1940年)9月12日に在ハンブルク(漢堡)総領事から外務大臣に宛てて出された文書の前半部分です。此処には、中南米その他の国々の領事や総領事の中には、ビザの発給の際に避難民に手数料以外に高額な代金を要求して居るものが居る、と書かれて居ます。しかも、そうやって発給されるビザの中には、本国の了解を得て居ない。いわゆる空査証(空ビザ)があり、此れでは実際にその国に行っても入国が認められ無い為、通過国でその扱いに困って居るとも述べられて居るのです。
この様に、決して人道的とは言えないビザ発給の実態がある一方で、本国の考えに背き、また困難な状況であっても力の限りビザを発給し、ユダヤ人を救おうとした杉原の勇気と人道性は、現在に至るまで高い評価を受けて居ます。
(7) は、昭和16年(1941年)2月に、在プラハ総領事代理となって居た杉原から本国の外務大臣に宛てて出された電報です。此処では、リトアニア人と旧ポーランド人に発給したビザの数は2,132枚、このうちユダヤ系については約1,500枚と推定される、と述べられて居ます。ビザは、1家族につき1枚あればよかった事から、杉原千畝が「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6,000人に上ると言われて居ます。
社会的カテゴリー(性別、人種、年齢、出身地、職業など)によって、生じてしまう「偏見・差別」。しては行けない事だと解って居ながらも、なかなか無くならないのも事実だ。なぜ偏見や差別が生じてしまうのか、どうすれば無くす事が出来るのか。東洋大学社会学部教授で、『偏見と差別について』で研究して居る北村英哉氏の著作から抜粋して考えて見た。
社会集団から生まれる
偏見や差別
たとえば、心の中で偏見だとは思いながらも、「女性の方が家事や育児に向いて居る」「男性のほうがリーダーシップがある」と言った固定観念(ステレオタイプ)を持つ人は案外多いのではないだろうか。
『偏見や差別はなぜ起こる?』(ちとせプレス)によると、社会心理学ではステレオタイプ、偏見、差別は、それぞれに定義があると言う。
まずステレオタイプとは「ある集団に属する人々に対して、特定の性格や資質を皆んなが持って居る様に見えたり、信じたりする認知的な傾向」、偏見は「そのステレオタイプに好感、憧憬、嫌悪、軽蔑と言った感情を伴ったもの」。そして差別は「ステレオタイプや偏見を根拠に接近・回避などの行動として現れたもの」として居る。
また、一般に社会心理学では、一個人の先入観ではなく、なんらかの社会集団、社会的カテゴリーから生じる偏見や差別を対象にして居る。偏見や差別については、これらの区別を前提にして考えなければならないのだ。
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敵を見下すことで
自己肯定感を高めるのが本質
それでは、何故、人間社会に於いて、偏見や差別が起きて仕舞うのだろうか。北村氏はこう説明する。
「簡潔に言うと、『人には自分が有利になりたい、偉くなりたい』と言う心理があるからです。心理学用語では『自尊心』、今のはやり言葉だと『自己肯定感』とも言い換えられます。たとえば、自己肯定感が低い人が、違うタイプの人をけなして、自分の方が上だと思う事で、相対的に自己肯定感を補うのが一般的なケースと言えます」
社会心理学では、人は味方と敵を分ける心理が働き、自分にとって大切な味方を「内集団」、それ以外の敵を「外集団」と区別するのが基本的な考え方とされる。
外国人差別はこの典型的なパターン。特にヘイトスピーチの対象となりがちな在日韓国人や中国人は、日本人にとって身近な存在だからこそ敵だと判別されやすく、偏見や差別が頻発するのだ。
偏見や差別にさらされる対象は、LGBTや私の様な障害者などの様に。マイノリティー側である事が多い。日本のマイノリティー差別の問題について、北村氏は以下の様に指摘する。
「日本は諸外国と比べても、自分たちが社会の中で『普通』の存在だと考える事で安心感を得る人が多い傾向があります。障害者問題、性的マイノリティー問題、民族差別の問題に於いても、偏見や差別を持つ側がマジョリティーである事に安堵感を抱き、日々の生活を送って居ます」
民主主義国の日本では、原理的にあらゆる意見が多数決によって決められる事が多く、少数者の意見が黙殺されやすいのも確かだ。
「とは言え、それでは少数派が常に負け続ける事になり、人権的な価値が侵害され、不公正な社会になります。その様な社会にしない為にも、マイノリティーへの配慮が必須なのです」
マイノリティーへの理解が
必要不可欠
偏見や差別が生じてしまうのは仕方の無い事であり、決してゼロになる事は無いと考える人の方が多数派かも知れない。しかし、北村氏は社会全体で真剣に取り組めば、それほど難しい事では無いと語る。
「現実問題として、偏見や差別をゼロにする事は難しいかも知れませんが、少なくとも努力次第で極力減らす事は出来るはずです。その為には、マイノリティーの人への理解を深める事が重要。たとえば、義務教育の段階で、障害者施設を訪問するなど、障害者と触れる事で知る事が何よりも大切です。ただ、接触仮説と言って、理解が深まる事でますます嫌悪感を抱くケースも少なくありません」、私が精神病院に入院して居た時の事です。ある高校生が社会科の見学か何かで病院を訪れましたが。そのうちの一人の男子生徒がこう言いました「ふん!所詮。皆んな気狂いじゃ無いか!!。」だから、そこは教師の力量によって感情を変える事も出来なくは無いと思って居ます。
個人的な感情はどうしようも出来ないと考える人も多いかも知れない。ただ、それを仕方が無い事だと社会が認めてはいけない。感情を法律で罰する事は出来ないが、モラルが低いとは言えるだろう。
日本社会も徐々に偏見や差別がいけない事だと言う認識が深まりつつある様にも思えるが、現実ではまだまだマイノリティーへの理解は足りて居ない。差別根絶の為には、まず知識を得る事が最初の一歩の様である。
悩みの多くは・・・いえ、殆んどは、人間関係に関する事なのかも知れません。
そして、そんな人間関係の悩みで人は怒ったり、傷ついたり、悲しんだり、時には、もう立ち上がれない位に落ち込んでしまう事があるのだと・・思います。
ダンマパダと言う仏典があります。法句経(ほっくぎょう)と言う名前の方がよく知られて居るかも知れません。そのダンマパダ(法句経)の中にお釈迦様のこんな言葉が記されて居ます。
他人と自分
ダンマパダの中に記されたお釈迦様の言葉の1つが
「他人を自分自身の様に思いなさい」
・・・と言う言葉です。たった此れだけの短い言葉の中に、多くのヒントが詰まっている居るな気がして、私が時々思い出したいと思っている言葉の1つです。
「他人を自分自身の様に思う」・・・私は100%それが出来た事が今まで一度もありません。
きっと、一生、出来ないのかも知れません。でも、それに近づきたいなとは思います。そう思うことが、何故でしょうか....。私の心を軽くしてくれるんです。
だから私は、その相手の方の為と言うよりも、自分の為にそれは続けて行くものなんだと思って居ます。
他人は本当は関係ない
もう1つ、お釈迦様の言葉があります。ダンマパダより、
「わずかづつであっても善行を積み、自分の中を善で満たす」
これは自分なりにある意味大胆に解釈するなら、よい行いは自分の為に行うもので、誰かの為にやるわけじゃない、つまり、他人は関係無いのだと言うお釈迦様の考えであると思って居ます。
以前の私は他人がすべてでした。
人の言葉や身内がすべてで、そればかり追い求めて居ました。
だけど、ある時からそんなものは捨ててしまおうと思う様になりました。
今は大袈裟に言えば、他人は本当は身内も含めて関係ないのだと思うようになったんです。
私に「自分の為にやって居た事だったのに、何時の間にか人の評価を求める様になって、楽しく無くなりました」・・・。そう話して下さった方が居ました。
おっしゃる事がよく解る様な気がしました。
私も同じだったからです。
本当は誰かの為じゃなくて、自分の為にやった方が楽しいのかも知れません。
何をやるにも。
お釈迦様がおっしゃる善行、それは自分の為にやる事なのだと要約理解する事が出来ました。
「自分の中を善で満たす」・・・なんて綺麗な言葉でしょうか。
今日は最後にもう1つだけ、お釈迦様の言葉を紹介させて下さい。
「他人が何をし、何をしなかったと言う事を問題にすべきではない。自分自身が何をし、何をしなかったかを顧みなさい」
此処まで紹介させて頂いた3つのお釈迦様の言葉は私の中ではつながって居る様に思って居ます。
結局は、他人じゃない。自分が何をどうするかが大切なのだと言う事をお釈迦様は伝えようとされたのだと思います。
他人をどうしようとかじゃなくて、自分がどうするのか・・・?
その問いかけを自分にするだけで多くの悩みは消えてゆくのかも知れません。
お釈迦様の3つの言葉・・・何時も、何時までも忘れないで居たいと思って居ます。
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「自分のやりたい事しかしない」「自分さえよければいい」「人の話を聞かない」――。あなたの身の回りにそんな「自分勝手な人」、居ませんか?
働き始めると、学生時代とは異なり、付き合う人をなかなか選べなくなります。職場やクライアント、近所に1人でも自分勝手な人が居ると、日々ストレスが溜まってしまうものですよね。
私はよく、曲やら、歌を貼り付けて掲示板に書いてあげるのですが。喜んでくれる人は喜ぶけど。ダメな人は私の事を自分勝手な人と取る見たいです。要するに大きなお世話な訳ですね。ですから書き込んでも返事が貰え無い場合は行くのを辞めました。
自分勝手な人の性格を直す・改善する方法
自分勝手な人を改善させて性格を直すのは至難の業です。しかし、身近な人物が自分勝手だった場合には、少しでも改善して貰える様に働きかけて見てもよいでしょう。少しでも穏やかな毎日が送れる様になれば、可也のストレス軽減に繋がる事でしょう。
相手の立場に立って物事を考えて貰う
自分勝手な人は、自分自身を「自分勝手」と思って居ません。自分が周囲の人に与えてしまって居る嫌悪感に気づけないからこそ、その様な性格になってしまって居るのです。もし面倒ごとを持ち込まれた際には一言、「あなたが同じ事をされたらどう思うのか」と、此方の立場を理解して貰いましょう。
他者の善行について話す
自分勝手な人は、自分の行いによって他人に迷惑を掛けた場合にも、感謝や謝罪の心を示さない傾向にあります。それは、周囲の人への興味が薄い為です。自分本位で物事を考えて居る為、“して貰った事”へ関心を持って居ないのです。
そこで、一度周囲の人が取った「親切な行動」について話し合って見ましょう。誰かを批判したり攻撃をしたりするのではなく、他者の善行について話す事で、意識を変えるキッカケになるかも知れません。
周囲からどう思われて居るかを伝える
自分勝手な人は、他人から自分がどう思われて居るか。と言う事に関心を持って居ません。そこで、一度その視点を持って貰う為にも、周囲からどう思われて居るのかを伝えて見ましょう。この時、その場に居ない人を挙げて「あの人はこう言って居た」と伝えてしまうと、陰口になる為、出来れば直接「あなたは自分勝手だ」と直接意見を伝える事が重要です。
自分勝手な人との付き合い方
自分勝手な人の性格を改善させるのはなかなか難しい事です。時間を掛けて少しずつ考え方を改めて貰う事も出来ますが、そこに至るまでは可成りの労力・時間が必要でしょう。しかし、わざわざそこまでの労力を掛けたく無い場合には、上手に付き合って行く様にしましょう。
自分勝手な人の特徴
此処では、自分勝手な人の特徴を紹介します。あなたの知って居る自分勝手な人の特徴と照らし合わせて見て下さい。
自分のやりたい事しかしない
自分勝手な人は、自分のしたい事だけをして、他の事は他人に任せがちです。そして、困った事があるとすぐに他人に頼りたがる半面、自分が他人に頼まれると嫌がる場合があります。また、自分の望む通りにならないと不機嫌になる事があります。
自分が良ければ他人の事は気にしない
相手の立場に立って物事を考える事が出来ない為、自分自身が満足する事を最優先に行動する傾向にあります。また、自分がきっかけで面倒な事が起きた時や自分が失敗してしまった時にも、責任を他人に転嫁しがちです。
自分の話は聞いて欲しいが他人の話は聞かない
自分勝手な人は、自分の感じた事や価値観ばかりを人に押し付け、自分自身は他人の話を聞きません。また、自分の意見に自信を持って居る事が多いため、周囲が矛盾を指摘したり諭したりする事に対して不機嫌になりやすいです。その為、助言やアドバイスであっても、聞かない場合があります。例えば短な例であげるなら。私の処に前に3回ほど来た。30代ぐらいの若い看護師の女性です。この61歳の私が「1970年代にロックがあった」と言ったら。全否定して。
「その当時は歌謡曲と演歌しかなかったわよ。」と言い切りました。彼女が何1970年代の事を知って居るのでしょうか。当時。私はバンドを組んで居たんですよ。彼女は平成の初めの生まれでしょうに。昭和の事など何も知りはしないでしょう?それと人が統合失調症だと言って居るのに「単なる不眠の思い込みだ」と言って「違うなら薬、何飲んで居るか教えてよ!」と言って来た女性も居ました。私はこのblogで何遍も統合失調症の事と自分の病状の事を書いて居るのにです。私が自分が飲んで居る薬の名と個数とミリ数を書いて医学的な補足を書いたら。ようやく納得しました。
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自分勝手な人に振り回されて居ると、ストレスが溜まっていきます。頼まれた事を断る勇気を持ったり、いっそ距離を置いたりなどして、出来るだけ迷惑を被らない様にしましょう。
以上、今回は差別についての話になりました。実は今日。また酷い事を言われたのですが。それは次回のblog記事にて書きます。人ってどうして、すぐに約款だり僻んだりするのでしょうね?私には解りません。自分は自分。人は人では無いでしょうか・・・・・。それでは次回。また更新出来たらお逢いしましょう。
このblogで言ってもせんなき事だけども。GACKT君。ブチギレないで。我慢ですよ。君のファンたちは皆んな君の事はよく解って居ますからね。でわでわ。。。