皆さん昨日の「金曜ロードショー」で放映された、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」を見ましたか。いい話でしたね、またもや涙腺が弱いジジイの私は涙ぐんでしまいました。此処に関連動画を貼り付けて置きますね。ご存じなかった方ももう見た方も見て下さいね・・・・・。
Most Saddest Sceneヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝~永遠と自動手記人形 Violet Evergarden: Eternity and the Auto Memory Doll
[MAD]ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝「エイミー」
『ワーキングプアについて』
ワーキングプアとは、「働く貧困者」と言う意味で、フルタイムとして働いて居るものの十分な所得を得られず、貧困状態にある就業者を指します。貧困とは失業して居る状況下で陥るものと言う認識が一般的ですが、実際にはフルタイムで働いて居ても所得水準が低いため貧困層から抜け出せないと言う労働者も多いのが実情です。こう言った働く貧困層を指す用語として、ワーキングプアと言う言葉が世界各国で認知される様になりました。
ワーキングプアに分類される所得水準は、その地域や国によって状況が異なるため一概には言えません。
日本国内では、年収200万円程度が1つの目安として考えられて居ます。一般的には、生活保護で得られる生活と同じようなレベルとされて居る事が多いようです
日本国内におけるワーキングプアの現状を知るには、いくつか参考になる数字があります。
2019年の「労働力調査」(詳細集計)によると、役員を除く雇用者5,596万人のうち、非正規従業員は2,120万人で、全体に占める割合は約37%でした。
年間収入別で見ると、2018年に200万円未満だった人数は、正規・非正規合わせて1,873万人で、総数5,660万人中約33%もの人が、数字上で見るとワーキングプア層と考えられます。また、非正規従業員のうち年間収入が200万円未満の割合は、男性が24.1%、女性は75.9%となって居ました。その事から、ワーキングプア層は、圧倒的に女性が多いのが現状でしょう。
ワーキングプアは圧倒的に女性が多い
非正規従業員のうち年間収入が200万円未満の割合について、男性よりも女性の方が多かった事からも解る様に、ワーキングプアは女性の割合の方が圧倒的に高いのが現状です。また、2020年の総務省「就業構造基本調査」によると、年200日以上働いて居る労働者のデータについて、男性と女性を比較すると、同じ時間を働いて居る場合であっても女性の方が顕著に低所得の割合が多くなって居ます。
具体的には、週40時間以上と言う比較的長い時間働く女性のうち4人に1人が年収200万円未満です。
働く女性の推進が進む中でも、やはりまだまだ女性は男性に扶養されるものと言った考え方が浸透しているのが実情で、これが、女性のワーキングプアを深刻にして居る要因のひとつだと考えられます。
ワーキングプアが増えた3つの原因
ワーキングプアが増えた背景にはさまざまな原因が考えられます。此処では、社会的な問題と、キャリアの問題、本人たちの価値観の変化と言った角度から解説します。
社会的な問題
現在、国内の経済状況を見ると、経済の実質成長率は毎年2%程度で推移しており、国民1人当たりの名目所得も停滞傾向です。
こう言った中、会社で正社員として働いて居ても給料が上がらず、まして非正規雇用の場合は生活するのも侭なら無いと言った状況の労働者が増えつつあります。またコロナで仕事が減ったり無くなったりした人も居ます。
また、博士課程を修了した専門人材が活躍する場が無かったり、母子家庭で貧困を抜け出せなかったり、就職氷河期で就職先が無かったりと言った受け皿の問題もワーキングプアを生む一因となって居るでしょう。
キャリア形成の困難さ
非正規雇用者は、正社員と比べて安定したキャリアを歩む事が難しく、収入を高めるためのキャリア形成が難しいと言う課題があります。
一般的に、正社員であれば新卒で入社した時から研修やOJTによって教育を受け、能力や専門知識を獲得しやすいものです。そう言った人材は経験を重ねるにつれて高度な力を身につけ、市場価値の高い人材になるチャンスがあります。
一方、パート・アルバイトや派遣社員と言った不安定な立場ではキャリア形成が難しく、年齢を重ねる事に、ワーキングプアから抜け出せなくなる悪循環がついてまわります。1990年代後半から急増した、非正規の雇用者が一向に減らない事も、ワーキングプアが増えた・減らない事の原因となって居ます。
労働者の価値観が変化して行ったと言う側面もあります。
従来であれば、正社員として新卒入社した会社で定年まで働くと言った共通認識がありました。また、理想的な暮らしをするにはある程度の収入が必要だと言う考え方もあったものです。
しかし、現在は「仕事だけが人生ではない」「自分の好きな生活を実現するために都合の良い時に働きたい」と言った理由で、あえて正社員ではなく収入の低い仕事を選ぶケースも登場して来ました。
つまり、価値観の多様化によって、自発的にワーキングプアを選択する人も増えて居るのです。
ワーキングプアを減らす3つの対策
ワーキングプアを減らすには、経済力を確立するまでの援助や、働く意思がある人が活躍する方法を増やす取り組みが欠かせません。此処では、3つの対策例を紹介します。
経済的援助
経済的な援助をする事で、自立出来る様になる為の足掛かりにする対策は重要です。そもそも、働ける様な健康状態であり、フルタイムで長時間働いて居る労働者が貧困状態になってしまう状況では、社会の福祉機能が正常に働いて居るとは言えません。そこで、そう言った労働者を守る為のセーフティネットとして存在するものが最低賃金です。しかし、現行の最低賃金制度は、都道府県ごとに下限が定められて居るモノの、ワーキングプア層を生み出して居ます。
また、生活保護制度は生活困窮者の最後のセーフティネットですが、財政難と言った背景がある為、支給に積極的で無いケースもあり、十分に機能して居ません。こう言った経済的援助を行い、いずれ自立するための土台とする対策はワーキングプアを減らす上で大切なのです。
就労支援
働く意思がある人の就労を促進し、能力を発揮できて収入も得られるようなサポートを行う事も大切です。
公共職業案内所(ハローワーク)では年齢や職種を問わずさまざまな労働者の就労を支援しており、セミナーや相談窓口の設置、書類作成や面接指導なども実施して居ます。また、フリーター向け窓口や、若年者向けの窓口「ヤングワークプラザ」もあり、こう言った窓口の有効活用がより一層求められるでしょう。
また、就労支援においては職業訓練の拡充も必要です。
非正規雇用として働いて来た事が多いワーキングプア層は、社会人としてのビジネススキルや専門性を身につけるチャンスが無かったと言う人も少なくありません。
そこで、教育の場を設けることは活躍の場を広げ、収入を高める可能性もあります。
介護・子育ての支援も大切です。
介護や子育てが必要な場合、働く意思があっても働ける時間が限られて居たり、子どもを預ける場所が無かったりする為に働けないと言うケースもありえます。こう言った人材でも活躍できる場を増やす為には、介護施設や保育園などを拡充したり、介護・保育の人員を増やしたりと言った取り組みも効果的な対策になります。
ワーキングプアになりやすい職業は、一概には言えないモノの、非正規従業員の割合が高かったり、業界全体の平均年収が低かったり、専門性がそれほど必要とされなかったりする傾向があります。此処では5つの具体例を紹介しましょう。
飲食従事者
飲食業は、接客・調理スタッフどちらもアルバイト・パートと言った非正規従業員が多く、時給も低い傾向があります。また、長時間労働が当たり前の職場も多くありますが、時給が低いため労働時間が長いのにそれほど収入が高くないと言うケースもあるでしょう。
販売従事者
販売関連もアルバイト・パートや派遣といった非正規従業員が多い職業です。また、接客やサービススタッフは一部を除いて高い専門知識は必要とされません。
警備従事者
警備スタッフの中でも、交通誘導などは非正規従業員が多く、時給がそれほど高くない事が一般的です。
清掃従事者
清掃従事者は、特別な資格や専門技術が無くても出来る仕事が多く、収入が上がりづらい仕事です。
事務従事者
電話オペレーターやデータ入力、書類整理といった単純作業の場合は、非正規かつ時給が固定されて居るケースが多くあります。
ワーキングプアの基準は、日本国内の場合年収200万円が目安とされて居ます。
しかし、実際には年収が低い人であっても貧困層にはあてはまらないケースもあります。例えば、地方であれば都会と比べて物価が安く、生活費は月10万円程度でも十分と言う地域もあります。
また、自給自足を行えばさらに節約出来るでしょう。こう言った事情を背景に、地方に移住する人も少なくありません。
ワーキングプアの年収の目安は200万円とされて居ますが、この様な世帯であれば経済的に困らない生活が実現出来て居る為、ワーキングプアと一括りには出来無いでしょう。
ワーキングプア問題を考える時には、目安の数字を絶対視するのではなく、状況によって例外がある事も知ると実像が正確に理解できます。
働き方は自由に。しかしワーキングプアは減らす取り組みが必要
ワーキングプアをめぐる環境は多様化して来ており、積極的に働く意思があるモノの生活に困窮して居るケースや、自由な働き方を求めてあえて収入の少ない仕事を選んで居るケースもあります。望まずにワーキングプアに陥って居る労働者を減らす為には、セーフティネットの整備など、行政や政府などによる対策が必要不可欠でしょう。
皆さんは本当の孤独。本当の絶望を知って居ますか、、私の家は、はっきり言って裕福な家とは言えなかったかも知れませんが。それでも1980年当時から2,000年に掛けては中流と言えたでしょう。何しろ衣食住には困りませんでしたから。好きなモノもそこそこ買えたし、美味しいモノも食べられた、しかしそれも、親父の稼ぎと、母親の下宿屋での稼ぎ。そして私が働いた稼ぎで成り立って居た事です。私は1980年代の終わり頃に、ディスク・ユニオンと言う。中古レコード店に、ダンボールに入れられて並べらて居た。中古レーザーディスクの映画ソフトが売って居て。その中を、或日漁って居たら。黒澤明のレーザーディスクを見つけました。
当時は、初版プレスの3枚ぐらいの種類しか売って居なくて「悪いやつほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」ですか。中古盤ながらプレミア価格の1枚1万7千円の値が付いて居たのですが。当時定価が7千円ぐらいだからほぼ2倍の値段でした。私はどうしても欲しくて、一緒に新宿に買い物に来て居た母に買ってくれと値だったのですよ。その時に母は、私に、今日は、お金少し持って来て居るからと、購入してくれました。だからその事からも解る様に、うちが困って居た訳では無かったです。しかし、モノが買えるから、お金があるから裕福だとは限りません。勿論お金は大切です。しかし人はそんな事ばかりで幸福なのではありませんよね。「苦悩に満ちた世界を、如何に心穏やかに生きるべきか」を、ドイツの厭世哲学者ショーペン・ハウアーが一般読者向けに易しく説いた「幸福について」と言う本があります。
私たちは幸福になる為に生存して居る訳ではなく、苦悩の中に投げ込まれた存在である。よって、生にまつわるあらゆる出来事は「苦」無くして語りえないのだから、人は出来る限り快適かつ心穏やかに生きる技術を身に付けるべきだ。愚者は日常生活を目的とするから、何かを失った時に不幸になる。賢者は自分の内なる精神世界を目的とするので、不幸になる事などない。幸福や快楽は欲望としか対にならない幻想の様なもので、主観的で移ろいやすい。一方、苦痛や悩みは幻想ではなく実在し、客観的かつ普遍的である。だから、幸福や快楽を追わず、苦痛や悩みを回避する様にすれば、人生は充実する。
■人間の運命を左右する要素は3つある。
①その人は何者であるか(人格、知性、美、健康など)
②その人は何を持っているか(財産)
③その人はいかなる印象を与えるか(名誉、地位、名声)
■このうち決定的に重要なのは①である。なぜなら、②と③は相対的かつ可変的であるが、①は絶対的かつ不変的であるからだ。
■その人が体験するすべては、常にその人の人格や知性といった主観を経由するのであって、世界をどう捉えるかは全てその人次第である。事実そのものではなく、それをどう解釈するかが、人の幸・不幸を左右する。
「その人は何者であるか」について
■人格や知性のうち、直接的に私たちを幸福にするのは陽気さや快活さである。陽気さや快活さによって、世界はポジティブに捉えられる。人間の幸福の主たる源泉は、自らの内面にあるのだ。
■仕事以外での人間の「楽しみ」は以下3つに分類できる。このうち、成熟した賢者のみが、③を享受できる。
①生きる楽しみ(飲食、睡眠など)
②身体的な楽しみ(スポーツ、行楽など)
③精神的な楽しみ(読書、思索など)
■それ故、賢者は孤独を好む。何故なら内面に備わって居るものが大きく、外部刺激を必要としないからだ。逆に愚者は①と②しか楽しみが無いから、是が非でも気晴らしや社交を求め、空虚な自分から逃れ様とする。
■多くの人が、味気なく空虚で悲しみに満ちた日々の、生活そのものを目的とする一方、賢者は精神的生活が人生の目的となる。多くの人は日々の生活を象徴する財産や名誉などを失うと不幸になるが、賢者にとってそれらは単なる手段である。
「その人は何を持って居るか」について
■富や名声は海水の様なもので、飲めば飲むほど、喉が渇く。富や名声が拡大する際は喜びを伴うが、すぐにそれにも慣れてしまう。
■生来的に貧しい人は、財産を手にすると、湯水の如く使ってしまう。仕事でも目上に媚びる事が多い。一方、財産を相続した様な人は、お金の使い方は心得て居るが、仕事では無礼になりがちだ。
■よって「その人は何を持って居るか」は幸福の源泉にはなり得ない。
「その人は如何なるイメージ、表象・印象を与えるか」について
■人間は「他人からどう見られるか」と言う他人の思惑の奴隷になって居る。自分自身でコントロール出来ないものに自分を委ねては行けない。
■此の「他人の思惑」と言う要素を理性的に正当な程度まで制限し、引き下げる事ほど、私たちの幸福に役立つものは無いが、それは非常に難しい事である。
訓話と金言
■快楽は幻の様で直ぐ消えるが、苦痛は具体的で継続する。人は快楽の多い人生ではなく、苦痛の無い人生を追うべきだ。
■ある人が幸福かどうかを判定するには、何を悲しんで居るかを問うべきだ。気に病んで居る事柄が取るに足らぬものであればあるほど、その人は幸福である。
■もし今、大きな苦痛がなく、まずまず耐えうる人生を送って居るなら、あなたは幸せだ。病気になったり、苦しくなったりすれば、今が失われた楽園の如く思い出されるだろう。
■時と物事は移ろい易い。今、幸せなら不幸を、友情には敵意を、愛には憎しみを、今が逆ならその反対を常に想像して居れば、不測の事態にも対応でき、思慮深い人生を送る事が出来る。
■日記は付けておくべきだ。なぜなら、時間が経つと、以前の環境や境遇が醸し出して居た気分や感情を思い出せなくなるからだ。しばしば自省し、自分の希望と到達点の差異を検証する事で、人生は思慮深くなる。
■人は孤独で居る時が、最も自由であり、自分自身の個性や価値を享受出来る。人付き合いには他人への気遣いや節制が必要だからだ、結果、自分自身に価値のある人間は孤独を好み、そうで無い人間は自らの空虚さと単調さを埋める為に、やたらと群れる事になる。凡人は他人には耐えられるが、自分の空虚さには耐えられない。
■孤独を愛する気持ちは先天的なモノでは無く、とりわけ知性が高く高貴な精神の持ち主において、年齢と共に成長するものだ。但し孤独に慣れると、感受性が敏感になり過ぎ、必要最小限の社交すら苦痛になってしまう。
■凡人は外的刺激に反応し続け、快楽を追う人生を送る。一方賢者は、物事を客観的に把握する知性を持ち、より高次な精神的充足を追う人生を送る。
■他人を変え様としても無駄だ。世間を生きて行こうとするなら、他人を変えるのではなく、それをうまく利用しようと考えるべきだ。
年齢による違いについて
■若い人は、自分も何れ素晴らしい幸福や快楽に出会えるはずと考えて居る。歳を取ると、そんな幸福や快楽は幻の様なものだと達観し、安らかな気持ちで現在を享受出来る様になるし、それ処か些細な事にも喜びを感じる様になる。
■青年期の教育では、小説を読ませては行けない。世間に幸福や快楽があるかの様な幻想を抱かせるからだ。代わりにアメリカのベンジャミン・フランクリンが書いた『フランクリン自伝』のような実利的なものを読ませるべきだ。
■歳を取ると、精神力は衰えるが、それを補って余りある経験と学識が備わる。物事をあらゆる側面から考察・熟考する時間と機会を持てる。それ故、世の中の道理が理解出来る様になり、人生は円熟する。
まあ、以上が堅物であり世捨て人であったショーペン・ハウアーの論理ですが、現在でも通じますよ。以前から言って居ますが。私は来年の春先ぐらいには生活保護になります。生活保護になったら、3食食べられません。そしておかずもそうそう買えません。塩おにぎりなどで、凌ぐしか無いそうです。私の母親は私が若い頃に私に対してこう言って居ました。「お前が将来なるのは浮浪者だよ!!」私のやる事を盡く邪魔して台無しにしてくれて。よくも言えたと未だに私は怒って居ますよ。私は障害者年金が病気発症時なら貰えたはずだったのです。私が自分で手続きが出来ないから頼んだら。「わたしは、お前が統合失調症などとは思っては居ないよ。だから手続きはしないよ!!」と言い切りました。自分の家から精神障害者を出したくは無かったのですよね。だから、もう障害者年金は貰えません。此の間。そう私のケア・マネージャーに言ったら、、「だって貰える金額はわずか7万ぐらいですよ?」と言われましたが。お金が無い私に取っては7万円は大金です。今、私はなんだかんだで、、月に17万円ぐらいで暮らして居ます。来年からは、それが、14万円になるのですよね。3万円は落とした生活をしなければ。一変に生活は破城します。はっきり言って姉さんたちは大金持ちです。しかし、私を救おうとはしません。姉なんてそんなものです。此方も、あんな横暴で薄情な姉から1銭足りとも援助などはして貰いたくはありません。もう懲りて居ます。
今から20年程前に姉さんの処から、月に6万の仕送りをして貰いました。その初めてのお金は姉さんたちのジャガーの車の中で封筒に入れて手渡されました、私は、ジャガーの車に乗るのは初めてだったので吃驚して乗って居ると、姉さんが鋭い口調でこう言いました。「おまえ〜!、ちゃんとママに言っと居てよ!!」だから姉さんと姉さんの旦那に深々とお辞儀をして「すみません」と礼を言いました。その時は義理の兄貴は「いやいやいや、〇〇君〜。」とにこやかに言って居ましたが。そのジャガーで。実家であるウチに来て。私は姉さんが認知症の母と話し始めたので、兄貴を部屋に連れて来て。「此れからはネットの時代ですよ。」と言い始めて。ネットで色々なサイトを見せ始めたら、義理の兄が突然こう言い出しました「ほら、御礼は?礼は言わないの??」私はさっき車の中で言ったと思いましたが。また御礼を言いました。そして話をし始めて2分も経つとまた「ほら、御礼は?礼を言わないの??」と言うのです。結局10分話して居て、その間に6回ほど礼を言わされました。私は耐えました。それから1ヶ月後。母の容態がおかしくなり。変な事を言い始めた頃に、対処して居た矢先に。突然電話が掛かって来て。出て見たら姉さんで口から湯気を出さんばかりに激怒して居るのですよ。私は訳が分からずに居ると「おまえなぁ〜!!旦那が怒って居るんだバカヤロー!!ふざけてるんじゃないよ!!此の大バカヤロー!!」と怒鳴りまくり。
私は母の対応で困って居た処に電話が掛かって来たから「バカヤローはこっちのセリフだ!!バカヤロー!!!」と言って電話を叩き切りました。結果もうお金は届きませんでした。此方の為を思ってくれて居た訳では無かったのですよね。自分らの体裁で出して居たのですね。その後。私は自分のケアマネージャーに。姉さんに電話を掛けてくれと言いました。何故なら生活保護の認定の調査で、親戚一同に私が生活保護を受けると言う事が生活保護課から連絡が行くからです。他の親戚筋は勿論「なんだと?面倒なんて観れるか!!」と言うでしょうけど。身内にはしつこく電話が掛かって来るらしいです。ケア・マネージャーに聞いたら、「最近はそんな事も無い・・・・。」とは言いましたが。blog友達やら。ヘルパーのおばちゃんなどの処には連絡が来て「あんたが面倒を見られないか?」と電話でそう言われたそうですね。あの乱暴で気が強い姉たち夫婦にそう電話が掛かって来たら。どうなりますか?私の処に怒鳴り込みの怒声罵声の電話が掛かって来て「ど畜生!!いい加減にしやがれよバカチクショー!!」と言われますよ。もう私はあの人たちから。今後一切そう言う言葉を聞きたくはありません。そしてケア・マネージャーも何を勘違いしたのか「お姉さんたちはもう歳なんだから、自分らの生きて行く事だけで精一杯で。あなたの面倒など見られませんよ?」と言われました。
私は「なんだろうか?」と思いましたよ。自分の事で精一杯?何億円もする豪邸に住み。お金があって贅沢して居るあの人たちが・・・・・。他人には解りませんからねぇ......。まあ、私の生活費は14万円しか無くなります。そのうち。このアパート代が5万5百円罹りますから。生活費はほぼ9万円です。私はケーブルTVとインターネット通信代は両方併せて2万5千円は掛かって居ますが。辞める訳には行きません。何故なら私のレゾンデートル(存在理由)ですから。唯一の楽しみですからね。映画・音楽・アニメは、Blu-rayに録画して焼いて所有して居るのですから。人生お金が全てでは無いとは私もそう思いますが。矢張り先立つモノはお金です。お金が無かったら何も出来ません。私は若い頃に伊勢丹の裏方と出版社で働いて居た事がありました。以前に書いて居るので此処では話は省きますが。出版社は単純な作業でしたので。最も、今はもう、ああ言う職種は無いですけどね。ですが、ああ言う職種でさえ、自ら、お金が欲しいが為に残業をして、時給を上乗せして貰うと言う事があったのですよね。私はやりませんでしたけど。伊勢丹なんかは、書き入れ時。クリスマス商戦やら年末になると大学生のアルバイトを雇うのですが。彼らは真面に仕事をしませんでした。皆、高卒の社員たちが彼らの分まで働いて居ました。そのくせにアルバイト代、1ヶ月分。当時で15万円は大学生たちは笑って貰って居るのです。私は怒りが込み上げて来ましたよ。何が大学生だ!!親の保護の元に遊ぶ金欲しさにバイトをして!!しかも酷い学生になると柱の影にへばり付いて何もしない。私は真面目で無い人間は大っ嫌いです。それは少し砕けた処とかあるのはいいのですが。いい加減な人間は嫌いですね。
今日の昼食です。。。ホットケーキにアイスカフェオレです。。。
今日の夕食です。。。肉野菜炒め定食に冷奴です。。。
お金と言うのは価値を表したもので、それを使って色んなものと交換できます。昔の様な物々交換はなく、貨幣経済が浸透した事により物以外のサービスも享受するようになりました。つまりお金はすべての価値の代替物で、あらゆるものの価値をお金で変換する事が出来る様になりました。お金は生活には欠かせないもので、それを稼ぐために人々は毎日あくせく働きます。お金が落ちて居れば誰もが拾う事でしょう。
1.お金があれば何でも出来る
お金はあらゆるモノの価値を代替するもので、その設定された金額分のお金を払えば、その物と交換する事も出来ます。野菜や果物などの食生活に関わるものから、服や靴なども購入でき、物質的ではないマッサージや調査以来など何でもお金で解決できます。世界一周をしたいとなればお金が必要で、豪華な家に暮らしたいならば、それは豊富な資金があれば何時だって可能です。勿論お金で解決出来ない事もあります。たとえば未知の病気に対抗する策であったりなどです。しかし、コロナですらワクチンが出来ました。そして、その様な事が起きるのは稀であり、日常生活の殆どはお金で解決出来るのです。
2.お金が無ければ何も出来ない
お金があれば何でも出来ます。それは逆にお金が無ければ何も出来ないと言う事です。家賃や光熱費、食費が払え無いので、衣食住が侭なりません。結婚なども年収が条件に加えられ、愛などより経済性が重要視されます。恋人とのデートにもお金が必要です。日常生活のあらゆる部分にはお金が必要であり、お金がなければ何も出来ないでしょう。お金で解決出来ないものは確かに存在します。しかし、お金がなければ解決出来るものも解決出来ないのです。
まあ、哀しいけどね、、これが現実です。今の世の中、弱者は生きられませんよ。私は自分が、此れ以上、生きられないとなれば自害します。世の中。誰が救ってくれますか?国が救ってくれる?まあ、生活保護は最後のセーフティーネットと言いますけど。ある議員さんがこう言って居ました。「死ぬか生きるかの人だけに保護費を出せばいい、あとはどうでもいいんだよ ・・・・。」自分らは選挙で裏金使って当選して何だろう。この上から目線処では無い、モノの言い様は。議員さんは、皆さん。いい事を言いますけど。本当に国民の目線で、国民の代表として頑張って居る人は少数ですよ。大概の政治家たちは利権絡みで動いて居ます。そして世の中もそうだ。既得権益に縛られて、悠長な事を言って自分の事しか考えて居ない企業の社長さん。こんな事では日本は滅びますね。。。私は今回選挙に行かなかった。投票する政党が何処にも無いからです。自民党?野党?どれも同じに見えます。自分を誤魔化して、どこか適当な党に一票を入れる事は出来ませんしね。今回は、ショーペンハウアーの理論を元に書きました。此処まで読んでくれてありがとう。。。。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
私が応援して居る青木志貴ちゃん。声優で。舞台俳優で。YouTuberです。
今回は此処までです。読んでくれてありがとう、、、