寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

昔も今も・・・

今日は久々、新宿に行って来た。引っ越してから初めてだ。しかし、新宿も面白く無くなったものだ。外国人が多いが、西口も東口も前に比べたらぐんと落ちる。私は今日は黒いカーゴパンツを買いに行ったのだが、カーゴパンツは今や古いと見えて、京王デパートやら小田急デパートでも殆んど売っては居なかった。

何とか23区と言う恐らくはパリ製のブランドものだとは思うが、丈夫そうで、見た目も良かったのでブラウンの色の物を1本購入した。18,036円だ。裾ずめで648円取られた、カーゴパンツ自体は17,388円だった。最近はデパートでも直し代を取るのか?、以前はサービスだったが、まあデパートで買い物をするのは13年振りだ。客は外国人が多い。殆んどが中国人か?金持っているからねぇ....13年振りの買い物だったが、もはやデパートと言う時代では無いですね。しかしデパートは高いです。ちょっといいなと思うとベスト1枚で26,000円位はざらにする。とてもでは無いが高くて買えない。そしてカーゴパンツを買うのでお勘定をして居たら、中国人の主婦が来て、How much?と買うので置いてある商品を掴んで言う。店員は商品をもぎ取って違うものを見せて、値段の札を見せたら居なく成った。処置無しです。大体が、最近若者がやたら大きいと思って居たら。殆んどが中国人だった。最早、今や新宿を彷徨くと中国人とぶつかると言った時代だ。カーゴパンツを買って、伊勢丹まで地下道を歩いて行ったが途中でシャツショップを見つけ観てみた。値段は安い。シャツ3着で1万だと言うが、そんなに買おうとは思って居ない。だから2着だけ購入した。

しかし、本当に新宿はつまらなくなった。人は出ては居るが、活気が無いのだ。全然面白く無くなってしまった。まだ10年前はこんなでは無かったのに。大体がデパートのすぐ脇にUNIQLOがあるし。デパートは売れては居ない。

最早、リアル店舗が駄目なのだ。紀伊国屋書店に行くが、興味の引く本を置いて居ない。10年前までは思想書、哲学書などが売り場に置いてあったが。今や、売り場さえ無いのです。芸術関係の書籍も置いて居ない。だからか客が居ないのです。置いてあるのはビジネス書とパソコン関係の本だけだ....あと小説。リアル店舗の本屋よりネットの古本屋の方が買うべき本が沢山ある。本屋が廃れて行くのには理由があります。買いたい本がないのですよ.....

新宿のディスク・ユニオンぐらいか観られる処は・・・

 
 
今や、中古の商品が店屋に並んでいる時代です。CDなどは売れないし、DVDなども売れて居ません....最早、CS、BS、などで放映する映画を皆んなHDDに録画している時代です。それに音楽はyoutubeなどでタダで聴けます。時代が変わりましたよ。ただ中古レコードが人気があるのはいいと思いますが。つい25年程前までは映画はテレビではノーカットで放映するのは稀だったし、だからレンタルビデオが頼りでしたが、今はレンタルでDVDも見られるし、中古DVDが腐るほど売っています。新作のDVDなどは、すぐに公開された映画のDVDが出ます。DVD1枚当たりの値段も安いですしね。。。TSUTAYAなどでは未だにビデオが一部置いてある店舗もある様ですが?今は飽食の時代と言うべきか。洋服もUNIQLOやGUで皆さん済まして居るでしょう。ちょっとした服はネットで探せばデザインがカッコイイものが安く手に入ります。ブランド物では無いですが。私はそれで充分です。ただ、私は今持っているミッシェル・クラインのカーゴパンツの黒が色落ちしてきたので買おうとして新宿に買いに行ったのですが、デパートでも、もう、売って居ませんでした。カーゴパンツの時代はもう古いのかな?本当に今は何でもありの時代ですね。ちょっと前の時代の服を買おうとするならば古着屋に行くと必ずありますしね。もう、洋服は何でもありの時代です。最近の若い女の子が昭和の時代の古着を着ていて、そしてそれがお洒落な時代だと言いますから。お年寄りはそんな最近の若い子たちを見ていて、あたしらが昭和に着て居た服を、最近の若い子はまた着て楽しんで居ると喜んで居るそうです。だから最近の若者は選択肢が一杯あっていいですね。勉強は学ぶべき事が多くて大変でしょうけども....何でもある時代ですよ今は。カーゴパンツはネットで探しますよ。ネットでいいのがなかったからデパートであるかもと思い行って見たのですが、期待ハズレでした。デパートは高いです!!下はネットのブティックで購入した麻と綿混合の7部袖の迷彩柄のブレザーです。1,890でした。安いですが生地はしっかりして居て、着やすいです。リアル店舗では売って居ませんね・・・ネットだと思いがけなくいいものが手に入りますよ。安いしね・・・
 
Amazonで購入した書籍。もっとも埴谷雄高氏の「不合理故に吾信ず」は前に持っていた本がボロボロになったので購入し直したものです。。。マカロニ・ウエスタンの書籍は最近になって出版されたものです。知らない人は読んでみましょう....マカロニは制作されてから40年程の歳月が流れましたが、未だにこうやって書籍が出る程の人気です。
 
 
 
いいものはいつの時代もリスペクトされる。。。
 
三角龍雪 VS 木暮修傷
 
今は古いものがカッコイイのです。まあ、騙されたと思って観て下さいよ・・・3分程です。

Django 1966 tribute

The Good, the Bad and the Ugly: 𝖳𝗁𝖾𝗆𝖾 • Ennio Morricone
 
「ガンマン無頼、 ~ Texas, Addio~Texas Goodbye」サントラ~ドン,パウエル、Don Powell

怒りの荒野 (1967) - ジュリアーノ・ジェンマ,リー・バン・クリーフ,アンドレア・ボシック 原題:I GIORNI DELL’IRA/DAYS OF WRATH
 
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SHAKE YOUR HIPS  BLUES HARP ATTACK  ハープアタック  MAGIC HARP BIG ROCK OIWA YUTO 大岩勇人 ビッグロック

レディースハープアタック

 ヒューイルイス 東京ドーム ハーモニカソロ

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引越しで出て来た月刊漫画誌「ガロ」

月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、独創的な誌面と伝説的経営難の中で独自の路線を貫き漫画界の異才をあまた輩出した。初代社長兼編集長は、青林堂創業者の長井勝一(ながい かついち)。1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行している。

『ガロ』は先見性と独自性で一時代を画し、単なる漫画雑誌には止まらない足跡を出版界に遺した。また、独自の作家性を持つ個性的な漫画家たちの作風は「ガロ系」と呼ばれ、『ガロ』出身ではない作家でも「あの作家はガロ系」としばしば表現される。彼らの作風は、海外のオルタナティブ・コミックの作家たちとも親和性が高い。

商業性無視

日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年7月24回に創刊された。誌名は白土三平の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っているほか我々の路すなわち「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあった。誌名の複数の候補からガロを選んだのは長井の甥である。題材・内容とスケールから連載する場所がなかった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的だった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。

長井勝一は後年「執筆者が7人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊時を振り返っており、水木しげるや白土三平が複数の名義を使い執筆者を水増ししての創刊だった。当初は白土三平の赤目プロの援助を受けて刊行された。雑誌のロゴも白土が発案し、レイアウトのほとんどを白土が構成した。表紙のレイアウトは週刊誌『朝日ジャーナル』を意識した。『ガロ』に触発された手塚治虫は虫プロ商事より『 COM』を創刊、『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった。

1960年代の『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』と水木しげるの『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆう、つりたくにこ、長島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、多いときには2日、最低でも3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れた。

原稿料0円は当たり前!?

 

『ガロ』は商業性よりも作品を重視しオリジナリティを第一としたため、編集者の干渉が比較的少なく、作家側にすれば自由に作品を発表できた。また、新人発掘の場として独創的な作品を積極的に掲載した。こうした事はそれまで漫画という表現を選択する事のなかったアーティストたちにも門戸を開放する結果となり、ユニークな新人が続々と輩出されるようになった。発刊3年後の1967年には、主に『カムイ伝』を目当てにした小学館による買収および、当時の同社の中学生以上の男性向け雑誌『ボーイズライフ』との統合話が持ち上がったが、破談に終わる。

1971年に『カムイ伝』が終了すると『ガロ』の売上は徐々に下降線をたどるようになる。当時編集部に在籍していた編集者であった南伸坊や渡辺和博らが一時編集長となり、面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作りを提唱(=「面白主義」)した。その結果、サブカルチャーの総本山的な立場として一目置かれつつも、単行本の売上で糊口をしのぐという状態が続いた。この時期大手出版社から買収の話も持ち上がるが、長井はこれを拒否したと言う。一方で『ガロ』を強く意識していた手塚治虫の『COM』は『ガロ』のように「原稿料ゼロ」と言う訳にはいかず、1971年末に廃刊する。

1980年代に入ると部数は実売3000部台にまで落ち込み、バブルで金余りの世相にありながら、千代田区神田神保町の材木店の倉庫の二階を間借りして細々と営業する経営難を経験する。この頃になると社員ですらまともに生活ができないほど経営が苦しくなった。原稿料は長井による「儲かったら支払う」と言う「公約」のもと、すでに支払を停止せざるを得なくなって居た。ただ、本当に生活できない漫画家には1ページに500円ほど支払う事もあった。

それでも長井社長を支持する歴代の作家陣などの精神的・経済的支援と強い継続の声により、細々ながら刊行は続く。そして読者は一部のマニア、知識者層、サブカルチャーファンなどへと限られていった。その一方で「『ガロ』でのデビュー=入選」に憧れる投稿者は依然多く、部数低迷期にあってもその中から数々の有望新人を発掘していった。新入社員も1名を募集すると100名200名が簡単に集まったと言う。

 

この時期は完全に単行本の売上によって雑誌の赤字を埋めると言う、いびつな体制になっており、社員編集者たちは『ガロ』以外の媒体からいかに単行本を刊行させてくれる作家を見つけるか、また実際に編集の合間に営業や倉庫の在庫出しや返品整理をするなどして、『ガロ』を支え続けた。

 

 

1980年代後半に、長井が高齢と経営悪化を理由に、『ガロ』や青林堂の売却を周辺に漏らすようになる。長井周辺では、関わった作家や編集者などが、できるだけ長井と当時の編集者たちによる体制を維持できる譲渡先を探る事に奔走する事になる。その中で、PCソフト開発会社のツァイトを経営する山中潤が浮上(仲介をしたのは松崎呉一)。長井らと数回の会談の結果、彼が青林堂の経営を引き継ぐ事となる。山中は1990年9月、青林堂代表取締役社長に就任(長井は会長に)。長井勝一と『ガロ』、青林堂は三位一体であると改めて確認し、そのかたちを維持させながら、慎重に会社としての経営、財務と営業、また出版社としての編集体制などを建て直す事に着手する。

1992年には長井が編集長を辞し、山中が編集長に就任。『ねこぢるうどん』や『南くんの恋人』のヒットや映画のタイアップ企画などで単行本が好調となり、また本誌の売り上げも「名作劇場」や「特集」の導入、サブカルチャー情報を大量に掲載するなどして向上させた。1993年には月刊『ガロ』創刊30周年記念作として、障害者プロレスのドキュメンタリー映画『無敵のハンディキャップ』(北島行徳原作)を製作。また、経営母体となるツァイトでも『ガロ』の漫画をPCゲーム化、1994年には青林堂とツァイトとの共同であがた森魚監督による映画『オートバイ少女』を製作するなど、メディアミックスを積極的に展開し、原稿料も幾らかは支払われるようになった。この時期の『ガロ』はページ数もさる事ながら、全体に対する文章の占める割合がかなり増え、サブカルチャー情報誌としての性格が強く成って行った。

『鬼太郎夜話』

 

なお、当時の「事件」として、1993年、当時雑誌『SPA!』に『ゴーマニズム宣言』を連載していた小林よしのりが、「御成婚パレードでオープンカーに乗った皇太子妃雅子が“天皇制反対ーっ”と叫びながら、オープンカーから周囲に大量の爆弾を投げつける」という漫画を描き、『SPA!』に掲載拒否されて、『ガロ』に持ち込み掲載される、と言う出来事があった。

順風満帆に見えた『ガロ』であったが、親会社のツァイトがPCソフトのプラットフォームがMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化に乗り遅れ、経営が徐々に悪化する。また1996年には創業者であり、長年『ガロ』の名物編集長で青林堂の顔でもあった長井が死去する。

その後、来るべきインターネット時代を先取りし、1997年当時としては画期的であったインターネットとコミックの融合雑誌『デジタルガロ』(編集長・白取千夏雄)刊行に着手する。だが編集部内では、インターネットを『ガロ』にはそぐわないものとする守旧派と白取ら推進派が対立し、その結果白取は『ガロ』副編集長のままツァイトへ移籍して『デジタルガロ』の編集にあたると言う、変則的な事態を迎える事と成った。

この先見的な試みは、山中社長が強引に搬入部数を10万部まで増やしたため結果的に失敗(最終的な実売は15000 - 18000部)に終わり、大赤字を出す事となった(ただし、白取は「ガロを立て直し、90年代に部数を3倍に伸ばし、法人としての株式会社青林堂を黒字で数億円の売上高に回復させたのは、他でもない山中さんの手腕だ」との証言をして居る)。

しばらくして山中が体調を崩したため、山中と旧知の仲であるコンピュータ業界の先輩・福井源が社長代行となったが、元々山中体制に不満を抱えていた手塚能理子(当時青林堂取締役)以下の社員が申し合わせ、事前連絡も無いまま保管してあった作家の原稿を持ち去り、FAXにてツァイト宛に7月7日付で、副編の手塚を筆頭に青林堂編集部員全員の辞表が送られ、一斉に集団退社するという事件が発生する。同時に彼らはマスコミや取引先を通じ各方面へ「青林堂は版元として終わった」との声明を広く流布した。マスコミはその内容を詳細に検証する事なく報道を行なったため、青林堂と経営母体であるツァイトには大きな風評被害が及んだ。

退職した手塚能理子ら元青林堂編集部員達は長井勝一が生前に「何かあった時にこの名前を使え」と遺した「青林工芸舎」を社名とした新出版社「青林工藝舎」を青林堂の後継と称して立ち上げた。内紛騒動の顛末は、青林堂と青林工藝舎との間で訴訟継続中であったが和解で終了した旨が『ガロ』2002年2月号に掲載された。しかし、休刊騒動の取材を受けた元青林堂社員らは「当時の事は思い出したくもない」と取材を拒否しており、休刊騒動の真相をついに語る事はなかった。

それがきっかけとなりツァイトは倒産し、『ガロ』は休刊に追い込まれた。その後、編集長に長戸雅之を招き、新社員を募集。1998年1月にいったん復刊したが1998年9月に『ガロ』は再び休刊した。

ツァイト社倒産後、青林堂の援助をしていた「大和堂」社長の蟹江幹彦が引き継いで社長となった。大和堂体制となった『ガロ』は2000年1月号より復刊するが2001年なかばより隔月刊、2002年には季刊となり、オンデマンド版(いわゆるネット上での通販)として販売形態を変更したが2002年10月発売の1号が刊行されただけに終わり、実質発行の無いまま現在に至って居る。

その結果、正式な本誌としての『ガロ』は『漫画ガロ/2002年10月/秋号(通巻426号)』を以てして最終刊行号とされ、新刊としてはこれが最後のものとなった。

予告されていた『ガロ』427号は現在まで刊行されず、事実上の廃刊状態となっているが、休廃刊の公式アナウンスはない。2010年9月30日に青林堂(大和堂)はiPad用の電子書籍アプリとして『ガロ Ver2.0』の販売を開始したが、わずか2号で廃刊となった。これは『ガロ』と関係のない同人誌系創作漫画のアンソロジーであり、近年の若者向けであった。

2010年に入ると青林堂は保守系雑誌『ジャパニズム』を創刊。半世紀に渡ったサブカルチャーの専門出版から事実上撤退し、ガロ時代とは異なる雰囲気の出版社と成って居る。1997年に退社した手塚能理子ら元社員達は青林堂の後継を称した青林工藝舎を設立。旧ガロの漫画家や新人などによる『ガロ』の事実上後継雑誌『アックス』を隔月で刊行しており、ガロ時代の青林堂の気風を現在に伝えて居る。

 「ガロ」年表。

  • 1964年(昭和39年)7月24日 - 『月刊漫画ガロ』創刊。部数は8000部。白土三平が4号目より『カムイ伝』の連載開始。
  • 1966年 - 『カムイ伝』が人気を呼び、発行部数が延びる(80000部)。
  • 1967年- (ライバル誌『COM』創刊)
  • 1971年 - 『カムイ伝』連載終了。
  • 1980年- 次第に『ガロ』の人気が低迷するが、一方で有力新人を次々と発掘して行く。
  • 1990年 - 青林堂からツァイトに経営譲渡。ツァイト社長の山中潤が青林堂社長に就任。
  • 1992年- 長井が1月号から編集・発行人を退き会長に就任。山中が編集長となる。
  • 1993年 - 宮城県塩竈市で「ガロとマンガとマンガ文化」開催。
  • 1994年- 「月刊ガロ創刊30周年記念パーティー」。
    • 夕張国際ファンタジック映画祭に30周年記念製作映画『オートバイ少女』が招待され、新宿シネマアルゴにて一般公開される。
  • 1995年- 長井、日本漫画家協会賞選考委員特別賞受賞。
  • 1996年- 長井死去。享年74。
  • 1997年 - 2月、インターネット・マガジン『デジタルガロ』発刊。『ガロ』本誌8月号で一時休刊(7月7日付で全社員が退社したため)。
    • 青林堂全社員退社が引金となり親会社の株式会社ツァイトが倒産。
  • 1997年 - 福井源が青林堂社長に就任し1998年1月号より復刊するが、1998年9月号で再び休刊。
  • 2000年 - 1月号より復刊。
  • 2001年- 6月号まで月刊、8月号より隔月刊化。
  • 2002年 - 4月号まで隔月刊、次号の7月号より季刊化。12月発売号よりオンデマンド出版に移行するも1号で終わる。
  • 2010年 - 9月30日、iPad用の電子書籍アプリ『ガロ Ver2.0』発刊。10月1日、2.01を発刊。
  • 2011年 - 1月、Ver.2.02を発刊。その後DLsite.comやDMMからは2月に2.03が出るがすぐに消滅。iPad用アプリが出る事はなかった。そのまま廃刊となる。

ETV特集 マンガが時代を映してきた~60年代から90年代へ〜第二回 面白主義の登場 "ヘタウマ・マンガ"の系譜 1996.4.23  

 

また自撮りです。しかし痩せないものかなぁ・・・

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Rock and Roll Medley/Dig It (Let It Be Sessions)

ファニー・カンパニー (ベイビー)

金子マリさん A Natural Woman 1992 夢の乱入者

塩次伸二 妹尾隆一郎 永井ホトケ隆 2008.1.18 京都Mojo West

June Yamagishi / Everything's Gonna Be All Right

 雨あがりの夜空に

サディスティック.ミカバンド タイム.マシンにおねがい

CRAZY KEN BAND タイガー&ドラゴン

 

 

コメント一覧

kiyasume
あの頃のショーケンは良かったですよね、、、
私もあの頃のショーケンが好きでした。

「傷だらけの天使」はちょっとアナーキーなドラマでしたが、
そこが良かった。。。。

あのドラマの後、テレビに自分もあんなドラマが製作したいと、
演出家の卵だとかが殺到したらしいですよ。

ただ惜しむらくは、映画を撮って置くべきだった。
今ならそうするでしょうけど、あの当時は・・・・・・

私はこの「傷だらけの天使」CS放送でショーケンの追悼で、
一挙、全話放送したので、迷わず、Blu-rayに焼きました(笑)

前にもレンタルビデオからダビングしたものを所有していたのですが、
画像も悪いし、何せ20年程前ですから・・・・・
だから今回録画出来て嬉しかったです。画像もいいしね。。。。

しかしショーケンが亡くなられたのは、まだ68歳でしたよね、、
矢張り、70歳を越すのは大変なんでしょうか?

もうああいう俳優は現れないでしょうね、、
生き方は結構破天荒だったけど・・・・

また 覗きに来て下さいね。
iri2014227
傷だらけの天使はいつも見てました
あの頃のショーケン一番カッコよかった
最初の
トマト 缶のままのコンビーフ ソーセージを食べるシーン好きでした
水谷豊さんとのコンビ最高でしたね
kiyasume
1秒前
「ガロ」は昔、うちに下宿していた、大学生の部屋に行って読ませて貰って居ました。私が小学生の頃です。小学高高学年で自分も買う様になりました。

全共闘世代のバイブルでしたね。その後、1970年代に入り不条理ものがよく乗る様になり、寺山修司だとか、つかこうへい。などの演劇が好きになりました。

ガロは2002年まで発行していましたが、今は廃刊です。
今は「ガロ」的な雑誌は「アックス」「幻燈」がありますよ。

でも幻燈はもう廃刊かも知れません。
「アックス」は未だにありますね・・・・

昔の「ガロ」に似ていますが・・・・

内容的にどうなのかな?

まあ、「ガロ」の使命は終わったのだと思います。
今は、商業誌の「少年ジャンプ」とかでしょうか....

ビックコミックも見掛けませんよね・・・
漫画には未だに「ガロ」的な物を求めてしまいます。

書き込み有難う御座いました。。。
櫻井丹九郎
『ガロ』。。。。。。。。お聞きしたことはあります。
ぼくも、古本屋で、ちらっと見たことがありますよ。、、、、、買えばよかったですね。

どちらかと言えば、【反体制雑誌】だったんですね。

でも、もう、歴史的使命が終わった、ということなんでしょうか。
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