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寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

ポール・コリアーの書籍案内....。

 

最短距離で結果を出すGACKTのサバイバル術 GACKT邸ご自宅訪問『GACKT超思考術』 

 

 

 

最近、また、当分記事が上げられ無くなると思うので。今のうちに連発して短めの記事を上げて置きます。よろしかったら。此処1週間で上げたblog記事をよく読んで見て下さいね。勿論。この記事も宜しくお願い致しますね。特に、ポール・コリアー著「新・資本主義論」の解説を書いて居ますので、よく読んで見て下さいね・・・・・。

 

先ほど飲んだアイスコーヒー。。。

 

 

 

私が好きで応援して居る青木志貴ちゃんです。声優で。舞台俳優で。モデルで、自分のアパレル・ブランドのデザイナーで、ゲーマーで、コラムニストで、YouTuberです。彼女は歳は32歳です。若く見えますよね・・・・・。皆さんも応援して下さいね、、

 
 

 

 

 

処で、私はポール・コリアー氏の「新・資本主義論」を評価して居ます。本の内容を書いて見ました。

資本主義は多くの成果をあげて来たし、繁栄には欠かせない。だが資本主義経済を過度に楽観視すべきではない。ただ市場の圧力や個人の利益の追求に頼って居るだけでは、新たな3つの社会的分裂のどれも修復する事は出来ない。「元気を出して、流れに乗ろうじゃないか」などと言う態度は的外れなだけでなく、あまりに独りよがりだ。私たちに必要なのは積極的な公共政策だ。だが社会的父権主義は失敗を繰り返して来た。左派は国家に任せて於くのが一番だと考えたが、残念ながらそうではなかった。先導者たちが導く国家こそが倫理観を指針とする唯一の存在だと信じたのだが、それは国家の倫理性を過大評価する一方で、家族や企業の倫理観を軽視した。それに対して右派は、国家による規制の束縛を断ち切れば──これはリバタリアンたちの呪文【マントラ】だ──自己の利益の追求が持つ力を解き放ち、すべての人を豊かに出来るとの信念を抱いた。此れは今度は市場の魔法の様な力を極端に強調する一方で、それを倫理的に抑制する必要性を軽視したのだ。私たちには意欲的な国家が必要だが、左派が言うよりも控えめな役割を引き受ける国家でなければならない。私たちには市場も必要だが、倫理観にしっかりと根差した目的意識によって抑制されて居なければならないのです。

 

ポール・コリアー『新・資本主義論──「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社)目次よりポール・コリアー『新・資本主義論──「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社)目次より

 

他に適切な表現が無い為、社会の溝を無くす為に私が提示する諸政策を「社会的母権主義(ソーシャル・マターナリズム)」と呼ぶ事にする。それによれば、国家は社会と経済の両方の領域で積極的に役割を果たすが、過度に自らの権力を増大させる事はしない。租税政策は強者たちが分不相応な利益を持ち去る事が無い様に抑制するが、喜び勇んで富裕層から所得を奪い取って貧困層に配る様な事はしない。さまざまな規制はするが、それはまさに資本主義が驚異的なダイナミズムを発揮する活動を挫く為では無く、「創造的破壊」──それは競争によって経済発展を促進する──の犠牲者たちが補償を求める事が出来る様にする為だ(*)。「社会的母権主義」のもとでは、愛国心が人びとを結束させる推進力となり、不平不満に基づく個々にばらばらなアイデンティティは重視されなくなる。この指針の哲学的基盤となるのはイデオロギーの排斥だ。とは言え、雑多な思想のごった煮と言う訳ではなく、私たちの多様かつ本能的な道徳的な価値観と、その多様性に当然ながら伴うプラグマティックな妥協とを、進んで受け入れる事を意味している。何か特定の単一な絶対的な理性的原理でもって多様な価値観を退けると言うやり方は、必然的に対立をもたらすだけだ。互いの多様な価値観を認め合う事は、デイヴィッド・ヒュームとアダム・スミスの哲学に根差して居るのだ。左右両極の対立は20世紀の最悪の時期の特徴であり、目下猛烈な勢いで復活しつつあるが、本書が提示する諸政策はそれを乗り越えるのです(†)。

 

 

ポール・コリアー著『新・資本主義論──「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社刊)第2章「道徳の基礎──利己的遺伝子から倫理的集団へ」P.050─051より 著者は、道徳の基礎として、したいことよりも「すべき」こと(義務)の大切さを説くにあたって、ホモ・サピエンスの言語こそが「ナラティブ(筋道だった物語)」を伝えることができるのであり、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は逆さまだと語る。
ポール・コリアー著『新・資本主義論──「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社刊)第2章「道徳の基礎──利己的遺伝子から倫理的集団へ」P.050─051より 著者は、道徳の基礎として、したい事よりも「すべき」事(義務)の大切さを説くにあたって、ホモ・サピエンスの言語こそが「ナラティブ(筋道だった物語)」を伝える事が出来るのであり、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は逆さまだと語る。

 

 

20世紀の種々の大惨事を引き起こしたのは、熱烈にイデオロギーを奉じて居た政治リーダーら──原理を重視した男たち──か、あるいはポピュリズムを売りものにした政治家たち──カリスマ性を持った男たち(そう、たいてい男たちだった)──のどちらかだった。こうしたイデオローグやポピュリストらとは対照的に、20世紀のもっとも成功したリーダーたちはプラグマティストだった。腐敗と貧困にまみれた社会を引き受けたリー・クアンユー〔1923−2015年。元首相〕は、真正面から腐敗撲滅に取り組み、シンガポールを21世紀を代表する繁栄する社会に変えた。分裂目前と言う程に分断された国家を引き受けたカナダのピエール・トルドー〔1919−2000年。元首相〕は、ケベックの分離主義を収束させ、誇り高い国家を築いた。民族虐殺の瓦礫の中から、ルワンダのポール・カガメ〔元副大統領・国防相、現大統領〕はしっかりと機能する社会を再建した。

著書『ザ・フィックス(The Fix)』の中で、ジョナサン・テッパーマンはこのようなリーダーたち10人を研究し、それぞれが深刻な問題を解決した方策を探究した。テッパーマンの結論は、10人の共通点はイデオロギーを退けた事であり、その代わりに核心的な問題に対するプラグマティックな解決策に集中し、進むにつれて状況に合わせて調整して行った事だと言う。彼らは必要とあらば断固とした態度を示した──有力な集団を優遇しないと言う決然とした姿勢が彼らの成功の特徴だった。リー・クアンユーは友人たちであっても投獄する覚悟があった。トルドーは同郷のクベック州の住民たちが熱望したにもかかわらず、独立した地位を与える事を拒んだ。カガメは自らのツチ族の仲間たちが軍事的勝利を収めても、戦利品の山分けと言う旧弊を退けた。そして最終的に成功を勝ち取るまで、彼らは皆激しい批判にさらされたのだった。

本書のプラグマティズムは道徳的価値観にしっかりと、そして一貫して根差して居る。しかしイデオロギーを排するから、あらゆる類のイデオローグたちから不評を買う事は確実だ。それは今日メディアを支配して居る人たちだ。だが「左寄り」と言うアイデンティティは道徳的優越感を感じる為の怠惰な手法となって居る。「右寄り」と言うアイデンティティは自分は「現実的」だと感じる為の怠惰な手法となって居る。皆さんは此れから本書を通じて倫理的な資本主義の未来を探究する事になる──ど真ん中の中道へ、ようこそ。

(注)(*)「創造的破壊」とは、市場における競争を通じ、有能な企業がそうで無い企業を駆逐するプロセスを指す。所得が漸増して行く現象はほぼ此れで説明がつく。これはジョセフ・シュンペーターの造語で(Schumpeter, 1942を参照)、「資本主義の本質的事実」だとシュンペーターは述べた。だからその他の「何々主義」と言う様なものは、どれほど夢想的な魅力に溢れて居ても、良くてもせいぜい的外れにすぎないのだ。私たちの社会の将来は資本主義を打倒する事にでは無く、改良する事にかかって居るのです。

(†)プラグマティズム、繁栄、コミュニティ、倫理、そして社会心理学と言う彼の提言の構成要素はすべて首尾一貫して結びついて居る。それは、いずれもデイヴィッド・ヒュームとその友人のアダム・スミスにまで遡れるからだ。スミスの伝記を書いたジェシー・ノーマンが言う様に(Norman, 2018を参照)、スミスはプラグマティストだった。逆に言えば、プラグマティズムの淵源はスミスに求める事が出来るのである──「彼のニュートン主義的な科学哲学が含意して居たものを、現代に於いてもっとも偉大なかたちで追究したのがパースの思想だった」と、ノーマンは言う。パースはプラグマティズムの創始者だ。スミスとヒュームの倫理観は明らかにコミュニタリアンだった。ノーマンも入念に指摘して居る通り、彼らは原始【プロト】功利主義者では無かったのです。

 

ポール・コリアー『新・資本主義論──「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社)。

 

帰属意識の政治学

彼の主張はマルクス主義のバリエーションではない。マルクス主義のイデオロギーは憎悪に満ちたナラティブに立脚し、それは共有されたアイデンティティではなく、極端な階級的アイデンティティをもたらす。相互的な責務では無く、ほかの階級に属するものを特定の階級が簒奪する権利を主張する。イスラム教原理主義の様に、マルクス主義が言う「啓発された利己心」は、国家が「衰亡する」遥かなる楽園を思い描かせる。だがマルクス主義が実際にもたらす結果は、例外なく証明されて来た通り、社会的な葛藤であり、経済の崩壊であり、衰亡する処か傲慢かつ残忍な権力の支配を強要する国家なのである。この事は現在もベネズエラからの難民たちの脱出と言う形で現れて居て、少しでも関心があれば気づく程、衆目にさらされて居る。理性的な相互主義を基盤として資本主義を操るプラグマティックな社会と、マルクス主義のイデオローグたちが操る社会との違いは、心やすらかな社会と、募るばかりの憎悪によって引き裂かれて居る社会の違いです。

一方、ロールズ主義と功利主義の夢についてだが、家族内の責務を貶め、あらゆる子供たちに対して平等に責務を果たす事を優先したり、国民同士の責務を貶め、世界的な「被害者」集団に対する責務を優先したりしても、エデンの園は創れない。それは「権利に基づく個人主義」と言う闇へと落ち込んで行く社会を次世代に残すだけだ。そんな事になれば、将来振り返って見た時、功利主義とロールズ主義が中道左派を支配した時代は、まさに次の様な時代だったと認識されずには居られまい──傲慢、自信過剰、そして破壊的な時代だ。だがコミュニタリアニズムと言う本来のルーツに戻るにつれて、そして必死に働く世帯の不安に対処する為、信頼に基づく相互的な義務感の網の再建に取り組む事により、中道左派は復活するだろう(*)。同様に、強硬な個人主義が中道右派を支配した時代は、本来は偉大なはずの伝統を「エコノミック・マン」が惑わせた時代として理解される様になるだろう。それは倫理的な姿勢を取り戻すにつれて、「ひとつの国民【ワン・ネーション】」を主眼とする政治に復帰するだろう。今日の新たな不安の数々は極左に丸投げするには深刻すぎる。一方、場所に対する帰属意識は、極右のなすがままにするにはあまりにも力強く、潜在的に建設的なものです。

新たな不安の数々に直面している今、問題とすべき経済的な脅威は、新たに猛威を振るって居る地理的および階級的な格差拡大である事は明らかなはずだ。宗教やイデオロギーに於ける過激主義的なアイデンティティの台頭を前にして、問題とすべき社会的な脅威は、対立的なアイデンティティへの断片化──それはソーシャルメディアの「エコー・チャンバー」によって支えられて居る──である事も明らかなはずだ。ブレグジットとドナルド・トランプの登場以降、問題とすべき政治的な脅威は、排外的なナショナリズムである事は明らかな事となった。処がリベラル勢力は共有された帰属意識と、それが下支えできる温和な愛国主義を遠ざけた事で、社会を団結させ、改善策を進める事の出来る唯一の原動力を手放してしまった。その結果迂闊にも、そして無謀にも、その原動力をいかさまな両極に明け渡してしまったのだ。両極の連中はそれを自分たちの歪んだ目的を実現する為に捻じ曲げながら、ほくそ笑んで居るのです。

 私たちはもっと出来る──かつてやった事があるのだから、もう一度出来るはずだ。

 

政治用語が混乱して居ます。「おれは保守だ」と言う人が居れば、「あんなのは本物の保守では無い」と言う人が居ます。「日本のリベラルは終わった」と言う人が居れば、「あんなのは本物のリベラルでは無い」と言う人が居ます。保守、リベラル、右翼、左翼──。政治的立場を示す此れらの言葉は、論者それぞれが自分独自の定義で使う様になってしまいました。誤解や混乱を避ける為、うかつに使うのを躊躇う程です。一度此れらの言葉から離れて、政策そのものをベースに政治的立場を整理する必要があるでは無いでしょうか?

 

ちなみに此の本を出した白水社は私の指針として居るショーペン・ハウエルの「孤独と人生」を出版して居る出版社です。古い本ですが・・・。彼が言いたい事と言うのは「孤独を愛さないものは、自由をも愛して居ない」と言う事だったのだと思います。詳しくは、私の過去記事をよく読んで下さいね。

 

さて映画です。今回は「リスボン特急」です(過去記事からの再録)。。。

リスボン特急』(原題:Un flic)は、1972制作のフランス・イタリア共作のフィルム・ノワール。アラン・ドロン主演。リチャード・クレンナ。カトリーヌ・ドヌーブ共演作品。フランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。この作品がメルヴィル最後の遺作映画と成った。

主人公のコールマン刑事に扮したアラン・ドロンが強烈に個性的で、煙草を咥えながらピアノを軽く演奏する姿はダンディです。その前方で彼を見つめていたカトリーヌ・ドヌーヴ(カティ)が控え目にスッと姿を現すシーンが文字通り絵になって居る。

 

Alain delon al piano, un flic.wmv

 

リチャード・クレンナ(シモン)の情婦であるがドロンとも関係を持って居るカトリーヌ・ドヌーブをそっと見守っているクレンナ、そしてそれを痛い程解って居るドロン、クレンナとドロンは戦友同士。二人の男に愛されるが男の世界に翻弄されながらも、どちらを取るのか、決めかねられないドヌーブ。この映画は銀行強盗の首領であるクレンナと警部であるドロンとの男の戦いと言った視点から出来上がって居る映画です。この映画にあるのはストイックな男の世界です。完全なるフィルム・ノワールの世界です。シモンの強盗団はある雨の日に郊外にある銀行を襲撃します。しかし銀行員に拳銃で撃たれて仲間の一人が重傷を負ってしまいます。悩んだ末、シモンは銀行強盗で負傷して重傷になった仲間をカティによって始末させます。緊急病院に潜入したカティはナースの格好をして緊急病棟に潜入、注射器で静脈に空気を注入して仲間を殺します。しかし、この映画は何も具体的には語られません。全てが、運命の侭にストーリーが進んで行きます。

ダンディであるコールマンは鬼警部。彼に惚れて居る情報屋のオカマが、リスボン特急で麻薬の密売が行われると言う情報を教えるが、シモン達が、ヘリコプターを調達してリスボン特急に乗り込んで金を奪ってしまう。終点のリスボンでヤクの売人を捕まえるコールマンだが既に金はなく、怒ったコールマンは情報屋のおかまを平手打ちにして、「ガセを教えるとは許さん。女の格好をしている頭を丸坊主にしてやろうか!!出て行け!!」と一喝する。涙を流して警察の外に出たオカマは泣き崩れます。しかし親友との対決の時が迫ります。シモンの強盗団の仲間をレストランで待ち構え、一般客に扮したコールマンは後ろから隙をついて羽交い締めにして逮捕し、シモンとの関係を拷問に近い方法で吐かせる。その一方で、マスコミがシモンの事を嗅ぎ回って居る事を知ると、警視総監に情報をマスコミに与えるのは止めてくれと、親友を庇う仕草も示す。そして夜明け前のシモンが経営するクラブから身を隠す為出て来たシモンは事前に連絡して居たカティが車の中で待って居る事を確認すると、スーツケースを持って車に近付こうとするが、建物の外で待っていたコールマンが「シモン!」と拳銃を構える。実はコールマンは電話局に行ってクラブからの電話を盗聴して居たのだった。

名前を呼ばれてシモンはトレンチコートの懐に手を入れて拳銃を取り出す振りをする。しかしコールマンは躊躇わず引き金を引いた。仲間の刑事たちが倒れたシモンの懐を探ったところ拳銃は持っておらず。丸腰だった事が判明する。「撃つのが早かったのでは?」と言う刑事の問いに「てっきり俺を撃つのかと思った....。」と言うコールマン。車の前で俯向き加減に一部始終を見ていたカティを黙って見つめたコールマンは、覆面乗用車に乗り込み忙しく無線で知らせて来る、犯罪現場へと黙って、しかし親友を殺してしまった事を拭い去るかの様に何遍も頭を振りながら運転をして向かうのだった。

 

Der Chef, Fan-Trailer (1972, Jean-Pierre Melville)

 

この映画が何故、ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作になったのか?実はこの作品はメルヴィルの13本目の映画で、しかも劇場公開が金曜日だったそうです。彼は不吉にも心臓発作で亡くなりました。ドロンはこの鬼警部の役が余り気に入らなかった見たいで、メルヴィル作品では「俺は何時も暗黒街のサムライだ。」とボヤいて居たそうです。ただ、この映画では、「刑事はどんな存在だ...疑いと嘲りだけの存在だ」とドロンが呟くシーンがある。この言葉にメルヴィルの本意が隠されて居ると思います。途中、リスボン特急の麻薬の売人から、金を奪い去る為、シモンがヘリコプターを使って動いて居る列車に空から飛び移るのを特撮で撮って居ますが、列車とヘリコプターをミニチュアで済まして居るのが、低予算のフランス映画らしいです。この映画はメルヴィルの最後の映画ですが、評価は分かれる処です・・・

最後に、ジャン=ピエール・メルヴィルについて簡単に説明しておきます。彼はパリ出身の脚本家で映画監督です。本名はジャン=ピエール・グランバック。メルヴィルはペンネームであり、小説家のハーマン・メルヴィルから姓を取った。「ヌーベル・バーグの精神的父親」と呼ばれる映画作家のひとりとして知られる。彼はアルザスにルーツを持つユダヤ人家庭に生まれる。第二次世界大戦に従軍の後、1948年に自分のプロダクションを立ち上げ、自主制作で映画を作り始める。初の長編映画である『海の沈黙』を見て感銘を受けたジャン・コクトーから、自身の小説『恐るべき子供たち』の映画化に際して、脚本・演出を依頼された。また、撮影所のシステムから抜け出たインディペンデントシステムと、長年コンビを組んだカメラマンのアンリ・ドカエによる自然光を取り入れた映像は、後のヌーヴェルヴァーグの作家に大きな影響を与えた。フランスにおけるフィルム・ノワールに独自の洗練を重ねてゆき、自身の第二次大戦中のレジスタンス活動の経験を反映させた『影の軍隊』などの戦争映画にもその作風は活かされて居る。

 

 

「人生は3つの要素、つまり、愛と友情と裏切りで成り立って居る」と言うメルヴィルの人生観の基盤にあるのは、レジスタンス時代の体験である。戦争中、ユダヤ人だった彼は自由フランス軍に参加し、レジスタンスの闘士として活動して居た。友情と裏切りと死が入り乱れる世界で培われ、磨かれた観察眼を以て、メルヴィルは映画を撮り続けた。メイン・テーマは、男の宿命。殆んどの場合、映画の中心に居るのは男だ。彼らの関係性はストイックである。のちの映画人たちにも影響を与え、北野武監督は彼を崇拝する。「キタノ・ブルー」と命名された彼の映画のトーンは、「メルヴィル・ブルー」からの影響です。

 

 

下は懐かしフォークソングです。。。

古井戸 さなえちゃん 1972

ガロ 「学生街の喫茶店」

ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」

コンサートツアー/めんたんぴん

 

 

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