11月14日(土)のつぶやき

2015-11-15 05:25:00 | 日記

いっぽうそのころ大阪クラスタの鳩はきらきらアフロを見ていました。


大学を卒業する先輩が、月給手取り16万と聞いて「いいなー!そんだけあった贅沢できる!」と思ってたくらいの金銭感覚でしたよ学生時代は。


今は、エンゲル係数が高いって致命的なんだなって。


ロリータコンプレックス、助長、役不足、草食系男子……本来の意図とかけ離れた意味で使われる、語感と語意に剥離のある言語を失敗言語、またはオディオと呼ぶっ!!


アニメ見て漫画見て育ったんです。アニメや漫画の女の子は幼くて可愛いですよね。子供のころからずっとそれ見てて少女性愛に走らないほうがおかしいんじゃねえのというのが持論です。


社会人だし業務も行っておりますが夢に見るのはいつだって学生時代なので鳩の精神年齢は10代です。


苛められていた時は、自罰的であることだけが自分の支えでした。自分はあいつらのようにならない。だから自分はあいつらより偉いんだ。 でもね、椅子の一つでも持ち上げて頭かち割っちまってた方が多分、ずっといい方向に行ったんですよ。


あるキャラクターを年単位でロールプレイするにあたって、「畜生反論したいけどこのキャラなら飄々とかわすんだろうな」「自分ならこうはしないがこのキャラなら正直にこう言っちゃうな」こうしたストレスを繰り返して、遂には本人の精神の方がキャラに最適化した事象を知っています。


ネットお笑いにおいて、他人のネタに投票する際に「面白いとは何か」を考えることがありました。ネタ被り、表示される順番、更にはハンドルネームまで、それぞれの要素が絡み合ってモニタの前で笑ったりシーーンとしたりする。結果自分は、「笑えたらそれが正義」と考えるようになりました。


@Hato_ouma 「面白く感じたら面白いのだ」と。さらに、造物主はそれと並行して自分の精神にストレスをかけるロールプレイを行ってきました。具体的にいえば、飄々とした快楽殺人犯を。その結果どうなったか。


@Hato_ouma 我が造物主は、極めて自分の欲望に正直になりました。自分が自己洗脳してしまいやすい性質であると自覚し、そして「面白いことを素直に面白がるのだ」と考えるようになった。そして何が面白いかは人によって違う。


@Hato_ouma 即ち、犯罪であるか無いか、倫理的であるか無いかは置いておいて、自分の欲望に正直であることを何よりも善と感じるようになった。考えるようになったんじゃありません。感じるようになったのです。心が変わったのです。


@Hato_ouma 欲望に正直である、とは「こんな欲望を感じちゃいけないんだ!」と自分の心を矯正しようとしないことです。面白いと思ったことを何でもやる、ではありません。「自分はこれがしたいのだ」と理解したうえで理性と相談して何をするか、しないか、決めるということです。


@Hato_ouma そうするとですね。他人を見るに置いて間違いなく欲望に忠実であると確信できるのは「犯罪者」なのです。自分の欲望に自分で嘘を吐いていない。犯罪者以外にもそういう人はいますが、少なくとも犯罪者は間違いなく正直だ。


@Hato_ouma そう言うわけで、鳩の造物主、および我が眷族どもは基本的に犯罪者には同情的です。彼ら彼女らは、少なくとも正直ではあったから。それによる被害は勿論「悪」ですが、「悪とはなんたるか」は、造物主の違うペルソナが考えることです。


@Hato_ouma 何がいいことであるか、を考える造物主のペルソナは「正直であれ」と考えます。「自分で自分をだます嘘をつくな。その嘘に取り込まれ自分の方が変わってしまうという勝利を嘘に許すな」と。


@Hato_ouma 尚、何が悪であるかを考える造物主のペルソナは全く違う思考回路をしていて、「多数決と集団潜在意識が正義でありそれ以外は悪。但し、悪だからと言って生きていてはいけないというわけではない、人は悪でよい。」と考えています。


書き始めるとどんどん進むよ。


感覚的な物であると分かってはいますが、「育ちの悪さ」って奴は他人を判断する基準にはなってもその他人自身にはほぼ恩恵ないからなあ……。まさか育ちが悪かったという過去を改竄することは魔法でも使わない限りむりなので。


どうしようもなく価値観の違う人間がいる、ということを知ったのがネットだったので、もしネットがなければ今でも自分は人間の頭の中身はみんな根っこは一緒で絶対分かり合えるはずだと信じていたでしょう。


どうしようもなく価値観の違う人間がいる、ということを知ったのがテキストサイトウォッチだったというまあその。



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