■「バランスが大事」というスタンスの害悪
これも本当によく見かける不完全な局所最適解で、僕自身、よくここで止まってしまう。
自分で使った後に「あーあ、下らんこと言ったな」と自己嫌悪に陥る。
「バランスが大事」または「ほどほどが一番」という、極端の反対、マイルドなそこそこを好むスタンス。
これもまた、ただの言葉では現実世界において全く意味を持たない。
ひとつ確認しておきたいのは、そもそも世の中にバランスが大事ではないものごとなど存在しない、という点。
なんであれ極端が解となることはあり得ない。必ず、0か 1ではなく微妙な最適バランスがあって、そこを探す過程こそがいわば本命、一番難しい作業である。
「バランスが大事」というスタンスは少なくとも僕の考えでは明らかな事実を言っているだけで、新しい情報量はゼロだ。
その上にどのような過程でバランスを模索して、何をゴールとして、いかにしてあるべきバランスに到達するか、すなわち、
過程部分に議論と思考と行動を集中すべきなのだ。
■回避するには
これまた「ケースバイケース」の事例と同じく、バランスが大事、という姿勢を示した後にいくつかの具体例を続ける事だと思う。
僕の狭い観測範囲によると、バランスを取ることを許されない固定化した状況に長く居た人や、アンバランスを「良し」とする文化に浸ってきた人が、
思考の自由に触れた後に「バランスが大事」という答えに辿り着いて満足してしまうことが多いように思う。
"バランス"の関わる話はいろんな人の価値観がモロに出たりするので、
僕と同じ問題に直面した他人がどこにプライオリティを置いて何を目指してバランスを取ろうとしたのか、
という貴重な情報を得ることが出来る。要は、抽象論で止まらなければそれなりに収穫はあるわけだ。
局所最適解を経由して個々人の真実に近づけるので、僕はわりと好きだったりする。
欲を言えば、ここで自分のバランスの取り方を相手にうまく伝えられるスキルが欲しい...
これも本当によく見かける不完全な局所最適解で、僕自身、よくここで止まってしまう。
自分で使った後に「あーあ、下らんこと言ったな」と自己嫌悪に陥る。
「バランスが大事」または「ほどほどが一番」という、極端の反対、マイルドなそこそこを好むスタンス。
これもまた、ただの言葉では現実世界において全く意味を持たない。
ひとつ確認しておきたいのは、そもそも世の中にバランスが大事ではないものごとなど存在しない、という点。
なんであれ極端が解となることはあり得ない。必ず、0か 1ではなく微妙な最適バランスがあって、そこを探す過程こそがいわば本命、一番難しい作業である。
「バランスが大事」というスタンスは少なくとも僕の考えでは明らかな事実を言っているだけで、新しい情報量はゼロだ。
その上にどのような過程でバランスを模索して、何をゴールとして、いかにしてあるべきバランスに到達するか、すなわち、
過程部分に議論と思考と行動を集中すべきなのだ。
■回避するには
これまた「ケースバイケース」の事例と同じく、バランスが大事、という姿勢を示した後にいくつかの具体例を続ける事だと思う。
僕の狭い観測範囲によると、バランスを取ることを許されない固定化した状況に長く居た人や、アンバランスを「良し」とする文化に浸ってきた人が、
思考の自由に触れた後に「バランスが大事」という答えに辿り着いて満足してしまうことが多いように思う。
"バランス"の関わる話はいろんな人の価値観がモロに出たりするので、
僕と同じ問題に直面した他人がどこにプライオリティを置いて何を目指してバランスを取ろうとしたのか、
という貴重な情報を得ることが出来る。要は、抽象論で止まらなければそれなりに収穫はあるわけだ。
局所最適解を経由して個々人の真実に近づけるので、僕はわりと好きだったりする。
欲を言えば、ここで自分のバランスの取り方を相手にうまく伝えられるスキルが欲しい...