水彩画からアクリル画を描き始めて、具象画から抽象画に転身。絵画は自由である。日々豊かで潤いのある瞬間描くことが大好き!

道端の植物にも名前がある。ミクロからマクロを見つめながら、右脳が騒ぎ出します。デッサン・構図を元に筆は自然と動き出す。

30年後に見た沼田市「薗原湖」は瀕死。へらぶな釣りのメッカは国土交通省に潰された!

2019年05月05日 16時46分30秒 | 釣り
へらぶなは何処に消えた。釣り人も無く
薗原湖は昭和40年に出来たダム湖。
薗原集落は湖の底に全て消えることから、当時は大きな反対運動があり、
反対を押し切ってのダム建設だと聞いています。
集落は山の半ばに移転され、湖には「へらぶな」が3年ほど放流されました。
こうして、薗原湖はへらぶな釣りのメッカとして、
太公望がひしめき合うほでになりました。

私が最初に訪れたのは、職場「へらぶな同好会」7名による昭和46年の夏でした。
貸ボート店兼民宿の「和泉屋」は、夜明け前からモーターボートで、
絶好のポイントに案内してくれました。
翌年からは、あまりにも連れたので夏が来るのを
待ち遠しくなりました。

紫の鱗を持つへらぶな
最初は気づかなかったのですが、
へらぶなが放流されて数年、湖の環境が個体を変えた。
薗原湖は、利根水系の最上流にあるダム湖で、
上流には「老神温泉」があり、ミネラル分が豊富だから
大きくなって独特の進化を遂げ、鱗が「紫色」なったと思われます。
更に多くの沢が流れ込み、自生していたイワナや
ヤマメと老神温泉のイベントで流れ込んだニジマスが
釣れたこともありました。
都会の喧騒を忘れさせてくれる自然林の山々に囲まれ、
水面下には集落の鳥居や木々が透けて見えました。

昔の面影もない
今回の釣りは「オデコ」一枚も釣れないばかりか、
水質のは緑色でかつての印象は消えていました。
何がこんなに変えてしまったのか?
30年間の変化を追ってみた。

国土交通省の横暴
へらぶな同好会は5年後薗原湖を去った。
ジェットスキーの乗り入れを国土交通省は黙認して、
騒音と波しぶきで釣りができる状態ではないから。
それでも、和泉屋さん家族と子供たちが同年齢だったので、
家族付き合いが続いてました。
和泉屋の主人、「中澤 均」さんは語ります。
「ジェットスキーを黙認して、ボートの水面利用を許可してくれない」
「100漕あったボートが使えないのは、死活問題だと国土交通省に抗議したが、
無駄だった」「ジェットスキーは事故を起こして禁止になったのに、
水利権は戻ってこない」
「水死悪化は上流の土砂浚渫をしないからと訴えたが、何もしないまま、
湖にヘドロが大量に流れ込んでいりから」
私は無策な官僚に悪意さえ覚えるほででした。

薗原湖を甦せよう
早速ネットを開いたが、へらぶなの影さえなかった。
これからは、多くの仲間を集めて再生の道を開こうと決心ししました。
一つずつ積み重ねて、前に進もう。
今始まったばかりの、メッカ創生。