鴨長明の方丈庵の跡を訪れてみた。宇治の奥の方にある日野山はどこにでもあるような里山だ。庵の跡とされているところは、人里からはそれほど遠くない。しかし、その周りの様子はどうも方丈記の描写とは合っていない。「谷しげけれど、西晴れたり。観念の便りなきにしもあらず」とあるが、西は開けていない。前に谷川が流れているが、その描写もない。庵の跡を十分に考証して推定したとは考えられない。この場所に巨石があるから(「方丈石」と名付けている)、適当に庵の跡としたのかもしれない。ただ、この場所でなくとも、深い山に住んでいたのでないことは確かだ。庵は解体して、車に二両分で簡単に運んで移動できるとあるから、それほど山奥に材木をかついで運んだとは考えられない。方丈記にも書いてあるように、たまには、京に出たり、人が訪ねてきたりもし、また里の集落と行き来していたのだろう。隠遁しながら、人の世界がやっぱり恋しいところに、『方丈記』と鴨長明という人の魅力がある。
鴨長明の方丈庵の跡を訪れてみた。宇治の奥の方にある日野山はどこにでもあるような里山だ。庵の跡とされているところは、人里からはそれほど遠くない。しかし、その周りの様子はどうも方丈記の描写とは合っていない。「谷しげけれど、西晴れたり。観念の便りなきにしもあらず」とあるが、西は開けていない。前に谷川が流れているが、その描写もない。庵の跡を十分に考証して推定したとは考えられない。この場所に巨石があるから(「方丈石」と名付けている)、適当に庵の跡としたのかもしれない。ただ、この場所でなくとも、深い山に住んでいたのでないことは確かだ。庵は解体して、車に二両分で簡単に運んで移動できるとあるから、それほど山奥に材木をかついで運んだとは考えられない。方丈記にも書いてあるように、たまには、京に出たり、人が訪ねてきたりもし、また里の集落と行き来していたのだろう。隠遁しながら、人の世界がやっぱり恋しいところに、『方丈記』と鴨長明という人の魅力がある。
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