22日のさぬき市は、湿った空気の影響で曇り、昼前からは雨が降っている。気温は22度から26度。明日の23日は、湿った空気の影響で曇り、断続的に雨や雷雨となるらしい。あの秋晴れや夕焼けはどこに消えたんやろうか。
相変わらずバイタルサインはそのまんま・・・。良くも悪くもない状態。そこで訪看の金井さんに聞いてみた。「看取りの意味は、定義はどうなってるんすか」と。「あんたはすぐに暇だ、退屈だ、することがないというけれど、それは最高の贅沢で幸せなことなんよ」という。「みんなは生活をするうえで、自分が生きるために朝から晩まではたらくのよ」という。「それをしなくても生活ができるなんて最高の贅沢じゃないの」
病院だと食べたくないものは捨てて、おいしいものばかりを選ぶことも、トイレもシャワーも自由にできないのよ。それに娘さんが付き添いで看病してもらえて、これが最高の「看取り」でしょ。家族そろって看病してもらえるあんたは「最高のしあわせなのよ」という。「パソコンにテレビも自由に使えてまだ不足なの」という。
あんたが他人さんの時間を盗み、自分の時間は貯蓄しているじゃないの。働きづくめ、遊びづくめ、飲み食いし放題だったでしょ。今は、その貯蓄していた時間を取り戻しているの。何もせずに時間だけを食べて生きているなんて、あんたくらいなものよ」という。さすが腕ききの訪問看護師さんだ。うまくかわされてしまったみたい。
そうか、時間どろぼうが時間を食べている時間なのか。まだまだ、時間の預金はたぷりとあるらしい。「ふーん・・・これが最高のしあわせなのか。」と、まだ、納得のできない患者であることよ。
今日の掲示板はこれ。「命には必ず終わりがある。病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききったというこだ」という大島康徳さんの言葉からで、宝円寺さんの掲示板からである。
プロ野球の中日で活躍し、日本ハムの監督も務めた野球評論家の大島康徳さんが令和3年6月30日に大腸がんのため死去したことが報じられた5日、妻・奈保美さんが、大島さんのブログを更新。今年の春ごろに記したという大島さんの言葉をファンに届けた。タイトルは「この命を生きる」とした。以下、ブログの投稿内容。
「この先の人生何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど 特別なことは何も浮かばない(笑) 高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし この年になるまで 野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。そりゃ辛いこともあったけど それ以上にこの世界にいなければ 得ることができなかったであろう ファンの方からの声援や感動や喜びをたくさんいただいた。貴重な経験もたくさんさせて頂いた。よき先輩、よき後輩 よき仲間、よき家族に恵まれ 美味しいものをよく食べて旨い酒をよく呑んで 大いに語らい 大いに笑い 楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む? もう何もないよ。幸せな人生だった。
命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命。病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ 大島康徳」。
じゃぁ、また、あした、逢えたら、いいね。