氣まぐれ剣士の言いたい放題
782 浜までは
ベストセラー『思考の整理学』著者 外山滋比古先生の「座右の銘」
『致知』2010年2月号より
我が道を往き、自分の頭で考えることを実践し続けて私は86歳となった。それなりに納得のいく人生を歩んできたという満足感はある。
しかし、さすがにここまで長生きするとは思わなかった。人生50年くらいの気持ちで生きてきたところが、50歳を過ぎても一向に終点が見えず、途方に暮れているというのが定年を過ぎた多くの人の実感だろう。
さて、これからどう生きたらいいのか、と考えている時にこんな俳句と出合った。
浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水(たきひょうすい)である。
これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。
どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。
浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのである。
この句の“浜”を“死”と捉えれば、一層味わいが深まる。
どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところである。
死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照りつければ日傘を差す。そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。(談)
なるほどね、どうせ濡れるのだから、わざわざ蓑をかぶらなくてもいいのにねと思いがちですね・・・。
だとしたら、どうせ年取るのだから、化粧しても同じだろうと突っ込みを入れたくなりますが、そんなことを言おうものなら、女性人から総スカンをくわされそうですね。クワバラ、クワバラ。
以上
782 浜までは
ベストセラー『思考の整理学』著者 外山滋比古先生の「座右の銘」
『致知』2010年2月号より
我が道を往き、自分の頭で考えることを実践し続けて私は86歳となった。それなりに納得のいく人生を歩んできたという満足感はある。
しかし、さすがにここまで長生きするとは思わなかった。人生50年くらいの気持ちで生きてきたところが、50歳を過ぎても一向に終点が見えず、途方に暮れているというのが定年を過ぎた多くの人の実感だろう。
さて、これからどう生きたらいいのか、と考えている時にこんな俳句と出合った。
浜までは海女(あま)も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水(たきひょうすい)である。
これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。
どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。
浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのである。
この句の“浜”を“死”と捉えれば、一層味わいが深まる。
どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところである。
死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照りつければ日傘を差す。そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。(談)
なるほどね、どうせ濡れるのだから、わざわざ蓑をかぶらなくてもいいのにねと思いがちですね・・・。
だとしたら、どうせ年取るのだから、化粧しても同じだろうと突っ込みを入れたくなりますが、そんなことを言おうものなら、女性人から総スカンをくわされそうですね。クワバラ、クワバラ。
以上