氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

405 月

2006-10-06 17:57:05 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

405 月


太陽が愛の表現体であるなら、「月」は「慈悲」の表現体です。それらは表裏一体。分けることなど出来ないようです。

 太陽が愛の表現体であることは、誰にでも理解し易いものですが、「月」が「慈悲」の表現体であることを理解している人は、あまりいないようです。

 本来、愛と慈悲は、同じエネルギーの裏表であり、分けて考えることは出来ないそうです。キリスト様は愛を説き、お釈迦様は慈悲を説いたと言われますが、それは入り口が違っただけで、辿り着いた先は同じ場所に違いありません。

 太陽と「月」の関係も同じことだそうです。 愛と言う名の入り口から入るか、慈悲と言う名の入り口から入るかの違いだけで、行き着く先は同じですね。太陽と「月」は、同じことを違った形で表現しているに過ぎません。

太陽は大きく、明るく、暖かく、正面から包み込むエネルギーを発しており、人はそれを愛と呼びます。これに対して「月」は優しく、静かに、繊細に、後ろからソッと抱きかかえてくれるエネルギーであり、人はそれを慈悲と表現しているに過ぎないみたいです。

 どうしようもなく辛くて、悲しい時、よりうれしいのは「月」が発する癒しのエネルギーです。
そんな時は正面から満面の笑みと共に、抱きしめられる愛のエネルギーはまぶし過ぎて、素直に受け取ることが出来ませんね。

 そんな時に必要なのは、「大丈夫だよ」と言って、ただソッと後ろから抱き止めてくれる慈悲のエネルギーなのです。夜空に浮かぶ「月」は辛い時、自分を後ろから支えてくれる慈悲のエネルギーの表現体です。


 そうですね、月は悲しくてどうしようもなくなったときに、優しく抱きしめてくれるような気がしますね。太陽がお父さんなら、月はお母さんですね。やはりどちらも大切ですね。

 氣まぐれ剣士も太陽のような暖かい心で、月のように澄み切った剣を使ってみたいと思うのでした。言うのは誰でも言えますからね・・・。

いかがでした。
次回もお楽しみに
以上