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もう一人のカメレオン (gkrsnama)
2020-03-29 12:37:07
クラシック音楽というのは、聴取体験と意味の大半を作る「音符」は既に固定されているわけです。で、あれだけ膨大な盤があるのは、演奏家ごとに音符に付加するものを聞き分けているともいえるわけですね。中で、マゼールとはいったい誰かというのがよく判りませんでした。盤ごとに印象が変わるからです。でも、彼がカメレオンならわかります。

が、カメレオン本家(マイルスディヴィス)が、時代に合わせて、手段から音からなにからなにまですべて変えて先頭を走り続けたのと比べれば、制約の中の変化にすぎず、その変貌はあまり大きな文化的意味は持たなかったのではないかと思います。

また加えて、一般の聴衆は、音符に付け加えた演奏家の差異分を抽出するという聞き方はしません。実はこれは音楽本来の在り方なのです。音楽とは音符+演奏の、ここでまさに鳴り効果を生んで消えていく音が全て。これはチェリが一生をかけて言っていたことです。実は、事情は録音だって同じです。(同じ盤を続けて聞いても受ける印象や感動はまったく変わります)

その意味で、ある曲についてマゼール盤が極上の愉悦を味あわせてくれるわけではないということも付け加えておきましょう。他人や過去の自分はどうでもいい、まさに今、自分の最上をつぎ込む、そういうやり方のほうがいいものができるよう思います。
 
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