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極める・・・

2012-10-06 21:54:11 | 日記
私自身何かを極めると云う事は全然無かったし、これからもそう云う事は起こらないだろう。一芸に秀でる事すら出来ないのだから・・・・私なんぞ何を持って生きているのか判らない状態である。だからと云って死にたくはない。

私がこんな悩みを持っていようとは誰も知らない。女房だって知らない・・・女房云わせると、屁の突っ張り棒にもならぬ、ボケ茄子亭主、だもんねぇ・・・3匹の飼い猫に言っている。

私は此処で一発宝くじでも当らんかいのと何度思った事か・・・くじ運も無し。いつも気にかかる事は来年91才になる御袋である。田舎で一人暮らしをしているが、私がこう云う病気じゃ如何にもしてやれない。

世の中は御金が一番、と思うがその金に縁が無い。稼ぎたいけど稼がれねぇー私 秋の冷たくなる風に吹かれて、ベッドに入る。パソコンで絵を描いているが融通の利かない左手でマウスを走らせたが思うようには描けない。毎日々時間があればマウスを握っている。いつの日か上手く出来たと自分で納得出来るのか・・・・私は無いんじゃないかと思う。

でも其れを辞めたりはしない、それを辞めれば何をすればいいのか・・・判らない。私の現在は暗い暗夜行路のド真ん中を歩いて要るようなもんだ。

いつも元気に・・・・

2012-09-30 19:08:46 | 日記
30日の夜、台風は通り過ぎたが愛知県に上陸したとテレビで言ってた。月末の30日台風だなんて笑えるもんじゃねえ、災害は嫌だ。

私もコッコッとパソコンで絵の勉強をしてるが中々難しいのでギブアップしそうだ。しかし自分で始めた事だ、泣き言は言いたくは無い。私が残したい物は1枚の絵だから・・・

私は脳梗塞で右半身麻痺だ、それで何もかもが余り叶わない左半身で物事を最小限度にこなす、後は女房・ディケア・ディサビース・その他の人達に任せて暮らしている。でも一番は我が妻である。結婚して30年、病気を発症して9年5カ月、頼りにしてます。お母さん

そんな私の一日は週に四日間はディに後は家でパソコンをして暮らしています。妻はヘルパーの仕事をしていますので、仕事の時は私一人でパソコンをしています。慣れてしまえば如何いう事も有りません。

今年の7月に長男夫婦に子供ができ、私達にとっては初孫です。うれしい限りですが困った事に私は抱き上げて遣れない事です。しかし10分位車の中で抱っこをしましたがヒヤヒヤもので抱いた気がしませんでした。

初孫が20才の時は私は84才になりますが、それまで生きて要られるかは判りません・・・・一日一日を元気で暮らして行きたいもんです。

いつか晴れる日もある・・・・

2012-09-22 22:15:46 | 日記
子供達は其々独立して家には居ない、夫婦二人で暮らしてる。私が55才の時、脳梗塞に倒れ現在に至る。その間、女房には苦労ばっかり掛けた、そしてマダマダ続く二人三脚、何にも出来ない私だけど、どうぞ宜しく頼む。

今日はテレビを見ていて大泣きをしてしまった。だからテレビはなるべく見ない様にして要るのだが食事の時などつい見てしまう。こうしてブログの種になるのは仕方ないが、傍で見ている女房は関心も示さない、いっもの光景だ。

考えている事は健常者と変わらないが、それを述べ伝える事になると駄目になる。焦って来ると舌がもっれ疲れが出て来る。一事が万事この通りです。だから自然と話し辛くなり一般の人々とはよう喋らない。ディケァ・ディサービスの人達とは喋るけれど・・・・

今日は彼岸だ・・暑さ酒差も彼岸までと昔の人は良く言ったものだ。私はパソコンを打ちながら、本当に此処10年位いの間にデジタル化の波に押されて家の中は昔とは違う世界になっている。だからコンナ私でもパソコンが出来るのだ。

片手でパソコンをするのでキーボードを打つのに時間が掛る。両手で直ぐに押せるキーも片手一本では駄目な時もある。なるべくそう云うものは使わないようにするだけである。

今日も夜の23時30分、未だづーうっと書きたいところ所だが、今はじっと我慢して置こう。いずれもっと勉強して頑張ろう・・・・

私の一日は・・・・

2012-09-15 22:06:28 | 日記
私の一日は平凡なる一日です。朝起きて朝食を食べる此処までは一緒です。それから週4回ディケァ・ディサーヒス似通っており、後の3日間は家で過ごします。月火木金がディで水土日が休みと、それを一年間続けます。

そして月一回の病院受診とその範囲は決まっています。家に居る時も家の日常的な事はほぼ何もして居らず、情けないのが私の辛い所です。ですから私は家にいる時はパソコンだけを唯一の楽しみに頑張っています。そんな妻には苦労を一杯かけて心苦しいの仕方が有りません。

そんな中長男夫婦に初孫出来ました。男の子ですが、そりゃぁ可愛いものですが、この先孫が生きて行く時代はどんな時代なのかと考えると心配性な私は色んな事を考えて心をすり減らしてしまいます。まだ生まれて2ヶ月なのに・・・

こうした特別な日だけ家を出ますが、後は家にいるか施設に居るかの二者択一です。だからこの街でさえ生活はしているのですが現実的には何にも知らないのと同じでてす。だからどうにかして、この街の住人に早くなりたいのです。

でも妻は1年半後には福岡市に帰ると云っています。それは次男がニカラグァから帰って来るからです。次男は海外青年協力隊で今年6月にニカラグァに赴任しました。せいいちのニカラグァLIFE ブログに書いてあります・ヤッフーで検索できます。

私としては此処も仮の地でしか在りません。私は来年の4月24日で丸々発症して10年になります。妻には感謝しています。

私の一日は夜の帳が落ち、やがて眠ります。そして又同じ日が訪れるのです。

ブログ一直線・・・フーッ

2012-09-08 17:49:32 | 日記
よーしっと気合を入れて叩く太鼓のいさぎよさと昔はそうだったのが・・・しかし今はそうじゃ無い。よしと気合いを入れるのは麻痺した右半身に気合を入れる。しかし気合いを入れても全く動かない。

今現在心密かに願っているものがある。それはそれはパソコンで左手一本で絵を描く事なんだけどパソコンのマウスだけじゃ中々上手くいかないのだ。それでフリーソフトのインクスケープで描く事にした。これだと線を引く事があまり無いので楽だぁーっ

しかしソフトは手に入ったが色々と難しい事が一杯有って試行錯誤の上、独学で無論パソコンと云う強い味方があっての事だが、どうにか動かせる様になった。かれこれ3・4年位掛かったろう。 

健康で若い人なら半年もあればokだろうが、脳梗塞の右半身麻痺では遅々として進まない。要するに根気と粘りが必要である。只、最後の根気と粘りは性格的なものだと私は思う。