豊口健 Piano Magic - Blog

ken-toyoguchi.com

ブログ新設

2013.09. 旧Diaryページから、ブログへ移行しました。

秋吉敏子ソロ

2012-06-11 | ライブ・コンサート感想
札幌のライブハウス「くう」で行われた、秋吉敏子さんのソロライブに行ってきました。
入替の2セット。その後半を聴きました。D.エリントンの曲を中心に演奏されました。
すばらしかった。
83歳にして、未だ前進をやめていないことが伝わってきます。

MCも演奏も、眈々として、そしてアメリカのジャズの歴史とともに生きた積年の重み、そしてそれらに裏打ちされた決してひけらかさない自信があらわれていました。
でもピアノを弾く世界的ジャズミュージシャンの秋吉さんは、自信満々にどうだ!と弾くというよりは、必死で今日の自分のベストな演奏を行う、という様子で、プロミュージシャンとしてのひたむきさ誠実さは、それだけで心打つものがありました。
もちろん、80歳を超えたとは思えない力強いタッチの音はすばらしかった。

とにかく飾り気がない、そこに感動しました。
そして神様のような秋吉さんも、ジャズピアニストとして垣間見せる悩み=向上心は、とても人間的で、自分のような一流ではないミュージシャンにも十分に共感と勇気を与えてくれるものでした。
エリントンを尊敬してるんだ、バドパウエルが好きなんだ、それらを聴いてきたからこそ今の自分がある、と真っ直ぐに語っているピアノは、ひとに生かされていることを自らわかっていることがどれだけ大切か、という人間の生き方も教えているようでした。

ペダルを極力使わないで、演奏することはピアニストにとっては難しいことです。
バラードでもノンペダルでバッピッシュにアドリブしていく秋吉さんの音は、パウエルの「ジニアス」のアルバムを彷彿とさせます。
「I Let The Song Go Out Of My Heart」や、クーティーウィリアムスに捧げたコンチェルト(別の題名で有名ですが)が印象に残りました。

「私(秋吉敏子)が、バドパウエルの曲をコンサートで演奏しないというのも何だかな、と思うので」と言って、最後に演奏した「テンパスフュジット」は圧巻でした。
日本のモダンジャズの黎明期、1953年に当時は果てしなく遠い海の向こうにあったであろうアメリカに単身渡り、心細かったであろう秋吉さんが残した、1950年代の何枚ものアルバムは、ほんとうに奇跡と言いたくなるような作品です。
(その時代のことは、岩波新書「ジャズと生きる」という本に感動的に書かれています)
その勇気の大きさは、ただただビバップを好きになったから、と言っているようです。

10代のとき、夜中に米軍キャンプの柵越えして本場のジャズ演奏を聴いたそうです。
「どうしても聴きたいから、柵を乗り越えた、それだけ」


演奏会終了後

 

「僕は、ハーフノートというライブハウスで毎日演奏してます」
「あー、どっちのハーフノート知ってるの?ハドソンリバーから引っ越したのよね」

渡米し、日本人のジャズミュージシャンであることを考えに考えて苦悩した、といわれる秋吉さん。
でも僕から見ると、もうアメリカ人のようだった。
チャーリーミンガスを友達のように話すんだ。