僕が中学に入った頃には 藤沢飛行場は閉鎖になり、調布飛行場迄 訓練飛行の為に通う様になっていました。
僕が中学2年生の時、1学年上にO君という私立中学校に通う いかにも生意気なお坊っちゃま君に 僕は操縦を習う事になりました。
何故そうなったかの経緯については全く分かりませんが、兎に角 彼は中学校3年生ながら操縦資格を持っていたのです。僕の教官でした。
乗っていた軽飛行機は当時新型のエアロスバルで、彼の父親所有と聞いていました。
漫画で言うなら、ちびまる子ちゃんに登場する花輪君を危なくした感じでした。
彼との初飛行は、非常に重苦しい嫌〜な感じで始まりました。
何せお互い生意気盛り
最初、儀礼的な挨拶はしたと思いますが、後はお互いの技量が判る迄会話は一切ありませんでした。
まるで特攻隊の訓練飛行にでも行く様でした。
僕は、シートベルトを何時もより強めに締めました。
その日のフライトプランは、上越線に沿って高崎迄行き、榛名山から旋回し赤城山,磐梯山を経由し、桶川飛行場に寄り調布飛行場に戻る 約1時間半から2時間のコースでした。
O君は、レイバンのサングラスがよく似合うキザなガキで、英語も達者でした。
最初から気になっていたのですが、O君は全てが速く、行動も飛行機の速さも かなりのパワーで飛んでいました。
また、旋回,上昇,下降等の角度もまるで◯◯◯世界◯戦の戦闘機を操縦するが如くであり、僕は、しばしばそのGに快感さえ覚えていました。
いわゆる怖いもの見たさの様な肉体的な反応を感じていました。
60度の右旋回に入った時には、プ〜ンとエンジンが泣き出し、半分ストール状態になりながら、まるで◯◯に突っ込む戦闘機の様な気分にさせて戴きました。
僕は彼の横顔をチラと見ました。すると彼も僕の横顔をチラと見ていて目と目が合いました。
その時何も言わなくても、僕はO君の操縦技術に憧れを持ってしまいました。
O君もまた僕になら自分の技術を披露してもいい、と思ったのでしょう。
その日は僕にとって生涯忘れる事が出来ない 民間機と戦闘機の狭間を感じた1日でした。
今であれば、エアーレース,アクロバット等の目的を持てますが、
当時、民間機の飛行管制は非常に煩く、訓練と言っても遊覧飛行の域を出ないものでした。
僕とO君は、予定時間を30分程オーバーして調布飛行場に戻りました。が、
案の定、警察,自衛隊の警告で大目玉をくらいました。
O君は、始末書まで提出させられました。
この時を境に 僕とO君の操縦するエアロスバルは、青い空に 高く 大きく広がって伸びている
入道雲に吸い込まれて行きました。
その先の事も考えずに・・・
この続きはまた🐇🐬🐈
おやすみなさい☆