コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
忘れられない。
(
いちえ
)
2014-03-12 03:04:57
「忘れてはいけない」
今日は、何度その言葉を耳にしたでしょうか。
でも…心の中でいつも気にかけていたら、忘れるはずがない。
3月11日は
「忘れてはいけない。と、思い出す日」
であってほしくないなーと思います。
もちろん、追悼の日では、あるけれど。
その日にだけ、思い出せばいいというものではないんだもの。
阪神淡路大震災の翌年9月に訪れた神戸は、「ほとんど普通」に戻っていました。
でも。
東北は3年経っても、
心に受けた傷と同じぐらい、街も村も傷ついたままです。
私ですら、今でも地震を知らせるメールの音が怖くて、
心臓が「きゅっ」と縮む感じがします。
地震のあとの「地震酔い」だって、まだあります。
でも、東北の人たちは、まだまだつらい生活を送っているんですよね。
頑張って頑張って、ほんの少しだけ前に進んでいるけれど、
「もとどおり」には、まだまだ遠い。
自然の脅威に人間は抗うことができません。
でも、人間が作ったもので、故郷を奪われてしまうのは、やっぱり人間の力で全力で元に戻さなければいけないと思うのです。
保育園の頃、初めて行った祖父の生まれ故郷である福島の小さな村は、
立ち入り禁止地域になっています。
「あれが天の川で、あれが白鳥座よ」って、教えて貰ったけれど、
空が星で埋めつくされていて、全然わからなかった。
満天の星なんて見たことがなかったから、
今でもはっきり覚えています。
自然が。
みんなの暮らしが。
みんなの心からの笑顔が。
1日も早く戻ってきますように。
そして、「3・11」よって、「1・17」が記憶の上書きで風化されませんように。
もちろん「9・1」もですが。
「3・11」は、ニューヨークで現実とは思えない衝撃的なテロがあった日だけど、
記憶が上書きされている人も多いかもですね。
3年
(
YO
)
2014-03-12 06:56:56
おはようございます。
昨日 私の職場でもその時間
会社全体で黙祷をいたしました。
関東では、ありますが
あの日のことは、みんなそれぞれ
いろんなことがあり その日の怖さを
鮮明に覚えていて口ぐちに語っていました。
私もすべて覚えています。
(当日のことも 計画停電などのことも)
始めて 大地震というものを身近に感じた
時でした。
それでも やはり その数か月後には、普通に生活できていました。
東日本の方々にとって この3年が早かったのか遅かったのか わかりませんが 決して終わっては、いないことだけは、たしかですよね
日々の生活でどうしても忘れがちになってしまいますが まだまだ 復興途中だということ 傷ついた方々の心がすこしでも早く癒えることを願って
過ごさねばと 昨日想いをあらたにしました。
Unknown
(
KOH
)
2014-03-12 11:00:31
あの日から、価値観 みたいなものがみんな変わったはずなのに
最近ちゃんと あの日 を胸に刻んでるのかなと疑問に思うことも
少なくありません。それは自戒も込めて。
風化、とか。
再稼働、とか。
どうしたらよいのかわからないことがたくさんあります。
考え続けること
想い続けること
そして、声をきちんとあげ続けること
最後が一番自分では大切なのかなと思ってます。
意思表示。忘れたくありません。
小さな日々の生活から。
当時のココの記事も覚えています。
(
あーちゃん
)
2014-03-12 16:54:33
ほんとうに、ケンさんが仰ってるように忘れられるハズがないんですよね。東北関東みんなが体感した3.11の傷は。わが家の壁紙もいまだ数か所キレツが入ったまんまです・・マンション外壁も><;
それから、いちえさんの仰る
>「忘れてはいけない。と、思い出す日」であってほしくないなーと思います。
に大共感です!!!まだまだ「ing」ですもんね。どうも特に民放なんかは、毎年のようにその日前後だけ特集を組んで終わり。。。なように見えて仕方ありません。
年間を通して追悼および復興復旧や過疎化を気にしている&それへ行動している人達はたっくさんおられるし!
話は戻って震災後、わたしは微々たる義援金を3ヶ月ほどしか送金できず、、情けない><。。。
そんな中ケンさん達は直に現地にいかれ音を届けると共にボランティアもされて。。行動するってスゴイなぁ!!って関心して見ていました。
それからあの時の記事に書き込まれた、まさに被災地からの想像を絶するような男性からの、あの嘘偽りないコメントもしっかり脳裏心に焼き付いています。
で、わたしは(わたしのリアルな周りの友たちも多数)3.11を境に意識がすっごく変わりました。自分の存在意義ですよね。マサに明日は我が身。
恥かしがってないで困ってる目の前の人に手を貸す!趣味他やりたい事はムリしてでも徹底的にやる!!毎日家族をせ~~いっぱい愛す!職場でも楽しく笑顔で!食べ物を大切にする!なんでも買わない!ダラダラ過ごさない!TVはなるべく見ない!笑)。。ですかねぇ。
明日もし何かあって命を落としても後悔しない生き方。今なお漏れつづけている原発事故も含め、3.11から学んだことは沢山ありすぎます。
故郷を愛するがゆえの。。被災地の皆さんに、もっともっと現実的な安堵や希望が射し、また生まれますように。と願うと共に、ずーっと関心を持ち続けたいと思います!^^
あれから。
(
MIKAKO
)
2014-03-12 21:41:05
ケンちゃん、こんばんは。
私の職場は、何か災害があった時には現場や被災地に行きます。
あの日も夜中に必要な物を揃え、翌日には仲間たちが被災地へ飛んで行きました。
仲間から毎日入ってくる被災地の情報は、本当につらいものでした。
あれから3年、地震が起きる度に「まさか、また…。」と怖くなります。
職場では、3・11のことをよく話します。
二度とあって欲しくはないことなのだけれど、あの体験が次に活かせるように意見を出し合っているのです。
会社では、定期的にボランティアを募って、被災地へ行っています。
社内イントラでは、特設ページが設けられ、不定期ですが更新されるので、その都度閲覧しています。
「明日は我が身」
決して忘れてはいけないのです。
ヲモイ
(
こたま
)
2014-03-12 21:42:52
福島で生まれ育ち…
転勤で三陸に住んでいたこともあり…
昨日のテレビ番組を見ても…
胸が痛くて…虚しさを感じていました。
ケンさんのヲモイツタワリます。
ありがとうございます。
ありがとうございます
(
melody
)
2014-03-12 22:57:37
緑ちゃん倶楽部の先生が、被災地のことを忘れずに想ってくれている心優しいケンさんで本当に良かったです。。。
私には何もできませんが、被災地で亡くなった方々のご冥福をただただ祈るばかりです。
そして、残されたご家族の方達の一生消えることのない深い悲しみを、ずっと共にに分かち合いたいという心だけは持ち続けたいと思っています。
少しでも
(
hey hey
)
2014-03-12 23:47:53
ケンさん、こんばんは!
幾度となく、ケンの記事を読みました。
ケンさんが仰るように「明日は我が身」ということを心に留めておかないといけないと思いました。
理不尽なことは突然やってくるから、
辛いときは誰かに助けて欲しい、寄り添っていて欲しいと思うのは当然のことと思います。(決して甘えとかではなく)
だから、少しでも助けになりたい、力になりたいと思うのも当然ですね!
理不尽なことで人が孤独になってはいけない。絶対にあってはならないと思っております。
続ける。
(
のすけのおっかさん
)
2014-03-13 00:05:27
私たちがしなくてはいけない事―「続ける」事。支援、そして何より、想いを寄せることを。
日々強いられている、日常となってしまった我慢が、少しでも減り、心からの笑顔となりますように…。
まだまだ私たちにはやれる事、やるべき事が沢山ある気がしています。
多くの失われた命に…合掌。
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今日は、何度その言葉を耳にしたでしょうか。
でも…心の中でいつも気にかけていたら、忘れるはずがない。
3月11日は
「忘れてはいけない。と、思い出す日」
であってほしくないなーと思います。
もちろん、追悼の日では、あるけれど。
その日にだけ、思い出せばいいというものではないんだもの。
阪神淡路大震災の翌年9月に訪れた神戸は、「ほとんど普通」に戻っていました。
でも。
東北は3年経っても、
心に受けた傷と同じぐらい、街も村も傷ついたままです。
私ですら、今でも地震を知らせるメールの音が怖くて、
心臓が「きゅっ」と縮む感じがします。
地震のあとの「地震酔い」だって、まだあります。
でも、東北の人たちは、まだまだつらい生活を送っているんですよね。
頑張って頑張って、ほんの少しだけ前に進んでいるけれど、
「もとどおり」には、まだまだ遠い。
自然の脅威に人間は抗うことができません。
でも、人間が作ったもので、故郷を奪われてしまうのは、やっぱり人間の力で全力で元に戻さなければいけないと思うのです。
保育園の頃、初めて行った祖父の生まれ故郷である福島の小さな村は、
立ち入り禁止地域になっています。
「あれが天の川で、あれが白鳥座よ」って、教えて貰ったけれど、
空が星で埋めつくされていて、全然わからなかった。
満天の星なんて見たことがなかったから、
今でもはっきり覚えています。
自然が。
みんなの暮らしが。
みんなの心からの笑顔が。
1日も早く戻ってきますように。
そして、「3・11」よって、「1・17」が記憶の上書きで風化されませんように。
もちろん「9・1」もですが。
「3・11」は、ニューヨークで現実とは思えない衝撃的なテロがあった日だけど、
記憶が上書きされている人も多いかもですね。
昨日 私の職場でもその時間
会社全体で黙祷をいたしました。
関東では、ありますが
あの日のことは、みんなそれぞれ
いろんなことがあり その日の怖さを
鮮明に覚えていて口ぐちに語っていました。
私もすべて覚えています。
(当日のことも 計画停電などのことも)
始めて 大地震というものを身近に感じた
時でした。
それでも やはり その数か月後には、普通に生活できていました。
東日本の方々にとって この3年が早かったのか遅かったのか わかりませんが 決して終わっては、いないことだけは、たしかですよね
日々の生活でどうしても忘れがちになってしまいますが まだまだ 復興途中だということ 傷ついた方々の心がすこしでも早く癒えることを願って
過ごさねばと 昨日想いをあらたにしました。
最近ちゃんと あの日 を胸に刻んでるのかなと疑問に思うことも
少なくありません。それは自戒も込めて。
風化、とか。
再稼働、とか。
どうしたらよいのかわからないことがたくさんあります。
考え続けること
想い続けること
そして、声をきちんとあげ続けること
最後が一番自分では大切なのかなと思ってます。
意思表示。忘れたくありません。
小さな日々の生活から。
それから、いちえさんの仰る
>「忘れてはいけない。と、思い出す日」であってほしくないなーと思います。
に大共感です!!!まだまだ「ing」ですもんね。どうも特に民放なんかは、毎年のようにその日前後だけ特集を組んで終わり。。。なように見えて仕方ありません。
年間を通して追悼および復興復旧や過疎化を気にしている&それへ行動している人達はたっくさんおられるし!
話は戻って震災後、わたしは微々たる義援金を3ヶ月ほどしか送金できず、、情けない><。。。
そんな中ケンさん達は直に現地にいかれ音を届けると共にボランティアもされて。。行動するってスゴイなぁ!!って関心して見ていました。
それからあの時の記事に書き込まれた、まさに被災地からの想像を絶するような男性からの、あの嘘偽りないコメントもしっかり脳裏心に焼き付いています。
で、わたしは(わたしのリアルな周りの友たちも多数)3.11を境に意識がすっごく変わりました。自分の存在意義ですよね。マサに明日は我が身。
恥かしがってないで困ってる目の前の人に手を貸す!趣味他やりたい事はムリしてでも徹底的にやる!!毎日家族をせ~~いっぱい愛す!職場でも楽しく笑顔で!食べ物を大切にする!なんでも買わない!ダラダラ過ごさない!TVはなるべく見ない!笑)。。ですかねぇ。
明日もし何かあって命を落としても後悔しない生き方。今なお漏れつづけている原発事故も含め、3.11から学んだことは沢山ありすぎます。
故郷を愛するがゆえの。。被災地の皆さんに、もっともっと現実的な安堵や希望が射し、また生まれますように。と願うと共に、ずーっと関心を持ち続けたいと思います!^^
私の職場は、何か災害があった時には現場や被災地に行きます。
あの日も夜中に必要な物を揃え、翌日には仲間たちが被災地へ飛んで行きました。
仲間から毎日入ってくる被災地の情報は、本当につらいものでした。
あれから3年、地震が起きる度に「まさか、また…。」と怖くなります。
職場では、3・11のことをよく話します。
二度とあって欲しくはないことなのだけれど、あの体験が次に活かせるように意見を出し合っているのです。
会社では、定期的にボランティアを募って、被災地へ行っています。
社内イントラでは、特設ページが設けられ、不定期ですが更新されるので、その都度閲覧しています。
「明日は我が身」
決して忘れてはいけないのです。
転勤で三陸に住んでいたこともあり…
昨日のテレビ番組を見ても…
胸が痛くて…虚しさを感じていました。
ケンさんのヲモイツタワリます。
ありがとうございます。
私には何もできませんが、被災地で亡くなった方々のご冥福をただただ祈るばかりです。
そして、残されたご家族の方達の一生消えることのない深い悲しみを、ずっと共にに分かち合いたいという心だけは持ち続けたいと思っています。
幾度となく、ケンの記事を読みました。
ケンさんが仰るように「明日は我が身」ということを心に留めておかないといけないと思いました。
理不尽なことは突然やってくるから、
辛いときは誰かに助けて欲しい、寄り添っていて欲しいと思うのは当然のことと思います。(決して甘えとかではなく)
だから、少しでも助けになりたい、力になりたいと思うのも当然ですね!
理不尽なことで人が孤独になってはいけない。絶対にあってはならないと思っております。
日々強いられている、日常となってしまった我慢が、少しでも減り、心からの笑顔となりますように…。
まだまだ私たちにはやれる事、やるべき事が沢山ある気がしています。
多くの失われた命に…合掌。