蓼食う虫ブログ

性的指向と教育

http://maglog.jp/darkkeiba/Article876495.html
http://jack4afric.exblog.jp/8275956
 昨日、「認識と行動」といった観点から、同性愛について書いてみた。要約すると、個々人の性的指向を擁護するが、行動レベルにおいては一定の制御が社会的に行われるのは世の常で、望ましいということだ。
 上にリンクしたのは、両方ともカミングアウトが不要である、とか、わが国においては根付かないと言う内容のブログである。
 前者の記事では、現代において性的少数者がカミングアウトをする意義を「恋愛」をする上でのみその概念が役立つからとしている。これは、マイノリティーがマジョリティーに立場を理解されたがっているという心理を無視してしまっている。新宿二丁目のような少数派の人のみがいるコミュニティーと違い、多数派に属する人が多くいるコミュニティーでは、多数派の思考の枠組みで議論が進んでいく。少数派はそこでは議論がスムーズにできないことが多い。だから、考え方や好みなどの傾向性をカミングアウトして、その社会により馴染みたいと考えるのだろう。議論といっても、小難しいことではない。まさに、恋愛についての話題などは、性的嗜好の傾向性の自覚が多数派と違えば、随分と精神的に苦しいのではないか?もちろん、多数派の思考の枠組みが変わるのが望ましい。それには、充分な教育や、文化の成熟が課題である。
 後者の記事でには、宗教・文化が違うと、カミングアウトの必要性の程度が異なる、ということについて触れてあった。神が行動についての規範を与える文化と、世間が道徳を判定する国ではカミングアウトの意味は異なるという視点は興味深かった。ホンネとタテマエを使い分け、人を選んでカミングアウトするなど器用に世渡りをしているこの記事の著者には感服する。その最後に、「日本人としての誇りも持てなくて、なにがゲイプライドだ!」とお書きになっているが、同じブログで次のように書くのはいかがなものか。
http://jack4afric.exblog.jp/13399454
 「ホモに生まれて良かったと思う10の理由」と題して、いろいろと書かれているが、女性嫌いと快楽主義の奨励ではないか。これでは国益は守れまい。
 と、書いてきたが、最後に私のカミングアウトについての考え方を述べておいたほうが良いであろうと思う。人の考え方を論評しているだけではいけないからだ。
 すこたんソーシャルサービス 同性愛から社会へ (1)カミングアウト
 http://www.sukotan.com/douseiai_03.html
 引用したサイトは、性的マイノリティーの団体であるから、「同性愛の基礎知識」とあっても中立で公平かどうかは疑わしいし、彼らが求めている理想の社会が本当に社会全体として望ましいとは思わないが、基本的な考え方は多分正しいのだろう。これによると、同性愛的傾向性を自覚する者は、自分を同性愛者であると規定した上でそれを話し、相手にも性的指向を自覚させ、新しい関係を結ぶのが望ましい、としている。
 マイノリティーに限らず、マジョリティーにもしばしば見られるのが、自分の持つ性的嗜好の傾向性を自覚してアイデンティティーとするべきという考え方である。フロイトによると、誰でも性的指向は両性に向かっており、その割合が人それぞれに違う、ということである。世の中に100パーセントとか0パーセントがあるかはともかく、完全に同性愛者、あるいは異性愛者と見做される人もいるだろう。しかし、ほとんどの人は自分たちが異性愛者で正常だと無意識に思っているからそのようなアイデンティティーを持つ必要がなく、その人たちが同性愛的なことに惹かれても、異性をまったく愛せない人はほとんどいないだろう。「私は同性愛者だ」とカミングアウトすることは、異性を愛さないことの宣言であり、同性愛主義という宗教のようなものに入っていると述べることに他ならない。
 性教育をするうえでは、みな両性愛的傾向がある可能性を教え、人生設計上、(恋愛でもお見合いでも)結婚して家庭を持つことを望むか、同性愛主義者として恋愛をし続けるかを考えさせるというのが望ましいと思う。これが、性的指向という概念とうまく付き合っていく生き方を教えることなのだと思う。

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