7/12バンドトモフ@下北沢club QUEセットリスト。久しぶりに井上くんに会った49歳/あのハナシのつづき/ガン告知はいらない/都合のいいジャンプ/天才ワルツ/七夕さま/GO!GO!GO!/こころ動け/その2つ以外は/無計画~/我に返る~/スポンジマン
アンコール:脳/蛍の光
13歳が、イジメで自殺。やりきれない。
もう何度聞かされたか?自分の子だったら、もがき苦しむ。「イジメ・ダメ・ゼッタイ」このメッセージが、世界中に広まって欲しい。本当に苦しい。
学校におけるいじめの問題などが報じられる度に、ぜひ社会のみなが共有しておくべきだと改めて思う認識がある。それは、学校が、学びの唯一の場ではないし、社会性を身につける上で必須でもない。だから、学校に行くのが苦しくなったら、行かないという選択肢もあるのだということ。
まず、マスコミはライトな言葉にするのやめようよ。ブラックバイト、ブラック企業は、労働基準法違反。いじめは、恫喝・恐喝。立派な犯罪ですよ。 #nhk
ある意味「過去は変えられない。」「起ってしまったことはなしにはできない。」「だから忘れなさい」っていう・・・これほど残酷な言葉ってないと思うんだ(´・ω・`)
虐待やいじめをなかったことにしろと?彼らの罪や受けた苦しみの数々を全てチャラにしろと?私にはとても無理ですわね。
いじめの事は今でも夢に見る。
覚えてるのは「殺してやる~,殺してやる~」って相手をボコボコにして息の根止まるまで首締める夢。
脂汗掻いて目が覚める。そして嫌な気分になる。
時間が解決なんて大嘘、最後まで向かい合うしかない。
現代の中高生は「コミュ力偏重」のスクールカーストに生きるから、勉強が出来てもカースト下位はありうる。森口朗『いじめの構造』(新潮社)の記述を信ずるなら、カーストはおそらく7割の生徒に「楽しかった中学時代」の思い出を与え、残り3割に「地獄の中学時代」の傷を残す。
中2自殺、マスコミって被害者の私物とか細かい物探すのにいじめに係わってた人間は探せないんだな。
講談社現代新書から出ている内藤朝雄氏のいじめの構造、"全能の自己が孵化する肉塊"という極めてかっこいい日本語が使用されていたので800000000億点です
愛校心だとか「~中の誇り」なんていうのも元々いじめの構造とつながっている。
中学生がいじめで自殺する、などの痛ましい事件が報道されるたびに、「君を憎悪する学校や級友などとは一切縁を切ってしまえ。そんな学校への登校は拒否せよ」と強力に背中を押す存在は居なかったのだろうかと、想像してしまう。登校拒否は「問題」ではなく「選択肢」だろうに。
去年、その根性悪いやつにいじめ受けてた子おるねんけど、その親がそのいじめられてた子のこと被害妄想とか言い出したらしい
子どもが言っても親はそんなこと絶対言ったらあかんやろ
先生「いじめがあったら必ず先生に言うんだぞ!」
僕「いじめられてます」
先生「誰にだ?」
僕「○○と○○」
先生「わかった」
翌日
僕「チクッたことバレてもっとひどくなったんですが、全然解決しなかったんですけど…」
先生「解決されるなんて言ってないぞ」
僕「…」
いじめ問題で「やられたらやり返せ」が子供には福音にはならないのかも?というのは、大筋では賛成。ただし、特定の条件下にある子供には「やられたらやり返す選択をしてもいいんだよ」というメッセージの方が大切なことはあるとは思う。これらは矛盾せず並立する。
「クラス」がいじめの基本環境だというのは内藤先生が言うとおり。大学でいじめが少なかったのはクラスの機能がごく限られていたから。しかし最近の大学ではどんどんクラスの機能が強化されているからいじめも増えると思う。
これはあるね。
いじめっ子の立場が逆転した時、主導者は陰惨ないじめを受けることがあるので。
私がいじめにあってた時、不登校になりそうな時に「辛いからと言って逃げちゃダメ、辛い時に逃げてばっかりではだめな大人になる」って言ってた先生もいたけど不登校になってそのあとクラスもHRもない定時制高校に通ったら大分生きやすくなったんで人間時には逃げることも大事ですよ(´・ω・`)
いじめがテーマのマンガとかってあるけど大抵泣き寝入りだったり何かしらの偶然のおかげでいじめがなくなったりっていうイメージが何故かあるので徹底的に証拠を記録して弁護士に訴えてっていう現実でも通用する戦い方で大勝利するようなマンガが流行ればいいのに(|3っ)っ
世の中が「いじめ」という言葉を使うのをやめたらどうだろう。ちゃんと罪だと分かるように「傷害」「強要」「窃盗」「暴行」「強迫」等の言葉を使ったらどうだろう。いじめている側は楽しんでいじめをしていて、「悪いことをしている」という認識がなさすぎる。