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厳粛なおはなしですね!
(
blograjio
)
2006-11-16 22:49:16
このような悩ましい事例は、このごろ増えているだろうと思います。しかし、入居の際は一応知っておきたい事柄ですね。
たしかに、「人間はいずれ同じ道を辿るのだから」と割り切る事が一番いい気持ちの整理かもしれません。
こんばんは
(
ゆきこ
)
2006-11-17 00:05:32
都会ではそのような物件目当ての若者が結構いるという話を知り合いの不動産屋に事前に聞いてました。
ウチの場合は、地方だったのでなかなか次の借り手がつかないと予想され、工事費とは別に2年間の賃借料を賠償金としてお支払いし、示談にしました。
その辺が相場のようです。
お金で解決することではありませんが、せめてもの償いとしてお支払いさせて頂きました。
家主さんへお詫びを言いたい気持ちもありますが、
そっとしておいた方が良いだろうと思い、それ以来連絡をとっていませんが、少しでも心の整理がついて下さっていれば。。。と願うばかりです。
もう故人は旅立っていったのだから、そうやって借りてくれる方がいれば嬉しいですね。
自殺物件とな。
(
一言居士
)
2006-11-17 00:09:15
自殺物件。大家さんにとっては迷惑な上に、価値を下げられてしまう嫌な出来事なのだろうな。
しかし、自殺でなくとも、『家』には、本来、生老病死が、つきものだ。
何代も続いた家では必ず家の歴史として、赤ん坊の産声や、病に苦しむ声、年寄りのしわぶきや、臨終の場の慟哭が、家のそこここに刻まれている。
…が、当世の風潮として、病院で生まれ、老いれば施設に入り、病気になれば当然の如く入院し、そのまま病院で亡くなる。
『家』が、元気でいる間、入っているだけの箱になりつつある。
死とは、本来、もっと身近に感じているべきものなのだと思う。
たとえば、同じ家の中で病気に苦しむ年寄りを側に見ている子どもは、命のままならぬ事を学び、せいいっぱい生きることの重みを感じて育つことだろう。
人一人、生き抜くことの厳しさや、みまかった後に起こるお別れの儀式。残された者の悲しみ。そういうものを見せ、手伝いをさせ、死の重み、命の重みを実感させる。
残念ながら、今は核家族が主流で、子ども達がそういう機会を奪われて久しくなった。
身近に死を見つめられない子ども達が、死を美化してしまい、壁にぶちあたったとき、いとも簡単に自分の命を捨ててしまう傾向があるように思う。
その壁を乗り越えたとき、この先の人生にはまだまだ沢山の楽しい事、嬉しい事が待っていることを、何とかして、教えてやりたいものだ。
運命の神様は、人間が退屈しないようにわざわざ、起伏をもうけてドラマティックに人生を構成してくださっているそうである。
この場を借りて、是非訴えたい。
今、まさに死を選ぼうとしている早とちりのオッチョコチョイどもよ、ちょっと、待って欲しい。
もし、今が、君の考える最低最悪な事態であったなら、それは、この後に必ず好転する前触れなのだ。
運命の神様は、必ず、君の受けた苦しみの何倍もの幸せを用意してくれている。
人生の長い道程には、そこここに嬉しい事、楽しいことが花と咲き誇っている。これを摘まないのは実にもったいない。
命を簡単に捨てる輩の多いのには本当に嘆かわしい。特に、五体満足なのに、死を選ぼうとする輩には腹がたつ。
近所に白血病で小さなときから病院と家を行き来している子どもがいる。
何度も大きな手術を受け、必死に病気と戦っている。高校生の年頃だが、学校に行くことはかなわない。
いつも、にこにこと、まるで天使のように優しい子だ。
不憫でならない。
簡単に捨てる命なら、あの子にわけてくれれば良いと思う。自分で歩いて学校へ行く、そんな普通のことが、やりたくてもやれない子がいる。
ぐだぐだと取り留めのないことをならべ、申し訳ない。
貴社のお仕事は実にたっといものだ。
核家族が進み、もはや、家族は成り立たず、個々の人間がばらばらに暮らす。その結果のひずみとして、おきている孤独死。
孤独死を防ごうとされる貴社の取り組みに心から賛意を表する。
蛆、死臭にまみれる現場を現状復帰させる、皆の避けて通りたがる仕事を、あえて選ばれた心根の潔さに男気を感ずる。
死者の側からは、感謝の念があるのみだろう。
貴社の益々の発展を心より祈念する。
たしかに
(
幼児の母
)
2006-11-17 01:01:30
自殺や孤独死で悲惨な亡くなり方をした方も数十年前はおかあさんのかわいい赤ちゃんや子供であったのですよね。誰かの大切な人だったのですね。自殺や変死の遺体やその状況は確かに怖いと思いますが、だからといってそのような方々や遺品やお部屋をむやみに忌み嫌ったりはできないなぁ、と自分が初めて子供を産んでみてそう思うようになりました。
(blograjio)さま
(
管理人
)
2006-11-17 16:40:42
コメント有難う御座います。
考え方次第なのですが、普通に考えればあえてそのような物件を好む方は少ないでしょうね。
しかし、何とかしなくてはいけないのですよね。
難しい事ですね。。
(ゆきこ)さま
(
管理人
)
2006-11-17 16:44:53
こんにちは。
ある意味では、大家様もそのようなリスクを全く考えないで商売をしている時代ではなくなってきているのでしょうね。
自分の物件に対してのリスク回避の手段を今後は、真剣に考えないといけないのです。
入居者を選んでも、起こるときは起こります。
一方的に、ご遺族が負担を負うのはどうかという考え方も多いようですね。
(一言居士)さま
(
管理人
)
2006-11-17 16:49:34
コメント有難う御座います。
自殺でなくても、家屋内での死は付きまといますね。
特に、単身世帯者については、みな同じような可能性を持っています。
しかし、事故ではなく自らと言う方には、なんとか考え直してもらいたいですね。
私たちの仕事が全く無くなったのなら、世の中はもっといい時代になっているのでしょう。
それは、私の望むべき事でもあるのです。
(幼児の母)さま
(
管理人
)
2006-11-17 16:54:32
人間の慣れもあるのでしょうが、夜中に一人で作業していても、そんな不安は全く有りません。
仕事意識が高まった時には、他の意識って払拭されてしまうものなのではないでしょうか?
喜んでもらいたいと言う気持ちでいっぱいの時には、その事しか考えられないのです。
※”腹が減ったな・・”、こんな事は考えちゃいますけどね。。
こんにちは
(
warautsuki
)
2006-12-11 19:59:10
大分以前にトラックバックをいただいた者です、ありがとうございました。色々なお仕事をされているのですね。僕も以前に短期間ですが法医学に携わったことがあります。それはもう衝撃的な経験でした。自殺して長い間発見されなかった方も沢山いらっしゃいました。僕たちは死体を検討するだけなわけですが、それ以前にどういう生活をなさっていたのかまではわからないし、踏み込むこともしません。しかしこういう風に誰かがきちんとかたをつけていかないと、世の中が進んでいかないのですよね。あらためてそう思いました。大変なお仕事だとは思いますが、頑張ってください。またお邪魔させていただきます。
(warautsuki)さま
(
管理人
)
2006-12-11 20:33:56
こんばんは。
コメント感謝いたします。
どんな仕事にも、大変な事は有りますが、私はこの仕事を大変な仕事だとは思ったことは有りません。
偉そうに言っているのではなく、本当にやりがいを感じるのです。
この仕事に出会った事に感謝していますよ!
しかし、経営は大変ですがね・・・・
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たしかに、「人間はいずれ同じ道を辿るのだから」と割り切る事が一番いい気持ちの整理かもしれません。
ウチの場合は、地方だったのでなかなか次の借り手がつかないと予想され、工事費とは別に2年間の賃借料を賠償金としてお支払いし、示談にしました。
その辺が相場のようです。
お金で解決することではありませんが、せめてもの償いとしてお支払いさせて頂きました。
家主さんへお詫びを言いたい気持ちもありますが、
そっとしておいた方が良いだろうと思い、それ以来連絡をとっていませんが、少しでも心の整理がついて下さっていれば。。。と願うばかりです。
もう故人は旅立っていったのだから、そうやって借りてくれる方がいれば嬉しいですね。
しかし、自殺でなくとも、『家』には、本来、生老病死が、つきものだ。
何代も続いた家では必ず家の歴史として、赤ん坊の産声や、病に苦しむ声、年寄りのしわぶきや、臨終の場の慟哭が、家のそこここに刻まれている。
…が、当世の風潮として、病院で生まれ、老いれば施設に入り、病気になれば当然の如く入院し、そのまま病院で亡くなる。
『家』が、元気でいる間、入っているだけの箱になりつつある。
死とは、本来、もっと身近に感じているべきものなのだと思う。
たとえば、同じ家の中で病気に苦しむ年寄りを側に見ている子どもは、命のままならぬ事を学び、せいいっぱい生きることの重みを感じて育つことだろう。
人一人、生き抜くことの厳しさや、みまかった後に起こるお別れの儀式。残された者の悲しみ。そういうものを見せ、手伝いをさせ、死の重み、命の重みを実感させる。
残念ながら、今は核家族が主流で、子ども達がそういう機会を奪われて久しくなった。
身近に死を見つめられない子ども達が、死を美化してしまい、壁にぶちあたったとき、いとも簡単に自分の命を捨ててしまう傾向があるように思う。
その壁を乗り越えたとき、この先の人生にはまだまだ沢山の楽しい事、嬉しい事が待っていることを、何とかして、教えてやりたいものだ。
運命の神様は、人間が退屈しないようにわざわざ、起伏をもうけてドラマティックに人生を構成してくださっているそうである。
この場を借りて、是非訴えたい。
今、まさに死を選ぼうとしている早とちりのオッチョコチョイどもよ、ちょっと、待って欲しい。
もし、今が、君の考える最低最悪な事態であったなら、それは、この後に必ず好転する前触れなのだ。
運命の神様は、必ず、君の受けた苦しみの何倍もの幸せを用意してくれている。
人生の長い道程には、そこここに嬉しい事、楽しいことが花と咲き誇っている。これを摘まないのは実にもったいない。
命を簡単に捨てる輩の多いのには本当に嘆かわしい。特に、五体満足なのに、死を選ぼうとする輩には腹がたつ。
近所に白血病で小さなときから病院と家を行き来している子どもがいる。
何度も大きな手術を受け、必死に病気と戦っている。高校生の年頃だが、学校に行くことはかなわない。
いつも、にこにこと、まるで天使のように優しい子だ。
不憫でならない。
簡単に捨てる命なら、あの子にわけてくれれば良いと思う。自分で歩いて学校へ行く、そんな普通のことが、やりたくてもやれない子がいる。
ぐだぐだと取り留めのないことをならべ、申し訳ない。
貴社のお仕事は実にたっといものだ。
核家族が進み、もはや、家族は成り立たず、個々の人間がばらばらに暮らす。その結果のひずみとして、おきている孤独死。
孤独死を防ごうとされる貴社の取り組みに心から賛意を表する。
蛆、死臭にまみれる現場を現状復帰させる、皆の避けて通りたがる仕事を、あえて選ばれた心根の潔さに男気を感ずる。
死者の側からは、感謝の念があるのみだろう。
貴社の益々の発展を心より祈念する。
考え方次第なのですが、普通に考えればあえてそのような物件を好む方は少ないでしょうね。
しかし、何とかしなくてはいけないのですよね。
難しい事ですね。。
ある意味では、大家様もそのようなリスクを全く考えないで商売をしている時代ではなくなってきているのでしょうね。
自分の物件に対してのリスク回避の手段を今後は、真剣に考えないといけないのです。
入居者を選んでも、起こるときは起こります。
一方的に、ご遺族が負担を負うのはどうかという考え方も多いようですね。
自殺でなくても、家屋内での死は付きまといますね。
特に、単身世帯者については、みな同じような可能性を持っています。
しかし、事故ではなく自らと言う方には、なんとか考え直してもらいたいですね。
私たちの仕事が全く無くなったのなら、世の中はもっといい時代になっているのでしょう。
それは、私の望むべき事でもあるのです。
仕事意識が高まった時には、他の意識って払拭されてしまうものなのではないでしょうか?
喜んでもらいたいと言う気持ちでいっぱいの時には、その事しか考えられないのです。
※”腹が減ったな・・”、こんな事は考えちゃいますけどね。。
コメント感謝いたします。
どんな仕事にも、大変な事は有りますが、私はこの仕事を大変な仕事だとは思ったことは有りません。
偉そうに言っているのではなく、本当にやりがいを感じるのです。
この仕事に出会った事に感謝していますよ!
しかし、経営は大変ですがね・・・・